第138話 (男)友達は昔の話をしたい
『その日から俺は、親に遊びに行くと嘘をついて、度々おじいちゃんに会いに行くようになる。
おじいちゃんは噂とはかけはなれた優しい性格で、いつも俺を笑顔で出迎えてくれた。
今思えば、あんなにもいい人がひとりぼっちでいることに、納得ができなかったのかもしれない。できる限り話し相手になってあげたい。おじいちゃんに寂しそうな顔をさせたくない。そう思っていたのかもしれない。
でも、それはきっとあくまで、高校生になった俺自身の後付けでしかないとも思う。過去の記憶を美化してしまうのは、人間が真っ直ぐに生きるための性だからな。
だから、そんなものを全て取り払ったとしたら、『おじいちゃんが面白い話をしてくれるから』だとか、『美味しいお菓子を出してくれるから』だとか。そんな子供らしい理由しか残らないんだと思う。
カッコつけた大義名分なんて、持ち合わせているような小学生じゃなかったしな。
まあ、細かい部分は飛ばすとして、その日も俺は、いつものようにお菓子を頬張りながら、おじいちゃんの話を聞いていた。
その日はいつものような童話のようなものではなく、おじいちゃん自身の体験談だった。その内容はこんな感じだ。
おじいちゃんには、数十年間一緒だった奥さんがいた。でも2年前、彼女は病に倒れ、そのまま他界。子供もいなかったため、おじいちゃんはひとりぼっちになってしまった。
それまでは庭に入ろうとしたり、塀に落書きをしたりする子供を怒鳴ったりしていたために、近所では怖いおじいさんと言われるまでになっていた。
だが、奥さんの居ない静かな空気や、生活の全てを一人でこなさなければならない大変さから、徐々に気が滅入るようになっていき、病は気からという言葉通り、そのせいで倒れたりすることも度々あった。
そんなある日のこと。
奥さんと一緒にお茶を飲んだことを思い出しながら、縁側へと腰掛けていると、ふと覗いてくる視線に気がついた。幼稚園生くらいの……女の子だろうか?すごく整った顔立ちの子が立っていた。
自分と目が合ったとわかった瞬間、その子は走って逃げてしまった。怖いおじいさんの噂は、あんな小さな子にすら伝わっているらしい。それを目の当たりにすることで、今までの自分の行動を後悔したけれども、今更遅いんだと諦めてため息をついた。
いくらか月日が経った頃。縁側でお茶を飲むのも習慣づいてきて、そしていつの間にかランドセルを背負うようになったあの子と目が合うのも、当たり前の事になっていた。
今日こそは優しく微笑みかけてやろう。そうすればきっと心を開いてくれる。別に何かをして欲しいわけじゃない。ただ、「おかえり」と言って手を振る相手がいてくれるだけでいい。そうすれば、まだ残りの人生を希望を持って生きられる気がしたから。
そう願って数日をすごしたが、なかなか勇気が出せず、何度もチャンスを逃してしまっていた。でも、ついにその時が来た。
「大丈夫かぃ?」
家の前で立ち止まっているあの子に声をかけたところ、転んで怪我をさせてしまった。慌てて立ち上がらせて、家に招き入れてから処置をしてあげる。
その子がいる間は焦っていたこともあって何も考えていなかったが、1人になってからようやく話しかけることができたことに気がついた。
でも、予定していた言葉やシチュエーションとはかけ離れていたため、その夜は心配で眠ることが出来なかった。
怪我をさせてしまったから、余計に怖がってしまうのではないか。もう覗き込んでくることもないんじゃないだろうか。
だが、そんな心配は文字通り無用だった。だって、次の日にはその子が、覗き込むだけではなく、庭にまで入ってきてくれたから。
「きのう、ありがとう……」とお礼の言葉を告げるために。
その子というのはもちろん俺の事だ。おじいちゃんは俺との出会いの話をしてくれたんだ。そして、おじいちゃんは言った。「こんな老人の寂しさを紛らわせてくれてありがとう」って。
どうして感謝されているのか、イマイチ分からなかったが、お菓子を食べて話を聞いただけでありがとうと言われたことが嬉しくて、俺は「これからもくるよ!」と言った。でも、おじいちゃんは首を縦には振らなかった。
「もう話もお菓子も無いんだ。明日からは来なくていいよ」
怒っている訳では無いことは、その声色と表情から読み取れる。その時のおじいちゃんはむしろ、心の底から悲しんでいた。
「その代わり、これを大切に着て欲しいんだ」
おじいちゃんはそう言うと、タンスを開けて、中から数着の服を取りだした。大きさからして自分も着れそうだが、どう見ても女の子用だ。
「これは、わしらの生まれてくるはずだった子供用に買ったものじゃ。でも、色々とあって必要なくなってしまったんじゃよ。君に似合うと思うから、ぜひとも着てくれないか?」
