第130話 俺は役者さんをお助けしたい

「さ、さっきはごめんなさい……。驚いたからつい……」

 俺達を部屋に招き入れた後、普段着に着替えた栗田さんは、円形のテーブルを挟んだ向かい側に座る俺に向けて、申し訳なさそうにそう言った。

 さっきのというのは、ビンタのことだろう。悪いのは俺なのだから、謝らなくてもいいのに。

 でも、ビンタが出来るくらいには回復してるとわかって少しだけ安心した。ビンタって何気に足踏ん張るからな。いや、したことは無いけど。

「俺こそ悪かった、女の子の部屋に入る時はノックをするべきだよな」

「ううん、鍵をかけなかった私が悪いよ」

「いや、来るって伝えてなかった俺が悪いし……」

「私が着替えてたのが悪いよ!」

 これじゃ拉致があかないな。責任の押しつけ合いならまだしも、責任の引き受け合いとは……。そもそも悪いのは俺で確定なのだから、その責任を自分のせいにしようとするのは、あまりにもお人好しすぎるだろう。どこまでいい人なんだ、栗田さんは。

「ともかく俺が悪い!そうしてくれた方が、俺としても有難いんだ!」

 俺がそう言うと、彼女は「そ、そう?」と渋々責任を受け渡してくれた。なんだか変な人を見るような目を向けられた気がするが、怪我人、しかも無実の人に罪を着せなくて済むのなら、それでもお釣りが出るくらいだ。少し大袈裟だろうか。

 とりあえずは全部俺のせいだと解決したとして、やたらテンションの高い栗田母が持ってきてくれたコーヒーを口に運ぶ。…………やっぱり苦手だな、苦いだけに。

「お母さん、少し変じゃなかった?」

 突然栗田さんがそう口にした。変かと聞かれれば、おかしな様子は少しあったが、あくまでもいいお母さんという感じだったよな。

 そんな俺の考えが透けて見えたのか、彼女はふふっと笑ってカップを置いた。

「お母さん、少し前まで役者の仕事をしていたの。受けれる仕事は脇役ばかりだったけどね」

 はあ、それで彼女も演劇部に……。親の影響は大きいだろうからな。かと言って、俺の母親みたいにはなりたくないけど。高校生の息子を残して出張……それだけならまだいいが、最近は電話すらくれないもんな。

 あの人に限って何かあった訳では無いと思うが、時々は心配をしてくれてもいいんじゃないかと思う。……たまにはこっちからかけてやるか。

「脇役ばかりでも、お母さんは手を抜かなかった。『主役だけがドラマを作ってるんじゃない』って、いつも言ってた」

「……いい役者じゃないか」

 思わずその言葉がこぼれた。栗田さんは嬉しそうに笑ったが、「本当にいい役者だったよ。誰からも認められなくても」と、すぐにその表情を曇らせる。

「でもね、お母さんは役者をやめちゃった。なんでだと思う?」

 栗田さんはこの場にいる4人の顔を順番に見ていくが、誰一人としてわかったと声を上げるものはいなかった。きっと予想で当たるようなものでは無いと察していたから。

「……職業病だって」

 職業病……仕事をする中で引き起こされる病気や障害の事だよな。やめなくてはならないほどのそれは、一体どれほどのものなのか、一高校生の俺には見当もつかなかった。

「役者ってね、たくさんの人を演じるから、時々自分自身の人格が分からなくなったりするんだよ」

 その話は俺も聞いたことがある。大抵は一時的なパニックで落ち着くらしいが……。

 俺がその事を口にすると、栗田さんは。

「そう、そのとおり。でもね、私のお母さんはそうじゃなかったの」

 そう言ってため息をついた。

「私のお母さんはね、役者をやめた今でも自分を見失いかけてるの。一人でいる時は普通でいられる、でも誰かの前に立つと演技をしなくてはいけないと思ってしまう。見たでしょ?突然性格が変わる瞬間を」

 性格が変わる瞬間……玄関でのドスの効いた声とか、コーヒーを持ってきてくれた時のテンションの高さとか、そういうのだろうか。確かにあの変わり様は普通ではなかった。普段の彼女を知らなくても、それはよく分かる。

