第152話 俺は名言を完成させたい

「さっき『さあやちゃん』に会ったのよ」

「…………え?」

 一瞬、聞き間違いかと思った。咲子さんはさっきまで、近くのスーパーに買い物に行っていたはず。つまり『さあや』とあったということは、彼女がこの辺りにいた事になる。

「まあ、帽子を深く被っていたから顔は見えなかったけどね。最後に会ってから時間も経ってるし、私は彼女の声を覚えていなかったんだけど、あの子が『さあや』だって名乗ったから間違いないわ」

 咲子さん同様に、『さあや』自身も咲子さんには何度か合っているので、顔を覚えていても不思議じゃない。咲子の顔はそこまで昔と変わってないからな。

「『さあやちゃん』、碧斗君のことを楽しそうに話してくれたわよ?」

「……どんなことを?」

 俺は気になって、そう尋ねてみた。咲子さんは思い出すためか、少し首を捻ったあと、また口を開く。

「そうね。碧斗君がずっと木登りできなかったこととか、ホースで水をまこうとしたらおじいさんにかかって怒られたこととか。それから……」

 ああ、そういえばそんなこともあったな……。あんまりいい思い出があるわけじゃないみたいだけど。

「それから……なんだっけ?」

「しっかりしてくださいよ……」

 そういう風に言われると、気になっちゃうじゃないか。今から探しても、『さあや』はもう移動してるだろうし、話を聞くのは無理だからな。

「あ、思い出した」

「なんですか?教えてください」

 俺が詰め寄ると、咲子さんは「確か……」と少し眉をひそめる。なんだか嫌な予感がした。


「やっぱり忘れちゃった!てへぺろっ♪」


「……は?」

 彼女はぺろっと舌を出して、軽く握った右手で頭をコツンとやった。もちろんこんなおばさんがやっていい所行ではない。だが、俺が怒りを感じたのはもちろんそこではなかった。

「期待させといてなんなんですか。あんたはんの脳みそ取り出して、抽出液から記憶捻り出したろか?」

 エセ関西弁っぽくなった口調から本気の怒りを感じ取ったのだろう。咲子さんは「すみませんすみません!本当にど忘れしたんです!」と何度も頭を下げ、素早くドアの方へと避難。ドアを開いて向こう側に隠れると、顔だけを出してこちらを見た。

「お、思い出したら言うから!ね?だから落ち着いて?ノートを丸めて振り上げるのはやめましょう?」

 そう言われて、俺は仕方なくノートを机の上に戻す。咲子さんが飴玉が出てくる馬の形のくす玉なら叩いたが、どれだけ強く叩いたところで、飴玉も記憶も出てこないんじゃ、そこに意味は無いからな。俺がただただ、少しスッキリするくらいだ。

 それで十分かもしれないけど、下の階には茜と葵がいる。教育上よくないのでここは我慢だ。

「わかりました、思い出したら教えてください」

 ここまで期待させておいて、しょうもない事だったらさすがに手が出ると思うけど。

「た、助かった……。と、とりあえず、名言は『さあやちゃん』に向けて作ることをおすすめするわね」

「はいはい、参考にさせてもらいますよ」

 俺はそう言いながら、机の前に座り直した。それを見た咲子さんは。

「完成したら見せに来てちょうだい。私も小説家だし、ワードチョイスの指摘くらいは出来ると思うから」

 そう言って静かに扉を閉めた。色々と面倒臭い人だけど、なんだかんだ手伝ってくれるところが憎み切れないんだよな。

「『さあや』に向けて、か……」

 どうせ悩んでいたところだし、言う通りにしてみるのもいいかもしれない。

「よし、頑張るか」

 俺はペンを握り、紙の上を走らせた。



「ふぅ、危なかったわね」

 私はそう独り言をつぶやく。

 碧斗君はきっと、私が最後に言おうとしたことを覚えていない。彼は幼い頃の記憶が曖昧だから。

 いえ、これでは表現が少しおかしいわね。碧斗君は早苗とのことはちゃんと覚えているもの。彼が忘れているのは『さあやちゃん』との思い出の一部だけ。それも彼女とお別れした辺りの……。

「まだ伝えるべきではない……わよね」

 人間、知らない方が幸せなこともある。私にもそういうことがいくつもあるから、すっかり身に染みているのよ。

「あんな現実、私の口からはとても伝えられないわ……」

 私はそう呟いて、部屋の前を去った。



 2時間後。

「出来た!出来たぞ!」

 俺は飛び跳ねるように、早苗たちのいるリビングへと飛び込んだ。

「出来たって……課題のこと?」

 そう聞いてくる早苗に、大きく頷いて見せる。すると、案の定彼女は見せて欲しいと言い出した。俺も彼女のを見たんだし、ここは少し恥ずかしいが見せるべきだろうとノートを手渡す。

