第128話 (偽)彼女さんは俺と一緒に眠りたい

 俺が幼馴染の母親のお風呂シーンを覗いたという罪悪感から開放されたのは、それから30分程が過ぎた頃である。

 開放されたと言っても心の傷は深く、早苗に「お風呂空いたよ〜」と声をかけられてからも、なかなか部屋から出ることが出来なかった。

 それでも明日は学校だ。さすがに体を洗わないわけにはいかない。なんとか自分に鞭を打って、這いつくばるようにして脱衣所まで来たはいいものの、服を脱いでタオルを腰に巻きつけてからも、やはり最後の扉を開くことを躊躇ってしまう。

 この扉を開いたらまた咲子さんがいるんじゃないか。そう思うとどうしても前に進めなくて……。

「碧斗君、何をしているの?」

「うぉっ!?」

 背後から声をかけられて、反射的に肩が跳ねる。その人物の正体に気づくと、俺は心臓を掴まれたような痛みを感じた。俗に言う胸の痛みってやつだ。

「咲子さん……人がいるのに脱衣所に入ってこないでくださいよ」

「あら?それが人の入浴中に覗いてきた人のセリフかしら」

「……申し訳ありませんでした」

 不可抗力、不慮の事故、仕方ないといえば仕方ないが、それは咲子さんからしても同じこと。あくまでも悪いのは、扉を開けた俺なのだから。

「ふふ、まあ私も鍵をかけていなかったからお互い様よ。でも、次からは入る時は、入ると声をかけてちょうだいね」

「今後一切入ることは無いと思うので大丈夫です」

 咲子さんは俺のスパッとした返しに、「あら、冷たいわね」と笑いつつ、洗面台の横に設置してある洗濯機へと洗濯物を放り込み始めた。

 そこで俺はふと気がつく。咲子さんがここにいるなら、今風呂場に彼女は居ない。彼女が影分身かテレポーテーションを使えない限り、物理的に不可能だ。それならば、俺は安心して風呂に入ることが出来る。

 そろそろ体も冷えてきたし早く温まろう。

 俺は心の中で頷くと、ノブを捻って風呂場へと踏み込んだ。体に触れる湯気の温かさと、足裏のタイルの冷たさがなんとも言えない感覚を生み出していた。

 だが、俺の視界に映った光景は、これもまたなんとも言えない感情を生み出していた。

「碧斗くん、ここ空いてるわよ」

 ……また別の人物が先客としてそこに居たから。


「どうして小森さんまで入ってくるのよ」

「それを言うなら笹倉さんだって!」

 どうしてこうなった……と嘆きの言葉をこぼすなら今だ!と言わんばかりの状況に、俺は思わずため息をつく。

 一度風呂を済ませたはずの笹倉が、何故かもう一度湯に浸かっていた所まではまだよかった。いや、良くはないけれど、現状と比べればまだマシなほうなのだ。

 俺は拒んだのだが、無理矢理湯船に引き込まれ、狭い風呂に2人で入ることに。問題はそれを聞き付けた早苗までもが、2度目の入浴をすることになったところだ。

 2人でも狭い風呂は、3人で入れば身動きすら取れない。2人に挟まれている俺としては、別の意味でも窮屈な思いをしている。主に理性的な意味で。

 おまけに2人はどちらが悪いかの言い合いをしているため、終始体を少なからず動かしているのだ。それはつまり、彼女らの柔肌が俺に触れてくるという訳で……。

 あれ?前にもこんなことがあった気がする。俺って成長しないな。

「あ、あの……もう上がっても……」

「「ダメ!」」

「は、はい……」

 俺は柔肌地獄に10数分間囚われることとなった。過ぎる幸せは人を殺す。あながち間違いじゃないのかもしれないな。



 結局、早苗がのぼせたことで言い合いは終了し、俺はやっとの事で開放された。俺も限界ギリギリだったが、彼女をそのまま放置するわけにもいかず、体を拭いてパジャマを着せるところまでは笹倉にやってもらい、部屋に連れていくのは俺がやった。

