第117話 俺は探究心に勝てない

「お客様、何かお探しですか?」

 聞き覚えのある声に、俺は反射的に振り返る。

「あら、関ヶ谷くん!偶然ね!」

 日ノ国屋ひのくにやのエプロン型制服に身を包み、朗らかな笑顔をこちらに向ける彼女―――――――西門にしかど 雲母きららさんが立っていた。

「うっ……」

 一瞬、狂気に飲み込まれた彼女の表情がフラッシュバックし、無意識に目を逸らしてしまう。

「あ……あの時の私のこと、やっぱりまだ……」

 雲母さんはそう言うと、しゅんと肩をすぼめ、小さな声で「ごめんなさい」と謝った。

「いや、その……」

 何やってるんだ、俺!彼女は紅葉と仲直りしたおかげで、今は上手くやっているはずだ。前を向いて歩いている人に対して、後ろ向きな過去を重ねるのは失礼だろ。

 俺は強めに自分の両頬を叩き、曲がった気持ちを整える。そして、目の前にいるありのままの彼女を眺めて、うんうんと頷いた。

「もう気にしないでください。俺はこの通り大丈夫ですから!」

 そう言って、大袈裟に腕を回す。そんな姿を見た雲母さんは、口元に手を当てながらクスクスと笑ってくれた。

「良かった♪そう言って貰えると、私としてもすごく助かるから」

 彼女も彼女なりに気にしてたんだな。そう思うと、すごく微笑ましく感じられる。

「ていうか、どうしてここの制服を着てるんですか?アイドルの宣伝活動とか?」

 文化祭の件がなければ、一言目に出ていたであろう疑問だ。そんな俺の言葉に雲母さんは、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの笑顔で答えた。

「実はあれから思ってたことを全部、クレハちゃんと一緒に、お父さんとお母さんに話したんだ。そうしたら2人とも泣いて謝ってくれて……」

 俺には彼女がどんな事で悩んでいたのか、その詳しい部分までは知らないのだが、その表情からして今は安心していいんだと確信できた。

「それでね、ずっとやってみたかった、本屋さんの店員をやらせてもらえることになったんだよ!」

「夢が叶った、ってことですか?良かったですね」

 俺の言葉に、彼女は「うん!」と元気な笑顔を見せてくれる。俺からしたら、アイドルの方が本屋の店員よりも遥かに魅力的ではあるが、これは単に彼女にとってはそうではないと言うだけの話だろう。

 こういうのって、食べず嫌いみたいなものかもしれないな。正確には逆なんだけど、アイドルを経験しているからこそ、夢見るだけの人達とは違った何かを持っている……経験値の差的なやつだ。

「アイドルの方はお休み中ですか?」

「ううん、ちゃんと続けてるよ。前よりも練習ペースも落として、クレハちゃん単体での活動が多くなったけど、私は私なりにゆっくり頑張ろうかなって思ってるんだ♪」

 雲母さんのその言葉を聞いて、俺は思った。この人はやっぱり強い。一度歪んでしまったにも関わらず、今はちゃんと真っ直ぐに生きている。あれだけ苦しんだと言うのに、それでも自分のやりたいこと、やらなくちゃいけないことから逃げるのではなく、ちゃんと向き合っている。

 これまでであれば、向き合うことで自分を追い詰めてしまっていたが、今の西門 雲母は違う。ファン、友達、家族……そして紅葉。支えてくれる人達が沢山いるからな。彼女らがステージの上で輝く姿を見れる日も、そう遠くないかもしれない。


「それで……なにか探してるの?小森さん……だっけ?もうたくさん持ってるみたいだけど」

 雲母さんの声に、俺は我に返る。いかんいかん、雲母さんが武道館で踊ってるところを妄想してしまっていた。激しいパフォーマンス中にスカートが何度かめくれて――――――――――スパッツを履いていてくれて助かったよ。俺のイマジネーションパワーも自制システムを搭載していたみたいだ。