「お母さんは認めてもらおうと努力してたんだよ。でも、頑張りすぎちゃったみたい。たくさんの仕事を引き受けて、たくさん覚えて、たくさん役に成りきった……」

 話しながらも栗田さんの肩は震えていた。服の裾にシワがつくほど強く握りしめて、必死に溢れ出そうになるものを堪えている。

「おかげで認めてもらえて、お母さんは大きな役を貰えた。それを聞いた時は私も嬉しかった。飛び跳ねて一緒に喜んだ。でも―――――――――」

 下唇を噛み締めて、この先を言うか言わまいか悩んでいる。俺の目には彼女がそう映った。しかし、ここまでギリギリの状態で耐えていた感情は、少しの躊躇いで抑えきれるようなものでは無い。

 ちょうど激流を塞き止めるようなものだ。いくら壁を作っても、脆ければ破壊される。小さければいとも容易く水は溢れ出る。

 もうその感情の吐露を止めることは出来ないと、彼女自身もわかっていたのだろう。だからこそ―――――――。


「努力した人が上手くいかないなんて馬鹿げてる!」


 バン!と机を叩き、その全てを吐き出した。

「お母さんは頑張った……なのに、いざ主役を演じようとした時―――――――――――カメラの前で倒れたの」

 部屋の空気が重くのしかかってくるのを感じた。

 俺にはそれがどれほどの努力かは分からない。頑張りや辛さは、経験したものにしかわからないのだ。

 でも、これは分かる。人間は脆い生き物だ。感情や理性というものを手にしたおかげで賢くはなったが、その代わり無慈悲という強さを失った。

 だからこそ、人間は容易く折れる。真っ直ぐな人間ほど、横から叩けば簡単にパキッと逝ってしまう。

 本当に馬鹿げてる、俺もそう思う。

「目覚めた時には記憶が曖昧で、人格がごちゃごちゃになってた。私の名前だって忘れちゃってるんだから……」

 名前を……?だから栗田母は彼女のことを『あの子』と呼んでいたのか。その時は特に違和感を感じなかったが、話を聞いてみてなるほどと感じる。

「私ね、怪我で演技が出来なくなって、少しホッとしてたんだ」

「……え?」

 栗田さんの言葉に、俺は思わず声を漏らす。誰よりも演技に前向きだった彼女から、そんな言葉を聞くとは思いもしなかったから。

「舞台で主役をやると、自分もお母さんみたいになっちゃうんじゃないか……ありえないとは思っても、自分の中で否定しきれなかったから」

「栗田さん……」

 身近にそういう境遇の人がいれば、嫌でもそう思ってしまうのだろうか。演技が好きな彼女にとってそれは、苦痛でしかなかっただろう。

「努力すればする程、お母さんと同じ道を歩んでいるような気がして怖かった。自分を見失っちゃうんじゃないかって、すごく恐ろしかった……」

 栗田さんは溢れ続ける涙を拭いながら、「だから……」と笹倉の方へと体を向けた。

「だから私、笹倉さんのことを尊敬してるの。台本や役に縛られない、あなたなりの演技をして見せた笹倉 彩葉を」

 笹倉なりの演技……って、最後の台本改変の事だろうか。あれには本当に驚いたな。

「私もあなたのように、自分を中心に置いた演技ができるようになりたい。役に自分を当てはめるんじゃなくて、自分に役をプラスする……そんな役者になりたい!」

「え、えっと……」

 これには笹倉も戸惑っているらしい。彼女自身、そんな気は全くなかったんじゃないだろうか。気まぐれで少し変えてみたら、なんだか上手くいった……そんなところだろう。

 ただ、ここまで言われてしまえば断るのも申し訳ない。何より彼女の事情を知ってしまったら、首を横に振ることなんてできるはずがないだろう。笹倉の表情は確かにそう言っていた。

「分かったわ。1から教えてあげるから、最高の役者になりなさい。そして、お母さんのことも助けてあげること。いいわね?」

「はい!師匠!」

 こうして笹倉と栗田さんの師弟関係が生まれたのだった。なんだかんだで上手くまとまったみたいだが、栗田さんについてはこれからも支えていく必要がありそうだ。


 ……それにしても笹倉、もう引き返せない所まで行ってるぞ。

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