第248話 俺は極道の長に送られたい

 翌朝、目が覚めると俺はいつの間にか車に揺られていた。

 外から中が見えないタイプの黒がかった窓ガラス。その上から更に遮光してくれる網戸のようなものが取り付けられていて、スマホの時計は7時前を示していると言うのに車内はやけに暗かった。

 一瞬、誘拐でもされたのかと思ったが、昨夜まで自分が誘拐よりも恐ろしい環境で眠ったこと、そしてミラー越しに運転席に座る人物の顔が見えたことおかげで、その不安は一気に消し飛んだ。

「お目覚めかね?」

 ミラーの奥からチラリと視線を向けられ、俺はまだ60%ほどしか起きていない体を地面から垂直になるまで持上げる。

「仁さん……おはようございます」

 運転席に座っているのは仁さん、獄道さんのお父さんだ。ちなみに助手席にも俺の隣にも、他には誰も座っていない。

「ああ、おはよう。昨晩はお楽しみだったかな?」

「いえ、全く」

 俺が即答すると、仁さんは軽く笑って「まあ、そうだろう」と呟いた。

 まあ、ある意味お楽しみではあったが、仁さんが意図して使っているであろう意味の方なら、答えはNOだ。

 しかし、これは俺が獄道さんに手を出さないということが分かっていた、という意味であると捉えていいのだろうか。

「……関ヶ谷君は、この車がどこに向かっているのか、気になったりはしないのかね?」

 少し間が空いて、仁さんはそんな質問を投げかけてきた。誘拐かと思ったくらいだから、もちろん気になってはいたんだが……。

「気になってましたけど、聞くタイミングが掴めなくて……」

「それもそうだな」

 仁さんはハッハッハ!と豪快に笑って、ハンドル横のボタンをポチッと押す。すると俺の斜め上、車内の天井からテレビ画面が音もなく降りてきた。

 真っ暗だった画面に光が灯れば、そのに表示されたのは車の現在位置が示された地図。所々にチラホラと見える施設や地名には見覚えがあった。

「俺の家、ですか?」

 正確には小森家になるわけだけど。

「その通り、学校に行くにはカバンが必要だろう。1度取りに戻らないと困ると思ってね」

「そのためにわざわざ車を出してくれたんですか?あ、ありがとうございます」

「いや、礼には及ばない。泊まれと言ったのも私だ、帰すのも私であるのは当然だろう」

 言われてみれば確かに……と納得しそうにはなったが、それでも電車で帰れる距離をわざわざ車で送ってくれると言うのは、正直すごく有難かった。

「あれ、寝ている俺を車に乗せるのも仁さんが……?」

「ああ、いくら子供と言っても高校2年生だ。他の者では2人がかりになってしまう上に、揺らして目を覚まさせてしまうからな」

 何から何まで気を遣ってくれたんだな。やっぱりこの人は優しい人だ。どうして極道をしているのかが不思議に思えるくらいに。

 俺が考えるような顔をしていたからだろうか。仁さんは少し眉を八の字に近づけながら。

「……もしかするとなんだが、男にお姫様抱っこされたことを気にしているのか?」

 そんなことを聞いてきた。

「あー、それはたった今気にし始めましたね。抱えるって、お姫様抱っこだったんですか……」

 しかもすやすやと眠っている間に、だ。そんな所を他の人達に見られていたなんて考えると、今すぐこの車を飛び降りたい衝動に駆られる。ドアロックがかけられてるから無理だけど。

