第170話 俺は腹黒アイドルさんの頼みを断りたい

「どうしてダメなのですか!」

 バンッ!と机を叩きながら、そう声を上げる雲母さん。彼女は下唇を噛みしめながら、納得できないとばかりに不満そうな表情を見せた。

 なぜこの状況になったのかを説明すると、俺は別棟にあるこの『イベント準備室』という場所で、先程雲母さんからのお願いを丁重にお断りしたのだ。その内容というのが……。

「『学校の近くで行われるハロウィンイベントに参加して欲しい』なんて、面倒じゃないですか」

 そもそも、俺はイベント事に参加するタイプじゃない。観客Aとしてヘラヘラと笑いながら見ていたい人間なのだ。

「このままじゃ参加人数が集まらなくて、私と紅葉ちゃんも出られなくなるんです!どうかこの通りですから!お願いします!」

 雲母さんはそう言って靴を脱ぐと、机の上で土下座をし始めた。誠意は伝わってくるが、お行儀はよろしくないな。

「いや、なんと言われても無理です。あんなパリピがやるようなイベント、俺の体に合いませんから」

 包帯ぐるぐる巻きの男や、ドラキュラコスの女に会ったらどうする。俺は多分言っちゃうぞ?『張り切りましたねw』って。うぷぷぷって笑っちゃうけどええんか?

「私たちが出れなくなったら、歌を楽しみにしていた人達が来なくなっちゃいます。イベントで集まったお金は病気の子供たちのために寄付される予定なんです。もしそれがゼロになってしまったら……」

「雲母さん……」

 病気の子供というワードは人の心をこんなにも揺らすのか。そんなことを聞いたら、助けてやりたいという気持ちにはなってしまう。なにせ、雲母さんがイベントに出たいのは自分自身のためではなく、困っている知らない誰かのためなのだから。

「分かりました、参加はさせてもらいます」

「本当ですか!?ありがとうございます!」

 彼女はキラキラとした笑顔を見せると、よし!とガッツボーズをしながら机から降りた。腹黒キャラの割に、かなり子供が好きなんだな。ちょっと意外だ。

「でも、俺に見せられる特技なんてないんですけど……どうしたらいいんですか?」

「何かないんですか?歌とか、瓦割りとか、札束ビンタとか」

「最後のだけ特技じゃないですよね」

 札束で殴ってるだけじゃねぇか。いや、それが出来るまでの過程は才能かもしれないけど、俺は可能でも殴りたくはないな。

「特技がダメなら努力で行きましょう!当日は熱々のおでんを用意しておきますね!」

「努力っていうか、体張らせようとしてません?」

 湯気の出た大根を頬に押し付けられる光景が浮かんでくる。俺はMじゃないから、そういうのは普通に遠慮したい。

「それとも熱々のお風呂が良かったですか?」

「悪化してますよね」

 頬だけじゃ済まなくなるよ。体を張るくらいなら、札束ビンタの方がマシだな。痛い目を見るのは俺じゃないし。

「じゃあ関ヶ谷さんには何が出来るんですか?参加するからには楽しませてもらえないと……」

「楽しませる……ですよね。イベントですし」

 確かに他の人が観客を盛り上げても、俺がつまらなければみんなはイベントに対してつまらないという印象を持ってしまう。ある程度の盛り上げを維持することが最低限というわけだ。

「じゃあこうしましょう。笹倉さんと私と観客の女性に手伝ってもらって、その中から笹倉さんの胸を揉み見分けするというのは……」

「却下です。それで楽しめるのは変態おじさんとあなたくらいですよ」

 おじさんというワードに少し傷ついたのか、雲母さんはシュンと肩を落とす。だが、すぐに元気を取り戻すと「じゃあ胸じゃなくてキスで!」と提案してきた。もちろん却下だけど。

