第227話 俺は幼馴染ちゃんの母親に謝りたい
豪快に笑う仁さん。箱の中身を見てみれば、10種類ほどのドーナツがぎっしりと詰められていた。他の箱もおそらく同じだろう。
確かに全所持金叩いて買ったドーナツが潰されたのはショックだったが、早苗の気持ちを考えると素直に喜べ――――――――――。
「うわぁ!美味しそうなドーナツっ!」
―――――――――いや、喜んでた。
「あおくん、すごいよ!人気のやつから王道まで、色々入ってるよ!」
先程までナイフを突きつけられ涙していた彼女は、大量のドーナツで笑顔に変わっている。忘れてたよ、早苗が単純脳だということを。
「喜んでくれて良かったな!」
仁さんもはっはっは!と笑い、箱を覗き込んで飛び跳ねる早苗を微笑ましそうに見ている。やっぱりいい人だ。
気になるのは、そんないい人がどうしてギャングをしているかなのだが、そんなことを聞いた晩には、窓から石が飛び込んで来る気がするのでやめておいた。
金○恩も時には笑う。悪人だって優しく見える笑顔を浮かべるもんだ。そんな笑顔に騙され、馴れ馴れしくするなどまさに飛んで火に入る夏の虫。そういうことだ。
「ところで坊主、お嬢ちゃん。その制服を着てるってことは、あっちの学校に通ってるのか?」
仁さんは大雑把だが、俺たちの通う高校のある大体の方向を指差して聞いてきた。
「はい、そうですけど……」
それがどうかしたのだろうか。まさか、俺の学校にも借金している奴がいるとか?教師だろうか、生徒だろうか……どちらだとしてもまずいことに変わりはないな。
「いいや、気になっただけだ。坊主とはまた合う気がする、それまで元気でな」
仁さんはそう言って手を振ると、そそくさと高級車に乗り込んで走っていってしまった。颯爽と洗われて颯爽と消える。時代劇の名乗らぬ武士みたいだったな。思いっきり名乗ってたけど。
取り残されたドーナツをどうやって持ち帰ろうかと悩んでいると、黒服の男の人が手押し車を持ってきてくれた。これなら一気に持ち帰れる。
「私がお手伝いします」
俺達は黒服さんのお言葉に甘え、小森家まで運んでもらうことにした。他の黒服たちも数メートル後ろを着いてきたのは恥ずかしかったが、それ以外は特に問題なく無事に家に帰ることが出来た。
そう、無事で……本当に良かった。
大量のドーナツを見た茜と葵は大はしゃぎ。彼女らも甘いものに目がないらしい。だが、そんな2人とは裏腹に、咲子さんは深刻な面持ちで俺のことを見ていた。
ここは咲子さんの仕事部屋。彼女は普段、ここで小説を書いている。そんな場所にいるのは、この話が双子たちに聞かれないようにするためだった。
「さっきの話は本当?」
どこか悲しそうに、でも少し圧のある瞳で、彼女は俺にそう聞く。『さっきの話』というのは、早苗が男に刺されそうになったこと。
双子たちに話すにはあまりに恐ろしすぎる話だが、親である咲子さんには伝えておくべきだと思ったのだ。
「碧斗君が助けてくれたの?」
「……いえ、俺は怪我で動けなくて」
口にしながら、自分でも言い訳じみていると思った。あの時、早苗のことを想うのなら、来るかどうかも分からない助けに縋るよりも、自分の身を投げ打ってでも助けに行くべきだったんじゃないか。
そう思えて仕方がなかった。
「通りすがりの男の人が助けてくれたんです」
あえてギャングだということは伏せておいた。わざわざ伝える必要も無いと思ったから。
「そうなのね……」
咲子さんは小さくため息をこぼす。彼女は俺が助けなかったという事実に失望しているのだろう。
自分の愛娘を救えない男に価値はない。そう突き放されても仕方がないよな……。
俺は覚悟していた。咲子さんから次に飛んでくるのは、俺を見放した一言かもしれないことを。
……だが、俺の覚悟に反して、咲子さんは俺を優しく抱きしめてくれた。
「早苗も、碧斗君も無事でよかった」