「……」

「……」

 少しの間、沈黙が流れる。画面の地図の端には、既に小森家のある辺りが表示されていた。到着まであと少しと言ったところだ。


「関ヶ谷君、君にひとつ聞きたいことがある」

 やけに静かだが、エンジンの音が確かに聞こえてくる、そんな高性能故の心地いい沈黙の時間を破ったのは、先程までより少し何かが込められている仁さんの声だった。

「なんですか?」

 俺の問い返しに、彼は一度深呼吸を挟むと、ミラー越しに俺の方を見ながらこう言った。


「君は昨晩、静香の手を握ったのか?」


『手を握った』というワードに、俺の記憶がモグラが投入されたように掘り返されていく。生のモグラなんて見たことないから、どれくらい早いのかは知らないけど。

「えっと……」

 どうこたえたものかと首を傾げていると、仁さんの声が追い打ちをかけてくる。

「言いづらいのか!?言いづらいことをしたのか!?」

 そこにはもう、極道の長ではなく、娘を心配する普通のお父さんだった。なんだか車の走行が歪に震えている気がする。

「さっきお楽しみじゃなかったって言いましたよね……」

「お楽しみと言っても、種類はいくつかあるだろう!今度のはさっきとは別のお楽しみだ!」

 やっぱりさっきのはそういう意味だったんだな。勘違いじゃなかったと安心したような、新たな『お楽しみ』が登場したことへの不安が現れたような……。

 だが、俺は別にやましい事をした記憶は無いし、手だって握ったのではなく、極道さん側から握ってきたのだ。

 それをはっきりと伝えると。

「し、しかしだ、君はそれを許容したのだろぅ?」

 今度はそんなことを言いながら、ミラー越しではなく、モロに俺を振り返って見てきた。待て待て、事故る事故る!

「そ、それは甘えられてしまったから……」

「彼女持ちなのに、私の娘を甘えさせるんじゃない!君に対して勘違いしたらどうする!?」

「いや、極道さんにそんな気は無いかと……って、前見てくださいよ!」

 俺が叫ぶようにそう言うと、仁さんは慌ててブレーキを踏んだ。耳障りなゴムの擦れる音が辺りに響く。


「あ、危なかった……」

 なんとかギリギリ追突を免れられたが、朝から死を隣に感じたおかげで、俺は座席の背もたれに体を預けたまま、しばらく動くことが出来なかった。

後ろの方からも何かがぶつかる音が聞こえたし、おそらくトランクの中の荷物だろう。

運転中の余所見、ダメ絶対。

「ともかくだ!私が言いたいのは、娘を甘やかさないで欲しいということだ!」

「今の危機的状況を乗り越えても尚、その話を続けるんですか!?」

 肝が座っているというか、親バカというか……。今の流れは、絶対に『ともかく』で終わらせていいものじゃないと思うんだよな。

「私はかれこれ4年も静香に手を握ってもらってないのだよ。それなのに、関ヶ谷君ばかりずるいじゃないか!」

 仁さんはそう言いながら顔をしかめ、ハンドルの中央をバンバンと軽く叩く。その度にクラクションがプッ、プッと短く鳴らされた。

 てか、その怒りは嫉妬から来てたのかよ。見た目に反して、意外とそういう所もあるんだな、仁さん。

「それなら極道さんに直接頼んでみたらどうです?『お父さんと手を繋いで欲しい』って」

 俺がそう提案すると同時に、青信号に変わって進み始めた前の車に続いて、仁さんもブレーキを離してアクセルを踏む。小森家はもうすぐそこだ。

「それは……繋いでくれると思うか?」

「ええ、思春期真っ盛りでお父さん大嫌い!なタイプの女子高生ならまだしも、極道さんは仁さんのこと好きですよ、きっと」

 学校でも『お父様が〜』みたいなことを何度か言っていたし、嫌いなんてことは絶対にないと思う。

 ただ、彼女みたいな人は、周りの人の顔色を伺って行動したりなんてことはしない。だから、仁さんがいくら手を繋ぎたそうにしていても、気付いて貰えないのだ。

 そういうタイプには、はっきりと言葉にすることが大事……的なことを、中学生の時に読んだ本で見たことがある。

 決して『モテるために気をつけること23選』とかいう本じゃないぞ?アマソンで検索しちゃダメだからな?

「そうか、伝えてみる……か」

 仁さんはそう呟くと、やたら長く感じた俺の帰路に終止符を打った。

「到着だ、忘れ物のないように」

 そう言いながら、助手席に置いてあった紙袋を手渡してくれる。中身は俺が昨晩着て行った服やカバンだ。

「さっきの話、静香には内緒にしてもらえるかな?」

 降り際、一度首を縦に振った俺を、仁さんは振り返りながら引き止めるように言葉を続けた。

「それと……困ったら君にも何かを手伝ってもらうかもしれん。その時はよろしく頼む」

 彼のその言葉に俺は「はい、喜んで」と頷いて車から降りると、後ろ手に扉を閉める。やっぱりあの時と同じ、真夏にはボンネットで焼肉が出来そうなほど黒い高級車だった。


 娘の世話係だけじゃなく、親子関係についても頼られてしまったが、不思議と悪い気はしていない。

 遮光効果のせいで姿は見えなかったが、俺は仁さんがいるであろう場所に向かって、送り出すように軽い会釈を送ったのだった。

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