女の子の服が似合う……その言葉に疑問は感じたが、おじいちゃんの表情を見てしまうと、自分が男だとは言いづらかった。
「わかった!でも、あたらしいはなしがみつかったら、ぜったいにきかせてね!」
俺の言葉に、おじいちゃんはうんうんと何度も頷いてくれた。その目じりが太陽の光を反射して、キラリと光っていたのを覚えている。
そして、約束をした次の日のことだった。
おじいちゃんは亡くなってしまった。
理由はガンだと後で聞かされた。おじいちゃんは話の中で、ひとりぼっちのせいで倒れたと言っていたけれど、あれも嘘だった。
おじいちゃんは、治る見込みのないガンに体を蝕まれたせいで倒れたのだ。
俺がおじいちゃんと初めて言葉を交わした日だってそうだ。あの時、手に持っていたビニール袋の中には、ほんのわずかだけ延命できる薬が入っていた。ガンの苦しみに悶えながらも生かされるそれを飲んでまで、おじいちゃんには生きたい理由があったんだ。そう思うと、俺は涙が止まらなかった。
おじいちゃんのお葬式には、親に頼み込んで行くことが出来たけれど、他には誰も来ていなかった。
寂しそうな表情で映る遺影を見つめて、俺は後悔していた。もっと早く話しかけていれば、おじいちゃんはもっと幸せになれたかもしれない。それをさせてあげられなかった自分が、自分自身の過去の行動が、悔やんでも悔やみきれなかった。勇気から逃げ続けた事でする後悔が、こんなにも辛いんだということを、子供ながらに感じたんだ。』
そこまで話すと、千鶴は一息つくように息を吐いた。
「だから俺は逃げない。天国で見守ってくれているおじいちゃんのためにも、俺は勇気の出し惜しみはしないって誓ったんだ」
「じゃあ、その服はおじいちゃんからもらった……?」
俺の問いかけに、彼は大きく頷いた。
「おじいちゃんは結局、俺を女の子だと思い込んだまま亡くなったけど……言わば、これが俺に女装というものを教えてくれたようなものなんだよな」
「そうだったのか……」
一瞬でも、彼の幼女コスプレ性癖を疑ってしまった事が恥ずかしい。この服の裏に、そんな美談があったなんて……。
俺が話の余韻に浸っていると、突然千鶴は俺の肩に手を置いた。そしてグイッと顔を寄せてくる。
「勇気の出し惜しみはしないって……誓ったの」
彼の吐息が俺の唇に触れる。いや、おじいちゃんはお前が同性愛に目覚めることなんて、微塵も予想してなかったんだろうな。だから、これは勇気じゃないと思うんだけど……。
いつもなら拒否をするところだが、話を聞いたあとではどうも拒む気力が薄くなってしまっていた。そう考えているうちに、千鶴の鼻先が俺の鼻先に触れる。このままでは彼を受け入れることに……。
「――――――――って、なんで拒否しないんだよ!」
覚悟を決めてまぶたを下ろした瞬間、そんな声が鼓膜を揺らした。目を開ければ、目の前の彼は真っ赤な顔を両手で隠すように覆っているではないか。
「だって、誓ったとか言われたら断れないというか……1回くらいならお前のために我慢してやってもいいかなって……」
「が、我慢って……」
なんか、意図せぬところで傷つけてしまったっぽい。まあ、完全に拒否前提のセリフだもんな。まあ、しなくていいなら助かったと思うことにしよう。
「でも、そのおじいちゃんって罪深いな」
俺がそうつぶやくように言うと、千鶴は「どうして?」と首を傾げる。
「だってそうだろ。おじいちゃんが勘違いしたから、千鶴が女装に目覚めたわけだし。こんな可愛くなる才能を開花させたんだから、そりゃもう罪でしかないだろ」
そう、女装した千鶴は可愛い。見た目だけで言ったら笹倉や早苗とも並ぶくらいだ。一途な性格も考慮したならば、彼がもしも本当に女の子だった場合、俺は既に落ちていると思う。今は男だという前提のおかげでなんとか留まれているけど。
「か、かわいい……?」
「ああ、可愛い――――――って、大丈夫か?目の焦点が合ってないぞ?」
「ふぁ……か、かわいいってぇ……言われたぁ〜…………」
千鶴は湯気が出るんじゃないかと言うほど顔を真っ赤にすると、ふらふらと揺れた体から力を抜き、そのままベッドへと倒れてしまった。
「おいおい、そんなんじゃおじいちゃん、見守るどころか助け舟出してきちまうぞ……」
俺ですら千鶴の将来が心配なくらいだからな。まあ、なるがままにってのも悪くはないけど。
俺は目を回してしまっている彼の顔を、手のひらでパタパタと仰いでやった。いや、心配以前に放って帰れるほど無慈悲な人間じゃねぇし。
「そろそろ帰らないと早苗に文句言われるんだけどな……」
いつの間にか真っ暗になっている窓の外をみて、俺はため息をついた。
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