第249話 極道さんは隠れたい

 碧斗が小森家前に到着する数分前のこと。

 黒塗りの高級車のトランクの中に、1人の幼じ……少女が身を潜めていた。


(体の小ささもたまには役に立ちますわね)


 私……獄道 静香は心の中でそう呟いて、ため息をこぼす。

 自分の止まった成長に感謝すべきなのか、それとももう少し窮屈なくらいが良かったと思うべきなのか。今、すごく複雑な気分ですわ……。


 そもそも、どうしてこんな状況になったのでしたっけ?暗い空間で長く揺られていたせいか、少し記憶がサラダに……あ、混ぜ混ぜになっているようですわね。

 ちなみに、私はサラダにはシーザードレッシングをかけて、クルトンも入れる派ですわ。


 って、そんなことはどうでもいいのでしたわ。

 私はえっと……と、こめかみあたり(こめかみが正確にはどこからどこまでかのかは私も知りませんけど)に指を当てて、思い出せる限り記憶を遡ってみる。

 この20分程は暗闇と微かに聞こえるエンジン音の記憶しかないですわね。それよりも少し前……確か私……。

 記憶が無いと言うより、引っかかって取れないと言った方が近い気がしますわ。

 例えるなら、テスト中に消しゴムを落としてしまって、手を上げるのも恥ずかしいから自力で取ろうとしたけれど、ギリギリ届かない……みたいな感じですわね。

 あの時は先生に「SPさんは呼んじゃダメですからね?」と先に釘を刺されていたせいで、結局間違えた箇所に横戦を引いて、何とか誤魔化そうとしたんでしたっけ……。

 結局全部バツされましたけど。



 そんなことを考えていると、静香は突然ふわっと体の中が浮き上がるような不思議な感覚を覚えた。

 視界は遮断されたも同然の暗闇だが、だからこそその感覚は一層強く感じられる。いや、感じられるだけではなく、彼女の体は実際に浮いていた。

 そして同時にゴムの擦れる音が響き、周囲を取り囲む鉄の箱との推進力のズレのせいで、顔からトランク内の壁に衝突してしまう。

「い、痛いですわ……」

 鼻を押さえると、なにか液体に触れる感覚……状況的に鼻水ではないだろう。静香はズキズキと感じる痛みと、自らの不格好さに目をうるませた。


 ……だが、端に寄ったからか、彼女の耳には車内から誰かの話し声が、小さいながら内容まではっきりと聞こえてきた。


『今の危機的状況を乗り越えても尚、その話を続けるんですか!?』


 その声の主が誰なのか理解した瞬間、引っかかっていた記憶の欠片が1つ外れ、それに続くように全てのピースが無意識下で組み上げられていく。

「そうですわ!私は確か……」


 遡れば、関ヶ谷様がお父様に連れられて、私の家を出発する直前のこと。

 制服に着替えた私は、お父様をお見送りしようとして玄関に向かったところ、小森様の家に忘れ物をしていたことを思い出したのです。

 慌てて飛び出して、お父様に「関ヶ谷様に取ってきて頂けるように……」とお願いしようとしましたが、お父様も既に車に乗り込んでしまわれていて、今にも出発なさるところでしたの。

 自分でも頭で動いた気がしませんでしたので、きっと体が咄嗟に判断していたのでしょうね。

 私は玄関に置いてあった予備のカーキーを掴むと、トランクの自動開閉ボタンを押し、既に動き始めた車の開いたトランクに転がるように乗り込んだのでしたわ。

 我ながら、思い出してみれば頭のネジの数本飛んだ行動ですわね。気づかれていれば、心配性なお父様に叱られていたかも……。

 いいえ、今ここにいることがバレても同じことになるのは目に見えていますわ。気づかれないように、そっと抜け出さなくては……。


 そう思った静香は、もう一度車内の声に耳を澄ませた。

『私はかれこれ4年も静香に手を握ってもらってないのだよ。それなのに、関ヶ谷君ばかりずるいじゃないか!』

 聞こえてきたのは自分の父親の、人に聞かれるときっと恥ずかしい思いをするであろう台詞。


 確かに私、昨晩は関ヶ谷様の手を握りましたが……お父様が嫉妬なさるようなことは何も……。


 勘違いされているのかもしれないと、心の中で小さな焦りを感じつつ、静香はふと、最後に父親の手を握ったのはいつだったかと思い出してみる。

 4年前……だったかは確かではないが、あの時は手を握ったと言っても、転んだ自分を引っ張り起こしてくれただけだった。

 純粋に手を握ったのは、記憶の中では11歳の時……少なくとも静香の中では、6年以上父親の手を握っていないことになる。

「な、なんて親不孝な娘なのでしょう……」

 彼女は後悔の念に苛まれ、頭を抱えて下唇を噛み締めた。でも、また聞こえてきた声にその力はいくらか緩む。


『それは……繋いでくれると思うか?』

『ええ、思春期真っ盛りでお父さん大嫌い!なタイプの女子高生ならまだしも、極道さんは仁さんのこと好きですよ、きっと』


 碧斗の言葉に、静香は誰に見せる訳でもなく首を縦に振った。

「私、お父様の事が大好きですわ。……でも、少し愛情表現を怠っていたかもしれませんわね」

 胸の奥のわだかまりとともに、熱気のこもった息を吐き出す。それでも足りず、スカートを強く握りしめた。

 その拍子にポケットの中に入っていたカーキーのボタンが反応し、トランクがガパッ!と開く。

「……いつの間に止まっていたんですの?」


 顔を出してみれば、そこは小森家の前。気が付かないうちに到着していたらしい。

 周りに人はいないおかげで、静香のことを不審がる人もいないが、それでも彼女は慌ててトランクを飛び出した。

 だって、このままじっとしていたら、すぐにでも降りてきてしまうかもしれない碧斗とばったりと鉢合わせてしまうと思ったから。

 かと言って、このままトランクに籠って家まで戻るのも二度手間になる。せっかく忘れ物を取るために危険な駆け込み乗車をしたのだから。


 心を決めた彼女は、見つかりにくいように姿勢を低くして、小森家のインターホンを押しに行く。当たり前のように『はーい』という早苗の声が返ってくるも、カメラに映らない訪問者に『?』と文字に表せない声をこぼした。

 不思議に思った早苗は静香の思惑通り玄関までやってくる。その足音を聞いていた静香は、早苗が鍵を開けると同時に強引に家の中へと上がり込んだ。

 背後では車の扉が開く音がしていたから、本当に危機一髪だ。

「小森様、おはようございますですわ!」

「ふぇっ!?お、おはようございますです……?」

 突然のことに声を裏返させる早苗。そんなこともお構い無しに、静香は彼女の耳元へ口を寄せる。

「小森様、私の言うことを聞いてくださいまし。これから関ヶ谷様が帰ってこられますが、私に話を合わせてくださいまし!」

「ふぁ、ふぁいっ!」

 絶対によくわかっていないだろうというふうに頷いてみせる早苗。心配ではあったが、既にドアがガチャリという音を立てて開き始めていた。もうこれ以上あたふたしている暇はない。

 静香は慌てて平静を装うと、開いた扉の向こう側から現れた碧斗に向かって満面の笑みを見せた。

「お帰りなさいませ、おにい……関ヶ谷様♪」

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