「そもそも俺は笹倉の……む、胸?触ったことないですし、見分けるとか無理ですよ」

 タオルと服越しになら一度あるが、あれはこぼれた飲み物を拭いただけだし……。

「じゃあ、イベントまでにたくさん触ればいいじゃないですか。彼女さんなんですよね?そろそろ踏み出す時期ってことですよ」

 いや、いくらなんでも高校生にそれは早すぎるだろ。この先輩も後輩に何を勧めてんだ。そう文句を言ってやろう思っていると、彼女はグッと身を乗り出して顔を近づけてくる。いきなりのことに驚いている俺の耳に、彼女の吐息がかかった。

「なんなら私のも触っていいんですよ?見分けるためにはサンプルは多い方がいいですからね」

 囁くような声に、思わず背筋がゾワッとする。

「な、何言ってるんですか。とりあえずその案は却下で――――――――――」

 気まずくなった俺は話を変えようとするが、彼女はそれを許さない。

「私、関ヶ谷さんのことかっこいいなって思ってたんです。文化祭で転びそうになった私を受け止めてくれたから……」

 そう言えばそんなこともあったな。ステージの上で緊張しすぎた彼女は、何も無いところでつまづいて転びそうになったんだ。それを何とか滑り込んで受け止めたのだが、あの時、雲母さんの様子がおかしかった理由ってまさか……。

「今、2人きりですよ?先輩である私のことを好きにできるチャンスは、今しかないと思うのですが……」

 チラチラと視線を送りながら、自らのシャツのボタンに手をかける雲母さん。俺だって男だ、こういうことに興味はある。

 それに腹黒キャラの部分を除けば、雲母さんは魅力の塊だ。2人きりでこんな風に言われてしまえば、理性なんて軽く吹っ飛んでしまう。踏ん張る足もグラグラと揺らいでしまう。

 だが、俺はここに付け足させてもらいたい。


 ※俺に好きな人がいない場合に限る。


 俺はボタンを外そうとする雲母さんの手を掴んだ。そしてゆっくりと首を横に振る。

「雲母さんの気持ちは嬉しいですけど、俺には大切に思う相手がいます。ありきたりなセリフですが、俺には大切な人を裏切るなんてできません」

 あまりにハッキリとした拒絶だから、ビンタくらいはされても仕方ないと思った。彼女が俺のことを好きならば、その悲しさや悔しさを吐き捨てる場所は俺であるべきだろうから。でも……。

「ふふっ、冗談ですよ?本気にしちゃいました?私、アイドルですからそもそも恋愛禁止ですし〜♪」

 彼女はケラケラと笑いながら、開けかけのボタンを留め直す。そして「少し御手洗に行ってきますね」と言うと、俺の横を通って部屋から出ていった。

「冗談……か。それならいいんですけどね……」

 でも、俺は確かに見た。彼女の目の端に溜まる悲しみと悔しさの実体を。彼女が無かったことにするというのなら、俺も忘れることにしよう。嘘にしてしまいたいなら、俺もその嘘を鵜呑みにしよう。

 雲母さんが帰ってくるまでの数分間、俺は誘いに乗らなかった事への安堵と共に、断り方を間違えたかもしれないという後悔の念もひしひしと感じていた。



 一方その頃、小森家では。


「笹倉さん、反省文書かなくていいの?」

「ええ、帰ってからでも十分書けるわ。あんなもの、上っ面だけの反省を並べればいいだけだもの」

 そう言いながら、笹倉はお菓子を1つ口に運ぶ。

「さすが万年上っ面女……」

「……何か言ったかしら?」

「な、なんでもないですっ!」

 鋭い目で睨まれて、部屋の隅に逃げる早苗。

「ふぅ、まあいいわ。下っ面を隠してたのは本当のことだもの」

「ん?笹倉さん、何か言った?」

「いいえ、なんでもないわ。それにしてもこのお菓子美味しいわね、今度買ってみようかしら」

「食べすぎて太っちゃえばいいのに……」

「小森さん?それは許されないわよ?」

「ご、ごめんなさぃぃぃぃぃ!」


 彼氏及び幼馴染が危険な目にあっていたとも知らず、日常の風景が流れていた。

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