第140話 俺は白衣の少女のお願いを聞きたい

「これは……こうか?こっちはこうで……」

 結局、無理矢理脱がされる状況から脱するため、ちゃんと自分で着替えるということを条件に、魅音らには反対側を向いて待っていてもらった。

 着てみるとサイズが何故かピッタリだったことに驚いたのだが、それ以上にスカートの穿き方を知っていた自分に驚いた。

 何かのアニメで、『スカートは上からじゃなくて下から穿くものだ』という知識は持っていたが、こんなにすんなりと穿けるなんてな……。

 まあ、とりあえず言われた通り着るものは着たし、あとは魅音らに見せれば開放される……と思ったのだが、手提げカバンの中をよく見てみると、何かもうひとつ入っているじゃないか。

 それを取り出してみれば、出てきたのは黒い塊。軽く揺すってみると、まとめられていた細い物がファサッと重力に従って下向きに垂れた。

 これは…………黒髪ストレートのウィッグだ。

 こいつら、まさかこれまで着けろというのか?確かにこの短い髪では無理があるかもしれないが、何もここまでしなくてもいいんじゃないだろうか。そもそも、俺はこれの着け方すら知らないし……。

 一度魅音に助けを求めようかと思ったが、よく見てみるとウィッグの内側に紙が入っていた。飴でも入ってたら黒〇徹子さんだったんだけど、残念ながら紙一枚だけだ。

 折りたたまれたそれを開いてみると、見出しには『ウィッグの着け方』と書かれてある。俺のためにちゃんと用意しておいてくれたのか。……いや、どちらかと言うと着け方が分からないからと言って逃げられるのを防ぐためだろう。

 この女装計画、単純に見えて意外と深いところまで根を張ってあるんだよな……。

 俺は紙に書かれた手順通り、ウィッグを装着していく。こちらもやり方さえ分かれば意外と簡単だった。だが、本当の地獄はこれからだ。この姿を3人に見せなければならないのだから。

「すぅ……はぁ……」

 俺は何度か深呼吸をして心を落ち着かせた後、勇気を振り絞って声を出した。

「み、魅音。じゅ、準備できたぞ……?」

 その言葉を聞いた3人は、ゆっくりとこちらを振り返る。そして同じように目を見開いた。

「うわぁ……」

「こ、これは……」

「すごいわね……」

 吐息を漏らすように言葉をこぼす3人。俺、そんなにおかしいんだろうか……。

「あ、あんまり見ないでくれよ……」

 さすがにまじまじと見られると、恥ずかしすぎて耐えられない。初めて穿いたスカートだって、なんだかスースーして落ち着かないし。女子はいつもこんな無防備な格好をしてるのか?

「も、もういいだろ?着替えさせて―――――――」

 そう言って彼女らに背を向けようとした瞬間、魅音に腕を掴まれて止められた。

「…………」

 そして何も言わずに見つめてくる。その視線が俺の不安な心を煽ってきた。やっぱり、今の俺ってすごく変なんじゃ……。

 鼓動はさらに早くなり、今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られる。それでも魅音は腕をつかんだ手を離そうとはせず、ただただ俺を見つめていた。

「あ、あの、離して――――――――」

「可愛いです!」

「……へ?」

 離してくれと言おうとした矢先、その声を遮るように魅音は言った。いつの間にかキラキラと輝かせていたその瞳で見つめながら、俺に向かって『可愛い』と。

「先輩、すごく似合ってます!予想以上です!」

「そ、そうか……?」

 女装が似合っているというのは、果たして褒め言葉として受け取ってもいいのだろうか。まあ、魅音が悪い意味でその言葉を言うはずはないし、素直に喜んでもいいのかもしれないが……。

「…………」

 音もなく近づいてきて、舐めるようにつま先から頭のてっぺんまで見てくる天造さんのせいで、どうも気持ちが引けてしまっていた。

 薫先生に関しては、スマホで写真を撮り始めてるし。すごく嬉しそうな顔をしているところを見ると、彼女の危ない性癖が垣間見えるな。男子は苦手なくせに女装男子は好物とか、どんな頭してんだよ。

