第226話 俺はドーナツを買って帰りたい
ドーナツを完食した俺は、早苗にも3分の1だけお金を出してもらい、咲子さんと双子たちへのお土産を購入した。
俺たちだけ美味しいものを食べるというのもずるい気がしたからな。おかげで俺の財布はとうとう空っぽになってしまった。
「美味しかったわ、また来ましょうね」
笹倉とは駅で別れ、早苗と並んで帰路に着く。駅前は人が多く、広場沿いには大通りも走っているので、車の通りも時間によっては激しい。
今はそうでも無いが、設置された時差信号は、車の有無に関係なく一定の間隔で赤と青を切り替えていた。
そんな大通りの横断歩道に差し掛かった時だった。
「どけどけどけっ!」
大声を上げながら後ろから男の人が走ってくる。彼の後ろには黒服にサングラスというハンター風の集団がいるのが見えた。
男は後ろを気にしながら走っていたからか、俺の存在に気が付かず、そのまま突進してくる。
「うっ……」
肩に鋭い痛みが走り、思わず右手に持っていたドーナツが入った箱を落としてしまう。運悪くそれを男が大通りへと蹴飛ばしてしまった。
その直後、黒塗りの高級車が男の行く手を塞ぐように白線の上で停車する。
「ああっ……!」
「あわわ……」
俺と早苗はほぼ同時に口元を押えた。高級車のタイヤの下に、ぐちゃぐちゃに潰されたドーナツが見えたから。
「くそっ!」
逃げてきた男は前も後ろも塞がれ、新たな逃げ道を探し始める。右へ左へ、キョロキョロと動いた視線はやがて、すぐ近くにいた俺……ではなく、その隣の早苗の姿を捉えた。
「こうなったら……!」
男は肩を抑えていた俺を突き飛ばすと、早苗の腕を掴んで無理矢理引き寄せる。そして――――――。
「ひっ!?」
彼女の喉元へポケットナイフを突きつけた。
「さ、早苗っ……くっ……」
慌てて助けようとするも、突き飛ばされた時に足首をやってしまったらしく、立とうにも右足に力が入らない。
相手は武器持ちだ。片足だけで勝てるとは到底思えない。
「こいつが殺されたくなかったら、俺を見逃せ!」
男は汚い喚き声を上げながら、追っ手である黒服たちへナイフを向けた。この人達は一体何者なんだ……?
人質を取られるという予想外な出来事に、流石の黒服たちも手を出せないらしく、少しずつ後ろへ後ずさりしていく。
警察を呼んでも、到着までに数分はかかるだろう。それまでに早苗が傷つけられることは、十二分に考えられた。
つまり、頼りになるのはこの場にいる人間と、自分自身だけ。どこかに早苗を無事助け出す方法は―――――――――。
俺が頭をフル回転させようとした、その時だった。
「女を人質にとるなんざ、漢のすることじゃねぇよなぁ?」
早苗を人質にとった男の背後。彼の行く手を阻んだ黒塗りの高級車の扉が開き、その中からスーツの男が現れた。
顔はイカつく、身長はゆうに2mはあるんじゃないだろうか。それだけに肩幅も大きく、その冷たい瞳で見下ろされれば、オオカミすら森へ帰って行ってしまうんじゃないかと思ってしまうほどの、得体の知れない威圧感のようなものがあった。
「金を返せない、それまでならまだかわいいもんだ。人様を巻き込んだら、それはもうてめぇだけの問題に収まらねぇだろ」
その巨体が一歩踏み出す度、大地が揺れるような気がした。いや、正確には彼の放つオーラのようなものに、俺の脳が混乱しているのだが。
「ひ、ひぃぃぃぃぃ!?」
ついに巨体の男が目の前まで来ると、逃げてきた男は早苗を掴んでいた腕を離し、その場で腰を抜かして倒れてしまう。
「てめぇがどれだけ無様な人生を送ろうと、知ったこっちゃねぇよ。でもな、人様に迷惑をかけるのだけは許さねぇ」
巨体の男は、その太い腕で腰抜け野郎の首元を掴むと、そのまま軽々と黒服たちのいる方向へと投げ飛ばした。
