第254話 俺は幼馴染ちゃんを見直したい

「……そう言えば早苗のやつ、やけに元気だな」

 千鶴が帰り(もちろん着替え直した)、そろそろ空もオレンジ色に染ってきたなと言うくらいの時刻。

 俺はリビングのイスに座りながら、ソファーで双子たちと遊ぶ彼女を眺めながら呟いた。


 帰ってきた直後はやっちまった感で気づかなかったが、彼女のテンションは呼び出される前と後で180度……いや、540度くらい回転していた。

 それはもう、何か嬉しいことがあったんだろうなと分かるくらいに。

「悔しいから私の口からは言いたくなかったのだけれど……」

 笹倉はコーヒーの入ったカップを2つ持ってきて、俺と自分との前に置くと、向かい側のイスに腰掛けた。

 どうして笹倉がこの家のコーヒーのを知っているのかは怖いから聞かないでおこう。角砂糖を4つも入れてくれていることに免じて。

「……あまっ」

「……甘いわね」

 さすがに多かったか。口の中に若干、溶けきらなかった砂糖があるのを感じる。お菓子なら良いが、飲み物でこの甘さは危険だな。

「それで言いたくなかったことってなんだ?」

 カップを置き、笹倉の目を見ながら聞くと、彼女もまた同じようにして、ゆっくりと口を開いた。


「今回のテスト、私が小森さんに負けたのよ」


 はぁ、笹倉が早苗に負けた……珍しいこともあるもんだな。一体何で負けたんだ?ん?……テスト?

「……え?」

 俺の頭の中に、数秒遅れて疑問符が流れてくる。待て待て……いや、もしかすると聞き間違いかもしれないよな。だって、普通に考えて現実的じゃないだろ?