 しばらくの間俺を観察した天造さんは、うんうんと頷いた後、メモ帳に何かを書き込んでから、俺の方に視線を戻した。

「先輩、ありがとうございました」

「あ、ああ……満足してもらえたか?」

「はい、とても満足です」

 彼女はそれまで無だった表情に色をつけたように微笑みを見せた。なんだろう、これを見れただけで頑張った甲斐があるように感じれてしまう。

「天造さん、ひとつ聞いてもいいかな?」

「なんですか?」

 カクっと首を傾げた彼女に俺は、魅音から女装を所望している友達がいると聞いた時から抱いていた、とある疑問をぶつける。

「どうして女装が見たかったんだ?」

 それが彼女の性癖だと言われればそれまでだが、彼女の俺を見る眼はそうではないように思えた。こう、楽しんで見ていると言うよりかは、目の前のものをじっくりと観察して確かめているような。薫先生の眼とは明らかに違っていたのだ。

「それは……秘密です」

 彼女は少し言葉にするのを躊躇い、そして隠した。普通ならここで問い詰めたいところではあるが、俺のその考えは彼女の「いつかわかりますよ」という言葉によってかき消されてしまう。

「じゃあ、分かる時を楽しみにしてるよ」

 俺が微笑んで見せると、彼女もまた、僅かな表情の変化を見せてくれた。

「では、私はこれで失礼しますね」

 天造さんはお辞儀をすると、空き教室を後にした。俺も早苗を待たせっぱなしにしていたことを思い出し、慌てて着替えようと制服を置いた場所に目をやる。

「…………あれ?俺の制服は?」

 だが、そこにあったはずのものはきれいさっぱり消えていた。慌てて周りを見回せば、薫先生がニヤニヤ顔でこちらを見つめていることに気がつく。よく見てみれば、その腕の中には男子生徒用の制服があるではないか。

「ふふっ♪関ヶ谷君、今日はその格好で帰る事ね!これは私が預かったわ!」

「お、お前!」

 こいつ、いきなり何考えてんだ!?クソ教師にも程があるだろ!

「早く返せよ!」

 急いで彼女に詰め寄るも、彼女は俺をひらりとかわして教室の反対側へと逃げる。

「ダメよ?今日のあなたは女装して帰ってもらうんだから、これは担任命令よ!」

「んな命令、聞けるかアホ!」

 もう見繕った敬意も付け足した敬語もクソもあるか。今は制服を取り返すのが第一優先事項だ。俺は逃げる彼女を追いかけ、制服に手を伸ばした。だが――――――――――。

「学生時代、1ヶ月だけ所属していたカバディ部の力を舐めるんじゃないわよ!」

 薫先生は左に避けるとフェイントをかけた後、自然な動きで右側へと体をスライドさせた。

「あ、ちょ、先生!」

 俺は呆気なくかわされてしまい、急いで襟首を掴もうとするも、その手は空を切っただけだった。

「ふははは!私の方が一枚うわてだったようだねぇ!」

 既にキャラがかなり崩壊している彼女は、俺の制服をしっかりと抱えたまま、空き教室の扉を開いて飛び出していってしまう。

 俺もそれを追いかけて扉までは駆け寄るも、思い切って外に出ることが出来なかった。ここから出てしまえば、俺が女装していたことがバレてしまう。頼まれてやったなんて言っても、きっと信じてもらえないだろうし……。

 そんなふうになよなよと躊躇っていると。

「……っ!?」

 いきなり背中を押された。振り返るとそこには、両手を突き出したポーズの魅音が立っていた。

「今行かないと手遅れになりますよ?急いでください!」

 両手をぎゅっと握りしめて、「ファイトです!」と力強く言う彼女。足元を見てみれば、俺の体は既に廊下に出ていた。

「ああ、助かったよ。ありがとう!」

 彼女のおかげで一歩目を踏み出せた俺は、そのまま二歩目を踏み出す。一歩目が一番大変だという言葉は、間違いじゃないらしい。やってしまえば案外簡単なことって、意外と多いもんな。

「薫先生、まちやがれぇぇぇぇぇぇ!」

 俺は乱れるスカートと揺れるウィッグを押さえながら、制服泥棒を全力で追いかけた。



 その日、この学校に伝わる都市伝説の『ブロンドちゃん』に新たなストーリーが追加された。


『ブロンドちゃんには、友達の黒髪ちゃんがいる』と。

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