 俺が書いたのは、こんな名言だ。


『時間とは残酷で、仲の良かった2人も、合わない時間が長ければ、その関係は変わってしまう。

 しかし時間とは優しいものでもあって、仲の悪かった2人さえ、同じ時を過ごせば自然と仲良しになったり、関係が深くなったりするものだからだ。』


「これって……後半は私の事?」

「ああ、早苗と笹倉のことだな。お前も初めは俺の事怖がってただろ?俺だって、ここまでこの関係が続くなんて思ってなかったし」

 早苗は笹倉も含まれていることに不満を抱いたようだったが、すぐに別のことに首を傾げた。

「じゃあ、前半は?これは誰なの?」

 早苗は『さあや』と会ったことがないからな。そう言っても分からないだろう。なにか別の言い方はないだろうか……。

「まあ、もう一人の幼馴染ってとこだな」

 俺がそう伝えると、一瞬にして早苗の表情が変わった。

「な、なんですとぉぉぉぉ!?」

 ついでに口調も変わった。

「も、もう一人の幼馴染!?私以外にも居たですか!?」

「なんで敬語なんだよ、落ち着けって。もう引っ越しちゃって今は会えてないから」

 本当はもう帰ってきているようだが、いつ会えるかも分からないし、早苗を落ち着かせるためにも、ここはあえて嘘をついておいた。

「そ、それなら安心……いや、でもいつまた現れるか分からないし……アニメだと大体そういうのが強敵になったりして……」

 何やらブツブツ言ってはいるが、一応は平常心に戻ってくれたようだ。早苗が騒いだおかげで、テレビを見ていた双子たちも気になってこちらにやってきた。

「兄貴、やっと終わったのか?」

「あおにい、見たい……いいですか?」

 こんな双子にお願いされたら、俺も俺の中のお兄ちゃん神が断ることを許してくれなくなる。まあ、そもそも断るつもりは無いので、2人にもノートを見せてやった。

「まあ、兄貴にしてはよく出来てんじゃない?」

「私もこんなのが書けるようになりたいです……!ところで、これはなんて読むんですか?」

 茜はそっぽを向きながらもさりげなく褒めてくれるし、葵も尊敬の眼差しを向けてくれた。まあ、『残酷』って漢字が読めなかったみたいだけど。やっぱり少しだけおバカなところがあるな。そこもまた微笑ましいんだけど。

「じゃあ、完成したってことでみんなで遊ぶか!ゲームなんかどうだ?」

 俺が3人に向かってそう言うと、葵が「げ、ゲーム……」と視線を逸らした。早苗はあからさまに何かを隠しているように口笛を吹き始め(音は出ていない)、茜が遠慮がちに俺に寄ってくる。

「あの……兄貴様……ちょっとよろしいですか?」

「なんだ、茜。お前が敬語なんて珍しいな」

「いや、その……大変お聞きしにくいのですが……ゲームとやらはこちらの品で間違いないでしょうか?」

 そう言って茜が服の中から取り出したのは、間違いなく俺の部屋にあったゲームだ。でも、小学五年生の女の子が手に持っていいものでないことは確かだ。

「お前、ど、どうやって……!?」

 はっきり言おう。このゲームは18禁のエロゲーだ。前に早苗に見つかったもののような、ホラー展開の18禁ではなく、ガチモンのエロゲ。少し前に注文して置いたのが届いたので、こっそり自分の部屋に隠しておいたのだが……。

「早苗が『ゲームならあおくんの家に沢山あるし、いくつか借りてこよう!』って言って取ってきたのがこれだったんだけど……」

 心做しか、茜の俺を見る目が冷たい気がする。いや、茜はいつもと変わらないか。

「あおにいも男の子ですからね……うん、ですからね……」

 それよりも葵の悲しそうな目の方が、心の深くまでグサグサと突き刺さってくる。そんなめで俺を見ないでくれ……。

 そして、早苗はというと……。

「あおくん、反省したまへ!エッチなゲームなんて買うからこうなるんだゾっ♪」

 ヘラヘラと笑いながら親指を立ててくる。その瞬間、俺の中でプツッという音が聞こえた。

「早苗、明日起きたら覚えとけよ?ホラーゲームクリアするまで部屋から出られないようにしておいてやるから」

「勘弁してくださいお願いします」

 土下座して足を舐めようとしてきたから、仕方なく許してやることにした。いとこ2人から冷たい目で見られたのに、だぞ?やっぱり俺って幼馴染に甘いよな。

 葵と茜には、2時間くらい近づかせて貰えなかったけど。



 その後、咲子さんに提出したところ、以下のように手直しされて戻ってきた。


『時間とは悪魔のようだ。

 限りなく仲の良かった2人さえ、悪魔が膨れ上がれば上がるほど、その囁きによって疎遠になってしまう。

 しかし時間とは天使のようでもある。

 互いに未知であっても、天使が微笑み続けることで、かけがえのない存在へと変わることもあるからだ。』


 あれ……なんかもう別物じゃね?

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