第196話 俺は(偽)彼女さんに勘違いされたい

 麦さんとの話が終わったあと、少しだけ子犬と戯れてから、俺と早苗は家に帰った。犬と幼馴染が戯れている様は、なんとも心を癒してくれる光景だったな。

 ただ、またすぐに胃が痛くなるようなことが待ってるんだけど。



 翌日、俺は朝イチで笹倉を空き教室に呼び出した。麦さんの話を他の誰かに聞かれる訳にも行かないからな。

 少し遅れてやってきた笹倉が、腕を組みながら目の前まで歩いてくる。

「笹倉、あのさ―――――――――――」

「言わなくてもわかってるわよ」

 彼女は俺の言葉を遮るようにそう言った。思わず「え?」という声が漏れる。

「昨日の碧斗くんの様子と話題になってるニュース。これだけの材料があって、私が気付かないと思った?」

「……まあ、思ってたな」

 笹倉は俺の返事にクスリと笑うと、「私のことを見くびりすぎよ」と肩に手を置いてきた。そして、小さくため息をついてから、俺の顔を覗き込むようにして言った。

「碧斗くん……あの女に弱みを握られてるんでしょ?」

「……は?」

 弱み?握られた覚えなんてないけど……。むしろ俺の方が握ってる気もするくらいだ。

「きっと脅されて付き合うことに……私に申し訳なくて言えなかったのね。いいのよ、私を頼ってくれても」

 笹倉は「よしよし、大丈夫だからね」といいながら俺の頭を何度も撫でてくれる。その心地良さのせいでもうしばらくこのままでいたいなんて思ってしまうが、彼女の盛大な勘違いは正しておかないとな。