「もう一度言ってくれるか?」

「碧斗くん、私の事好き?」

「いや、そこじゃねぇよ。てかどこの話だよ、それ」

 いや、あの時のですけどね。はっきりと覚えてますよ、はっきりと。

「あら、私達が付き合った日のことを忘れちゃったの?しくしく……」

「嘘泣き下手かよ。ちゃんと覚えてるから……早く言ってくれ」

 俺がそう言って急かすと、笹倉は少し不満そうな顔をしてから、膨れっ面でもう一度言った。

「私が小森さんに負けのよ……テストで」

「き、聞き間違いじゃなかった、だと……?」

 理解しても、脳がそれを拒もうとする。それほど現実離れした事実に、俺は架空の右ストレートを打ち込まれてイスから転げ落ちる。

「だ、大丈夫!?」

 慌てて駆け寄ってくる笹倉。いや、大丈夫じゃないな。主に俺の現実を見る目がやられちまっている。

「笹倉、それは間違いないのか?」

「ええ、間違いないわ。今日呼び出されたのは、学年1位と2位が飛び抜けて成績が良かったって理由だったもの」

「ぐふっ……1位と……2位、だと……?」

 ボディブローまでくらってしまった。現実なら血反吐を吐きながら転げ回っていたところだろう。


 笹倉と早苗が呼び出され、その理由は1位と2位を褒めること。そして笹倉は早苗に負けている。この情報を組み合わせれば、見えてくる現実はひとつしかない。

「早苗が……学年1位?」

 そう、彼女こそが誰よりも成績が良く、誰にでも自慢ができる唯一の順位を手にした者。普段は下から数えて何番目の彼女は、ドラマのような逆転劇を見せたのだ。

「ええ、その通り。全科目の平均点98点だそうよ」

「まじかよ」

 俺でも自己採点で84点だったってのに、一体何が起きたらこうなるんだ?理解ができない……。

「ほら、今回のテストって全教科マーク式だったでしょ?来年からの実用に向けて、テストでテストするー!なんて校長が言ったから」

「ああ、そう言えばそんなこと言ってたな……」

 だから記述がなかったのか。おかげで普段より平均点は高くなっていたし、俺自身も手応えはあった。でも、まさかマークになったからってそんな……。

「早苗……4分の1の解答を98点分、全部運で当てたってのか?」

「少しは解いたかもしれないけれど、おそらくはそうね。だってあの子、副教科以外のテストは全部開始5分で寝てたもの」

 そう言われて思い出した。テスト終了後、解答用紙がほぼ全てヨダレでベトベトになっていた生徒がいると……。

 普通ならシートを機械に投入すれば、後はプログラム通りに自動で採点してくれるらしいのだが、その1枚を乾かすのに時間がかかって先生達も困ったんだとか。

「まさか、それが早苗の事だったとは……」

 てか、勉強の努力はどこに行ったんだよ。『努力は結果に結びつかない』の申し子って呼んでやろうか。いや、ある意味結果だけは出てるんだけど。

「いや、でも笹倉も2位だろ?十分凄いよな……」

「そんなことないわ、普通よ」

 笹倉に負けるのはいつも通りだが、やはり早苗に負けるのはなんだかな……。

 あいつが成長してくれるのは嬉しいが、実力が運に敗北したことだけは納得できない。それに、帰ってきてすぐに自慢しないところも、俺の悪い心にグサグサと刺さってきていた。

 俺だったらすぐ自慢するだろうな……。そんなことを思いながら早苗の方を見ると、彼女は俺の視線に気がついて、楽しそうに手を振ってくれる。

「……なあ、笹倉」

「どうしたの?」

「俺、間違ってたのかな……」

 勉強させることが大事だと思っていたが、もしかするとそれ自体が誤りだったのかもしれない。今の俺には、そう思えてしまっていた。

 もちろん悪い点を取ると留年だって有り得るし、最低限の勉強は必要だ。でも、その考えを無理に押し通すのが正解なのかどうか。その行為は、早苗自身の何かを潰してしまっていたんじゃないか。

 そう思えて仕方がなかった。

「いいえ、間違ってないわよ。だって、碧斗くんが小森さんのことを思ってしたことなんだもの。間違いなはずがないわ」

「……そう言って貰えると助かる」

 どうしようもない虚無感と無力感が、少しだけ残ったコーヒーの中に揺れて見えた。


 ※この後めちゃくちゃ自慢された。


 ……うん、やっぱり勉強はさせるべきだよな。とりあえず、俺の申し訳ないって気持ちを返せ。



 その日の夜、笹倉から電話がかかってきた。場所がトイレだったので、急いで出てからリビングで電話に出る。

「もしもし?」

『碧斗くん、こんな遅くにごめんなさいね』

「いや、大丈夫だ。そんなことより、何か用か?」

『用はなくても電話したいところだけれど……今日は伝え忘れたことがあったのよ』

「伝え忘れたこと?」

 俺が聞き返すと、笹倉は『そうよ』と電話の向こうで頷いた。目に見える訳じゃないが、何となく伝わってくる。

『碧斗くん、冬休みの真ん中辺りに駅前でクリスマスイベントがあるのは知ってる?』

「ああ、毎年やってるやつか」

 この辺に住んでいる人なら1度は見たこと、聞いたたことがあるであろうクリスマスイベント。もはや恋人のたまり場と化すあのエリアは、去年までの俺は近づくことも出来なかった……。

 早苗は一緒に見に行きたいなんて言っていたが……今思えばあれってほぼ告白だったんじゃ?毎年断っていたが、悪いことしたな……。

『そう。実は今年、私達の学校代表で小森さんが出ることになったのよ』

「それはすごいな。でも、なんで早苗が?」

『決まってるでしょ?学年1位だからよ』

「ああ、なるほど……」

 行きたい行きたいと言っていた早苗が、まさか出演者側になるとはな。カップルたちの視線の前でマイクを握るとなると、緊張と殺意と爆弾製造意欲に押しつぶされそうになりそうなものだが……。

『あともう少しで私が出るところだったのだけれど、あまり得意じゃないから有難いわね』

「先生達も適当だな。今回のテストだけで早苗を選ぶなんて……」

 早苗にとっては災難でしかないだろうな。いや、もしかすると意外とやる気だったりするのだろうか。

『そこで提案なのだけれど……2人で小森さんを見に行かない?』

 あれ……もしかして笹倉、『有難い』なんて言いながら、早苗のことを心配しているのか?

「それはつまり、早苗のことが気になるってことでいいのか?」

『まあそうね。小森さんがどんな面白い失敗をしてくれるのか、気になって仕方がないわ』

「……空虚な優しさに感動した俺が馬鹿だったよ」

 まあ、そう言いつつも見に行くという案には俺も賛成だ。リア充の溜まり場に加わるというのは癪だが、早苗を応援するためだから仕方ない。

「よし、じゃあその日は予定を空けとくか」

『元々空いてるでしょ』

「……それは言わない約束だろ」


 電話を切る前にちょっと悲しい気持ちにするのはやめてくれ……。

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