第122話 フードの少女はチャレンジを受けたい

 あれから何度挑戦しただろう。

 失敗……失敗……失敗……。数度は上手くいっても、6連続という壁は分厚く、最高でも4つ目までだった。それもたった一度だけ。

「あと少しで上手くいきそうなんだ!」

 所持金が尽きた後、そう言って早苗から900円を借りた時には、それはもうプライドのプの字も無かった。

 早苗も何度か、「お母さんに謝ろうよ……」と説得しにきたが、ここまで来ればもう止まる気はなかった。最後までやらなければ、今までが全部無駄になる。そんなギャンブラー的思考に陥ってしまっていたのだ。

 しかし、結果的には何も得られないまま900円も底をつき、俺は力無くキューと膝を床に着いた。

 ああ、咲子さんはどんな顔をするだろうか。きっと怒るだろうな。楽しみにしてるはずだし……。いや、よく考えたら悪いのは三角さんなんだけど。

「あら、ギブアップですか?」

 先程手渡した300円をがま口の財布に入れつつ、ニンマリとした笑顔を浮かべて、彼女はそう聞いてくる。

 エンターテイナーが何とか言っていた頃が懐かしいな。出来ることなら、あの時の俺には殴ってでも、無理矢理ラノベを取り戻させるのに。

 だが、今更そんなことを言っても遅い。過ぎてしまった時間は戻らないし、払った金も返ってこない。

 この不利なチャレンジに応じた時点で、俺は三角さんに敗北していたのだ。ここは潔く負けを認めよう。

「ああ、さすがにもうギブ―――――――――」

「私にさせてもらってもいいですか?」

 俺が白旗をあげようと発した言葉を遮るように、その人はどこからともなく現れた。まるで狙ったかのようなタイミングで。

 その人物は、真っ黒なローブのようなものを羽織り、それとひとつなぎになったフードは、目元を隠すほど深く被られている。背中には四角くて丈夫そうな黒いケースを背負っており、一言で言えば通りすがりの凄そうな人……みたいな感じだ。

「あれ、どこかで……」

 ただ、俺はその姿に既視感を感じていた。わざと籠るような喋り方をしているように感じるが、声質からして女性だろう。こんな西部劇のヒーローみたいな人、知り合いにいたっけな……。

 そんな俺に思考する猶予も与えず、三角さんはローブの彼女に歩み寄る。

「お久しぶりです。『片方的ONE SIDER』、『卓上の一方通行アクセラレータ』、様々な異名をお持ちのあなたが、またここに戻ってこられる日が来るとは」

 三角さんのどこかかしこまった言葉を、ケースを下ろしながら聞いていたローブの彼女は、小さくため息をつく。

「そういうの嫌いだと前にも言いましたよね?私はただのビリヤードプレイヤーですから」

「……失礼しました、エイト様」

 エイトというのが彼女の名前だろうか。三角さんは軽くお辞儀をすると、ビリヤード台の方へと歩み寄り、ラックを使って素早い手つきで球を三角に並べていく。

 6台分並べ終わると、彼女は元の位置に戻り、「では、どうぞ」と深々とお辞儀をした。

 フードに隠れているから、エイトがその姿を見ていたかどうかはわからない。彼女は無言のままケースを開き、中に入っていた自分専用のキューを取り出すと、一つ目のビリヤード台の前まで進んだ。そして―――――――――――――。


 カンッ!……ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ


 見事なまでのブレイクショットで、3つの球をブレイクインさせる。だが、彼女が喜ぶことはなく、さっさと次の台へと進んだ。


 カンッ!……ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ


 次は4つ。


 カンッ!……ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ


 今度は5つ。


 カンッ!……ゴトッ、ゴトッ


 あれ?2つだけかな……と思ったら。


 カンッ!……ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ


 また5つ落とした。

 5台目までを成功させるのにかかったタイム、なんと30秒弱。構えてから打つまでの時間が、素人の俺たちより……いや、ベテランのおじ様方と比べても圧倒的に短い。

 動きだけを見ていたら、包丁でキャベツを真っ二つにカットしているように錯覚してしまう。それ程までに、彼女の動きは滑らかでスムーズなのだ。一言で言えば、無駄が無い。

 そして最後の台の前に立ったエイトは、ふと動きを止める。そして誰に向けてでもなく、呟くように言った。

「面白いものを見せてあげますね」

 今までの早業も十分に面白かったのだが、わざわざ口にするということは、それ以上のものを見られるということかもしれない。俺は無意識のうちに、期待を膨らませていた。

 エイトは大きく深呼吸をすると、ぐっと体勢を低くし、覗き込むように手玉に狙いを定める。これまでよりも明らかに長い集中時間。エイトが主役のこの場では、それさえも演出のように思えた。

 数秒後だが、数十秒後だか、いくらかの時間が経過した時、ついに彼女が動いた。

 滑るように突き出されるキュー。腕を伸ばしたことで、ローブの袖からその白くて細い腕が露わになる。つい、そちらに見蕩れてしまいそうになるが、直後に聞こえた球のぶつかる音で、俺は正気に戻った。

 台の上に視線をやると、15個の球と1つの手玉は激しくぶつかりあった後、そのうちの8個が吸い込まれるようにポケットへと落ちていった。

「「……え?」」

 俺と早苗は同時にマヌケな声を漏らす。今目の前で起きたことが、あまりにも信じ難かったからかもしれない。だって8個だぞ?穴は6個しかないのに、それ以上の数をブレイクショットで入れるなんて、自分の目を疑ってしまうくらいに衝撃的だ。プロとかだと当たり前なのだろうか……。

「どうでした?」

 気がつけば、エイトは俺の目の前まで歩み寄って来ていて、その質問を投げかけてきていた。

「す、すごかったです!俺もそんなに上手くなれたらいいなと思いました!」

 咄嗟のこととは言え、なんとも小学生のような感想だ。自分でもそう思う。でも、目の前の彼女はそれだけで嬉しかったらしく、「ありがとうございます!」と言って、頭まで下げてくれた。

 感想を言っただけなのにこんなに有り難がられるなんて……この人、絶対いい人だわ。俺の直感がそう言っているから、多分間違いない。いい人だと思って外れたことないし。逆は沢山あるけど。

「あ、頭を上げてください。ほら、景品をもらわないとですし……」

 俺が三角さんの方に視線を送りつつそう言うと、エイトは「いえ、それは……!」とガバッと勢い良く頭を上げる。そのせいで顔を隠していたフードがめくれてしまった。

「………………あ」

「………………あ」

 彼女とバッチリ目が合い、俺はその正体を認知する。どこか既視感があると思ったら……そういうことか。

 フードと言えば彼女。どうして気付かなかったのか、不思議なくらいだ。でも、ビリヤードと彼女とではあまりに接点がないように見えるから、無意識に思考を至らせなくなっていても仕方が無いのかもしれない。

「ビリヤード、得意だったんだな。魅音」

「えへへ……バレちゃいましたか……」

 彼女はそう言って、困ったような、でもにこやかな表情で後ろ頭を搔いた。

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