 この歳になってのお姫様抱っこは、恥ずかしい以前に筋力的な問題が生じたが、口にすると批判されそうだから何も言わないでおいた。男は黙って力仕事ってか。


 まだ真っ赤な顔をした早苗をベッドに寝かせる。机の上にあった下敷きでパタパタと風を送ってやりながら、俺は顔だけを笹倉の方へと向けた。

「笹倉はどこで寝るんだ?」

「碧斗くんの隣」

「いや、それはなぁ……」

 その返事に予想はついていたが、あまりにも淡々とした口調で言われたせいで、つい言葉を詰まらせてしまう。そんな俺に、笹倉はジトッとした目を向けてきた。

「碧斗くん、小森さんと一緒のベッドで寝てるんでしょう?」

「な、なんでそれを……」

 彼女にその事を言ったことは無いはずだ。だって、言ったら絶対に文句を言われるから。「彼女がいるのに他の女の子と寝るのね……最低」と。

「どこにも布団がないからそうかもと思ったのだけれど、図星だったみたいね」

 ……カマをかけたってことか。してやられたな。笹倉は引き攣る俺の顔を見ると、楽しそうにクスクスと笑った。

「それなら私も一緒でも問題ないわよね♪」

「あ、いや、それは……」

「へぇ?小森さんは良くて私はダメなの……」

 俺の曖昧な返事に、彼女は泣き始めてしまった。自慢じゃないが、俺は女の涙に弱い。だから、こういう時は決まってイエスマンになってしまうのだ。

「わ、わかった!一緒に寝ていいから!だから泣かないでくれ!」

「本当?ありがとう♪」

 こやつ、嘘泣きしていやがったのか……。女って言うのは嘘が得意な生き物だとはよく聞くが、まさかここまでとは。少なくとも俺には出来ないな。

「ほら、碧斗くん♪ここにゴロンして♪」

「ゴロンって……子供じゃないんだから……」

「いいからっ!」

 笹倉が目をキラキラとさせながら「はやくはやく!」と目で訴えてくる。そんな冴えた目で眠れるのかと疑問に思ってしまうが、そこはとりあえずおいておくとして、3人で同じベッドというのはいかがなものか……。

 とりあえず笹倉に言われるがまま、早苗の隣に寝転ぶ。その後笹倉が俺の隣に寝転んだ。早苗、俺、笹倉の順番で寝転んでいるわけだ。

 言っておくが、早苗のベッドはシングル。基本一人で眠るように設計されている。普段はそれに2人で寝ている訳だが、今日は1人多い3人。定員オーバーにも程がある。乗車率200パーセントとは訳が違うんだ。こちとら300パーセントだぞ。

「碧斗くん、もう少しそっちに寄れないかしら。私、落ちそうで……」

 笹倉が少し苦しそうな声でそう言ってくる。出来ることなら助けてやりたい所だが……。

「悪い、これ以上はさすがに無理だ」

 俺としても早苗と体が密着している状態で、ある意味落ちそうな状態なのだ。もう少し寄ってしまうと、彼女の吐息を感じられるほどにまでなってしまう。そうなれば俺の理性は無限の彼方へと飛び去ってしまうだろう。

 自分のためにも、早苗のためにも、もちろん笹倉自身のためにも、ここは我慢してもらうしかない。だが、その代わりと言ってはなんだが……。

 俺はそっと腕を笹倉の肩へと回してやる。

「俺が支えてやるから、安心して寝ろよ」

 俺がそう囁くと、彼女ははにかむように笑って、それから俺の体に腕を回してきた。

「これでもっと安心よ」

 そう言って強く抱きしめてくる彼女。パジャマの下には下着をつけていないのだろうか。その豊満な胸の柔らかさが体の側面に触れて、脳まで伝わってくる。

「そ、そうだな……」

 俺はだらしなく緩んでいる表情を見られまいと、顔を笹倉の方から背けた。その方向には早苗がいて、彼女はいつの間にか寝息を立て始めている。

「んん……ほねつきにくぅ……」

 そんな寝言を呟きながら、彼女までも俺の腕に抱きついてきて……。

「むふふ♪おいひぃ……」

 ついには俺の二の腕に甘噛みをし始めた。こいつ、どんな夢見てんだ?

 何度も甘噛みされると少しこそばゆいが、起こすのも可哀想なので我慢して……。

「じゃあ、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

「ハンバーグぅ……」ガブッ

「くっ……!」

「碧斗くん、静かにしてちょうだい。小森さんが目を覚ましちゃうでしょう?」

 痛てぇ……すげぇ痛てぇよぉ……!甘噛みだと油断していたら、本気で噛まれちまった。俺はハンバーグじゃねぇよ……。


 その後も俺は様々な肉料理に間違われ、何度も噛まれることになった。最終的には、耳を噛まれそうになったところで叩き起すことになったのだが、やっぱり笹倉に叱られてしまった。

「女の子のお肌にとって睡眠は大事なのよ!起こすなんて可哀想でしょう!」と。

 いや、確かにそうかもしれないけどさ……そこまで我慢した俺を褒めてくれても良くない?10数回は噛まれてるんだけど……。

 けれどその願いは届くことはなく、追加で20回ほど噛まれた末に、俺は疲労の限界で眠りに落ちた。

 ああ……、明日まで歯型が残ってないといいけど……。

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