「ひぇぇぇぇぇぇ!?」
空中でクルクルと回転した男は、見事黒服たちにキャッチしてもらい、そのまま胴上げ状態で運ばれていく。
きっとあのまま怖い所へ連れ去られるのだろう。自業自得と言えばそれまでの話だけど。
「ひぐっ……うぅ……」
男が離れて緊張が解けたからか、早苗はその場に座り込んで泣き出してしまう。
「さ、早苗っ……大丈夫か?」
痛む足を何とか動かして、彼女の元へと駆け寄る。
「怖かったよぉ……」
俺の胸に顔を押し付け、プルプルと肩を震わせる早苗。俺は彼女のそんな姿を見て、己の不甲斐なさをしみじみと感じた。
「助けられなくてごめんな……」
「うぅ……ぐすっ……」
頭を優しく撫でてやると少し落ち着いたようだったが、心の傷は深いらしく、完全に吹っ切るまでには至らなかった。
「坊主」
「は、はい……」
男に呼ばれ、相変わらず冷たい瞳を見上げる。
話の内容から察するに、お金を返してもらうために腰抜け野郎を捕まえただけだろうが、ついでだとしても早苗を助けてくれたのだから、悪い人ではないと思うのだが……。
「大事な人も守れねぇんじゃ、漢失格だ。今回は大丈夫だったかもしれねぇが、次はわからん。その手、二度と離すんじゃねぇぞ」
「……」
俺が無言で頷くと、男の眉間がピクリと動く。
「自己紹介がまだだったな。私は
「……サバ缶組?」
その名前、どこかで聞いたことがあるような……と思考を巡らせていると、記憶の中の一点へとたどり着いた。
そうだ、南が持っていた名刺の……。
「ああ、隣町で活動しているギャングのサバ缶組だ。坊主も聞いたことくらいはあるだろぅ?」
「え、えぇ……聞いたことくらいは」
目の前にいるのがあの有名なギャングのトップ……あまり現実味がないというか、実感が湧かないというか。
てか俺達、なかなかに危ない状況なのでは?
「さっきは私達の仕事にお嬢ちゃんを巻き込んじまって悪かった。こんな謝罪程度じゃ、その心の傷は癒えないかもしれねぇが……」
仁さんは丁寧に頭を下げてくれる。こんな反社会勢力の塊みたいな人に頭を下げさせて、後で謝罪費みたいな請求が来たりしないだろうか……。
「い、いえ、謝るのは俺達の方です。手間を掛けさせてしまって申し訳ありませんでした」
悪いのはあの腰抜け野郎だが、ここはこちらも謝罪しておくべきだろう。じゃなきゃ、身の危険も考えられるし。
だって、俺たちの後ろには既に、20人ほどの黒服が立っていたから。
……いや、怖くないか?ギャングの頭を目の前にして、背後には黒服たち。何か機嫌を損ねてしまうようなことをすれば、あの腰抜け野郎と同じように連れていかれるかもしれない。
そうなれば、もう二度と太陽の光を浴びることが出来なくなる恐れだってある。地下牢獄行きで、1000年間労働を命ぜられるかもしれない。
それだけは何としても避けなければ――――――――――――――。
「おい、お前ら!アレは持ってきたか?」
仁さんが黒服たちにそう聞くと、彼らは綺麗に揃って頷く。
「なら、ここに持ってこい!」
仁さんのその一声で動き出した黒服たち。彼らが運んで来たのは、怪しい箱……いや、『Miss Donut』のロゴの入った箱だった。
それが1つや2つではなく、全部で40箱。俺たちの前に敷かれたレッドカーペットの上にドンと置かれる。
「え、えっと……これは?」
俺が震える声でそう聞くと、仁さんはそれまで一切変化の見えなかった表情をニッと緩め……。
「私の車がドーナツを食っちまったみたいだからな!詫び石ならぬ、詫びドーナツってやつだ!」
どこかで聞き覚えのあるようなセリフと共に、赤信号の前で豪快に笑って見せた。
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