第137話 俺は(男)友達の家に連れ込まれたい

 千鶴の家に連れ込まれてから30分程が経過した。

 彼にとって家での女装は普段着と化しているらしく、家に帰った途端、俺を部屋の外で待たせて、チャチャッと着替えてから部屋に招き入れられた。ちなみに今日はストレートヘアーバージョンだ。

 まあ、一応心は乙女なんだし、着替えを見られるのが恥ずかしいというのは分からなくもない。

 今千鶴は飲み物を取りに行ってくれているから、部屋には俺一人だ。特にやることも無く、俺は少し開いたままのクローゼットに目をやる。

 若干はみ出ているあれはチアリーダーの衣装だろうか。確か、体育祭の時に来たのを、もらって帰ったって言ってたもんな。あっても不思議じゃないか。

 俺はベッドに仰向けに倒れ、ため息をつく。

 あんなのを着こなせる男子高校生は、ここら一帯を探しても千鶴くらいだろう。別に女装したいわけじゃないけど、あの整った容姿を見ると、少しだけ羨ましく感じてしまう。

 けど、俺も今度女装しないといけないんだよな。後輩である魅音と、そのお友達の目の前で。いくら文化祭で頑張った彼女の為とはいえ、やっぱり女装はハードルが高い。

 かと言ってビリヤードの件のお礼もあるから、今更無しとは言えない。というか、魅音を悲しませたくないのと、先輩としての意地もあるから、そもそも逃げる気もない。

 補習も終わった事だし、俺としても期末テストが近付く前に済ませてしまった方が良さそうだな。

 そう決めて体を起こし、魅音に連絡をしようとポケットに手を突っ込んだ。だが、スマホを取り出そうとした手に別の何かが引っかかり、それは抜け出すように床へと落ちる。『さあや』から預かっている消しゴムだ。

「おっと、無くしたら大変だもんな」

 床でバウンドし、ベッドの下へと潜り込んでしまった消しゴムを探すべく、俺は床に顔をつけて覗き込む。

 消しゴムはちゃんのそこにあった。正確には、ベッドの下に畳んで置かれている服の上に乗っていた。俺は消しゴムを拾うついでに、その何着かの服も引っ張り出してみる。

「…………え?」

 広げてみてみれば、それは女の子用の服。それも小学校低学年くらいの子が着るサイズのやつ。

「碧斗、おまたせ……って、何を持ってんの?」

 そんな所に運悪く千鶴が戻ってくる。彼は俺が手にしているものを見た途端、声のトーンを低くした。まるで見られてはいけないものを見られてしまったみたいな反応だ。

「な、なあ……千鶴?」

「……なに?」

 聞いてしまっていいのだろうか。これを聞いたら、この友人関係が終わってしまう気がする。でも、聞かなくても後悔する気がした。だから俺は……。

「お前、幼女コスプレの趣味もあるのか?」

 こんな服があるってことは、きっとそうに違いない。物理的に着ることは出来なくても、持っているだけで満足なのかもしれないし、そういう趣味があってもおかしくないだろう。

「あ、碧斗?それはさ……」

「いや、いいんだ!お前の趣味は理解してる!無理して答えてくれなくていいんだ。俺はこれを見なかったことにするから……」

「いや、そうじゃなくて……」

「もし見たことに怒ってるなら殴ってくれてもいい。記憶が消えるくらいボコボコにしてくれ。お前の気が済むまでやっていいぞ?」

 そう、誰にだって秘密はある。そしてその秘密を隠す権利は誰もが持っている。俺はそれを勝手に知ってしまったんだ。それくらいされても文句は言えないはずだ。

 俺は「さあ、やってくれ!」と言わんばかりに両手を広げ、無抵抗の意を示した。だが、いつまで経ってもパンチは飛んでこない。むしろ、目の前の千鶴はブルブルと肩を震わせていた。