「俺、弱み握られてないぞ?」

「…………」

 あれ、笹倉が固まった?目の前で手を振ってみても、ほっぺをつんつんしてみても反応がない。ただの屍のようだ。

「弱み……握られてないの?」

「ああ、全く」

 俺が首を横に振ると、彼女も真似っ子のように首を横に振る。心做しか目から光が消えているような……。

「そ、そうだわ。弱みを握られていることも言えないほど脅されてるのね!そうに違いないわ!」

 どうやら笹倉は、どうしても俺が弱みを握られていることにしたいらしい。俺にある弱みといえば、早苗を押し倒し―――――――――いや、やっぱりなんでもない。

「大丈夫、ここなら誰にも聞かれないわ。本当のことを話して?私たち、恋人でしょう?」

 俺の両肩を掴み、目の奥を覗かれそうなほど顔を近づけてくる彼女。ここまでくると逆に怖いな。

「だから……脅されてないんだよ。あの人は俺の知り合いで、結婚したくないから彼氏演じろって言われたんだ」

 申し訳なさそうに話そうと決めていた内容を、ここで全部言っちゃったじゃねぇか。こんな言い方で笹倉が許してくれるかどうか……。

「知り合い……?彼氏、演じ……へ……?」

 笹倉はふらふらと数歩後ずさると、その場に座り込んでしまった。

「だ、大丈夫か?」

 慌てて体を支えてやるも、そこには気力は皆無。手を離せばぐったりとしてしまいそうなほど脱力していた。

「だ、大丈夫……だから。彼氏を演じるだけなのよね、それなら大丈夫だから……」

 笹倉は壊れたロボットのように「大丈夫……大丈夫だから……」と繰り返し始め、ついには目を閉じて眠ってしまった。

 人ってショックを受けすぎると寝ちゃうんだな。

 こんな場所に放置する訳にも行かないので、彼女を抱えあげて保健室まで運んだ。いわゆるお姫様抱っこってやつだな。

「……う、おもっ」

 持ち上げた瞬間に思わずそう口にしてしまった。早苗と違って身長が高いからな。事実として軽い方ではあるが、帰宅部の俺に女の子はやっぱり重い。

 聞かれてなくてよかったと心から安心した。



 保健室に入ると、先生が見当たらなかったため、勝手にベッドを使わせてもらうことにした。今は2つあるうちのちょうど片方が空いているらしい。

 笹倉をそっと寝かせ、胸まで布団をかけてやる。すると、寝言で何かを呟き始めた。

 人の寝言に返事をしてはいけないとはよく言うが、聞いてはいけないルールはないもんな。俺は彼女の口元に顔を寄せ、その内容に耳を澄ませた。

「碧斗……くん……演じ……うぅ……」

 やっぱりかなりショックだったんだな。悪いことをしてしまった……。

「唯奈……嘘つき……弱み……握られてない……」

 こんなにハッキリと内容がわかる寝言ってあるんだな。彼女の様子がおかしかったのは、唯奈がデマを吹き込んだからだったのか。一度叱っておくべきだな。

「ごめんな、笹倉」

 俺は謝罪の気持ちを込めて頭を優しく撫でてやる。するとそのおかげか、彼女の表情が少しだけ和らいだように見えた。


「……関ヶ谷くんと笹倉さんは相変わらずラブラブね」

 突然後ろから声をかけられ、反射的に振り返る。だが、視界に映るのは白いカーテンだけだ。

「私よ、私」

 この声、聞き覚えがあるぞ。薫先生の声じゃないか?

 そう思った直後、隣のベッドを覆っていたカーテンが少しだけ開き、中から薫先生が顔を出した。隣で寝てたのは彼女だったのか。

「そんなところで何してるんですか。ていうか、そこって教師が寝ていい場所なんですか?」

 顔色を見るに、彼女は十分元気そうだ。まさかここに寝泊まりしたとかじゃないよな?

「安心しなさい、昨晩は家で寝たから。今は保健室で風紀を乱す男女が居ないかを監視していたところよ」

「もっとタチ悪いな!」

 教師のくせにコソコソ何やってんだよ。てか、保健室でそんなことする奴いるのか?居たら相当の勇者だろうな。

「ちなみに、保健室の先生はしばらく帰ってこないわよ。監視するのに邪魔だったから、更衣室に閉じ込めておいたもの」

「今すぐ助けに行くぞ。で、謝れ」

「ちょ、い、痛い!前髪掴まないで!普通に痛いから!」

 保健室の先生がいなければ、笹倉を1人で置いておくことになってしまう。授業に遅れる訳にも行かないからな。

 俺は薫先生を引きずるようにしながら、教員用更衣室まで早足で向かった。

「髪が抜ける!前髪禿げちゃう!」

「なら自分の足で歩けよ!」

 この人、よく教師になれたよな。人間性の評価はなかったのだろうか。



 薫先生に謝らせた後、保健室の先生に笹倉のことを任せ、俺は教室へと戻った。別クラスで1時間目の授業を持っている薫先生もついでに引きずっていく。

「薫、授業したくない!保健室で寝てたい!」

「子供じゃないんですから駄々こねないで下さいよ……」

 まったく、この人はよく大人になれたな。まあ、なったのは外見だけみたいだけど。

 さすがに他の生徒の前でだらしない姿は見せられないらしく、途中からは凛々しい顔つきに変わっていたが、そろそろ本当の自分を見せる努力を始めて欲しいところだ。

 いつまで厳しい先生を演じるつもりなのだろうか。


 薫先生を送り届け、自分も教室に戻ると、ちょうど予鈴がなった。唯奈に文句を言うのは後にして、先に授業の準備をしよう。

 そう思ってロッカーに向かう途中、早苗が横から聞いてきた。

「笹倉さん、麦さんとのことOKしてくれた?」

「ああ、OKしてくれたぞ。なんか倒れたけど」

「た、倒れた!?」

 俺はそんな驚いた表情をする彼女の横を通り過ぎて自分のロッカーを開く。準備中も早苗は「ねえ、大丈夫なの?ねぇねぇ……」としつこく聞いてきた。

 なんだかんだ、こいつにとっても笹倉が居るのが当たり前になってるんだな。ちょっと嬉しく思えてしまう。

 昼休みまで戻ってこなかったら、2人で見舞いに行ってやるか。


 結局、2時間目には戻ってきたけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る