強く、それでいて優しく。突き放すのではなく、むしろ自らの胸に引き寄せて。
「でも……俺は早苗を守れなかったんですよ?」
その優しさに抵抗するように、俺は込み上げてくる思いを堪えてそう口にした。その言葉を聞いても尚、咲子さんはもう一度俺を抱きしめる。
「まだ子供のくせに、守るなんて言わなくていいのよ。あなた達を守るのは、親である私の責任なんだから」
咲子さんは、自分をあなた達の親だと言った。それはつまり、早苗だけでなく俺も咲子さんの子供に含まれているということで……。
「親なのに守ってあげられなくてごめんなさい……」
幼馴染の母親。けれど、昔から本当の母親同然だった彼女のその一言は、どうしようもなく嬉しかった。
「その場に、いなかった咲子さんが、守れるはず、ないじゃない、ですか……」
ついにはグラグラと揺れていた感情のコルクが弾け、それが塊となってポロポロと床にこぼれ落ちる。
「ふふ、そうよね。その場にいなかった私には、こうして碧斗君の心を守ってあげることしか出来ないわ」
優しく微笑む彼女に頭を撫でられる度、胸の辺りでつっかえていた後悔の塊のようなものが馴染んで消えていくような気がした。
「碧斗君は自分の行動を悔やんでいるかもしれないけど、選ぶのも選ぶべきだったのも、今の選択で間違いなかったと私は思うわ」
だって……と彼女は言葉を続ける。
「碧斗君に万が一のことがあったら、早苗は今とは比べ物にならないほど苦しんでいたと思うから」
咲子さんの一言で気付かされた。俺が早苗を大事に思っている以上に、早苗は俺を大事に思ってくれている。
人は自分のせいで自分が傷つくよりも、自分のせいで大切な人が傷つけられることの方が、何十倍も苦しむおかしな生き物なのだ。
「私が望むのは、碧斗君に早苗を守ってもらうことじゃない。楽しい声も悲しい声も、あの子の声の届く場所にいてあげて欲しい。ただそれだけなのよ」
いつものようなおふざけまみれの変な人ではなく、早咲 苗子でもなく、一人の母親としての言葉が、俺の心の奥深くに突き刺さった。
「……約束します、俺は早苗の声を聴き逃しません」
「ええ、頼りにしてるわね」
咲子さんがそう言って今一度微笑んだ、その直後。俺の背後の扉が勢いよく開かれる。
「お母さん!ドーナツ食べてもいい?」
「ダメよ」
「えぇ……」
咲子さんの即答に、ガクッと肩を落とす早苗。
「もうすぐご飯なんだから、その後にしなさい」
「後ならいいの?やった!」
「カロリーには気をつけるのよ〜?」
咲子さんの忠告が聞こえているのかは分からないが、早苗は上機嫌でリビングへと戻って行った。その足音を聞きながら、咲子さんは小さく笑う。
「あの子があんなに笑ってるのよ?碧斗君がいつまでもそんな顔じゃ、心配されちゃうわね」
俺の肩を軽く叩き、「ほら、笑って」と促される。
「早苗のことですから、もう忘れてるだけかもしれないですけどね」
「それもあの子の才能なのよ」
咲子さんの一言で、俺は思わず吹き出した。馬鹿と
「それじゃ、夜ご飯の準備してくるわね。碧斗君は早苗と大人の遊びでもしているといいわ」
「しませんけどね。てか、最後くらいかっこよく締めてくださいよ」
「こうかしら?」
咲子さんはそう言いながら、キメ顔でスタイリッシュ(笑)に扉を閉めて見せた。そのしめるじゃないんだけどな……。
そう苦笑いをしつつ、ふと咲子さんの作業机の上にあった写真立てに目がとまる。そこには俺と早苗がまだ幼稚園児だった頃に撮った、2人だけの写真が飾られていた。
―――――――――――母親ってすごいな。
幼き頃の二人の間に、油性ペンで書かれた小さなハートを見つけ、呆れたように心の中でため息をついた俺であった。
「人の写真で遊ぶなよ……」
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