 怒っているのか、泣いているのか……恐る恐る覗いてみれば、彼の口元は大いに緩んでいるではないか。つまり笑いをこらえていたのだ。

「ぷっ、1人で勝手に思い込んだまま突っ走るなよ!」

 笑いが収まってから話を聞いてみると、この幼女用の服は買ったのではなく、貰ったんだとか。それも彼自身がこれを着れるほど幼かった頃に。

「こんなのをずっと大事に持ってるなんて、聞いたら笑われると思って……」

 ああ、だからあんな表情をしていたのか。俺としては、昔のものを大切にするのはいいことだと思うし、笑うなんてことは無いと思うんだけどな。本人からすれば、不安を感じざるを得なかったのだろう。

「それで……その服は誰にもらったんだ?」

 ふと浮かんできた疑問を素直に投げかける。すると、千鶴は一瞬だけ視線を下げた後、俺の横をすり抜けてベッドに腰掛けた。そして俺にも座るように促してくる。

 どうやらこの話は長くなるらしい。まあ、家もそこまで遠くないし、別にいいか……と、言われるがままに千鶴の隣へと腰を下ろすと、彼はため息をひとつついてから話し始めた。



『俺がまだ小学生になる前の話。


 俺の家の隣には、一人暮らしのおじいちゃんが住んでいた。近所では怖い人だと噂で、誰も近付こうとはしなかった。

 でも、数年前に奥さんは病気で他界してしまっていて、子供も居なかったからか、いつも寂しそうな表情で縁側に腰掛けていた。そんな姿を見ると、本当に怖い人なの?と首を傾げることも多かった。

 俺も幼いながらにおじいちゃんの心情を察したんだろうな。おじいちゃんの家の前を通る時はいつも、おじいちゃんの様子を伺うようになっていた。

 時々目が合ったりすると、気まずくなって逃げるように走り出してしまうけれど、俺はおじいちゃんの事が気になって仕方がなかった。

 それでも、おじいちゃんと言葉を交わすことがないまま、俺は小学生になった。


 俺が小学二年生になった春頃のある日、陽気が優しく肌を撫でるような心地のいい日に、ようやくその機会がやってきた。

 友達と遊ぶために、公園へ行こうと家を出た後、いつものようにおじいちゃんがいるかどうかを覗き見たんだ。この時にはもう、それが習慣になってたんだな。

 でも、その日はおじいちゃんがいなかった。そんな日もあるだろうと顔を引っ込め、歩きだそうとしたその時。

「何か用かの?」

 背後から呼ばれて、心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。振り返ってみると、そこにはビニール袋を下げたおじいちゃんが立っていて、俺はいつもの癖から反射的に逃げる体勢に入る。でも、驚きの余韻のせいで足がもつれ、その場に転んでしまった。

「大丈夫かぃ?」

 おじいちゃんは優しい声でそう聞いてくれた。転んだ俺に手を差し伸べてくれて、立ち上がるのを手伝ってくれた。

「おや、血が出ているじゃないか。こっちへ来なさい」

 おじいちゃんはそう言うと、いつも座っている縁側へと俺を連れて行ってくれた。少し待っているようにと言われてその通りにしていると、おじいちゃんは絆創膏と消毒液を持って戻ってきた。

「わしが驚かしたせいじゃからな、これくらいはせんといかんわぃ。少ししみるかもしれないぞ?」

 おじいちゃんは優しく微笑みながら、消毒液を傷口にかける。少し痛かったけど、それだけだった。

 おじいちゃんは傷口に軽く息を吹きかけて乾かすと、絆創膏をポンポンと優しく貼ってくれる。

「ほら、出来たぞ。元気に遊んでおいで」

 くしゃくしゃと俺の頭を撫でて、笑いながら家の奥へと入っていくおじいちゃん。その背中を見つめながら、俺は小学生ながらに思った。

「噂は信じちゃダメなんだな……」と。』


 そこまで話すと、千鶴は小さくため息をついた。

「少し話し疲れたな。飲み物も無くなったし、休憩がてら入れてくる」

 彼はそう言って2つのコップを手に取ると、部屋を出ていった。

 確かに彼の話は長いが、俺はそれに引き込まれるものを感じていた。それは彼の話し方が良かったのか、それとも彼の過去をあまり知らなかったからか。理由はわからないが、早く続きを聞きたい。俺は無意識にそう思っていた。

 数分後。彼は戻ってくると、机に俺のコップを置き、自分のコップから一口飲むと、「じゃあ、続きを話そうか」。そう言って話を再開した。

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