「えっと……これって置いてあるんですかね?」

 俺はメモに書かれたもののうち、ひとつを示しながら雲母さんに見せる。彼女は少しの間考える素振りを見せると、何かを思いついたように顔を上げた。

「確か、入荷した分がまだレジ奥に置いたままだったような……」

「それって買えませんかね?どうしても欲しいんです!」

 俺がグイッと雲母さんに詰め寄ると、彼女は驚いたのか、ビクッと肩を跳ねさせる。そして、「も、もうすぐ並ぶ予定だから、多分帰るとは思うけど……」と何やらモジモジしながら答えた。

 でも、良かった。これで咲子さんに頼まれたものは全て手に入る。そう、ほっと胸を撫で下ろす俺に、雲母さんは伺うような視線を向けてくる。

「ちなみになんだけどね、関ヶ谷くんって何歳だっけ……?」

 ん?どうしてそんなことを聞くんだろうか。まあ、嘘をつく必要は無い……というか、同じ学校で一つ下の学年だから、彼女自身もわかっているだろう。ということは、なにかの確認だろうか。

「17ですけど……」

 俺の答えを聞いた彼女は、「そ、そっか……男の子だもんね……」と意味深な言葉を残して、レジの方はと駆けて行った。そんな彼女の頬は、少しだけ赤くなっていた気がする。

 その理由を知ったのは、雲母さんが本を持ってきてくれてからだった。



「えっと……これが探してた『小麦色の楽園タンテラリウム』という本だよ……」

 どこかよろよろしい態度で、本を手渡された俺は、その表紙や帯を見て全てを悟った。


 ――――――――――――これ、エロ本やん。


 表紙には見えては行けない部分だけが綺麗に隠された、たわわな女の子が数人描かれており、帯には『田舎で小麦色の少女達と秘密のカンケイ♡』というキャッチコピーが書かれている。

 これは雲母さんもあんな表情にもなるわな。てか、これを買いたいって言った俺、絶対に変態だと思われてるだろうな……。

 そもそも咲子さん、何しれっとラノベの中にエロ本混ぜ込んでんだよ。ハンバーグの中にピーマン混ぜるのとは大違いなんだぞ?高校生にエロ本買いに行かせるやつがどこにいるってんだ。

 俺もタイトルで感じ取るべきだったのかもしれないが、悪いのは100%咲子さんだ。やっぱりあの人、ゴーストライターいるだろ。俺は騙されないぞ……。

「えっと……本当に買うの?」

 雲母さんにもう一度聞かれ、俺は少し悩む。だが、最終的には首を縦に振った。

「買わせて頂きます!」

 俺もちょっと気になるし、『小麦色の楽園』、読んでから渡してやろう……。問題はどうやって早苗に見つからずに読むかだが……まあ、なんとかなるだろ。男子高校生の探究心、舐めんなよ?



「またのお越しを――――――――」

 雲母さんの声を背中に、俺は8冊の本が入った袋を手に、日ノ国屋を後にした。早苗はと言うと、何やら一冊の本を買ってきたらしいが、ブックカバーに包まれていて、何の本なのかはさっぱり分からない。聞いても教えてくれないし、もしかしたらエロ本だったり……?こいつら、やっぱり親子だな。

「あっ、トイ……お花を摘みに行ってもいい……?」

「ああ、いいぞ。じゃあ、そこのベンチに座って待ってる」

 俺がそう言うと、早苗は「わかった」と頷き、トイレの方へと走って行った。その背中を見届けてから、俺はベンチに腰を下ろす。

 少しすると、早苗からメッセージが送られてきた。


『トイ……お花摘み所、すごく混んでるから、少し時間がかかるかも!』


 そんなに混んでるのか。てか、メッセージなんだし、『トイ』まで打ったならもうトイレでいいだろ。お花摘み所ってどこだよ。


『じゃあ、他のトイレを探すか?』


『ううん、動いたら漏れちゃいそうだから……あ……やばいかも……』


『いや、我慢だぞ?!高校生にもなっておもらしとかやめてくれよ?』


 もしそうなったら、後処理をするのは俺になるだろう。いくら幼馴染とは言え、それはさすがにな……。でも、そこまでの尿意なら、本屋で買い物している時も我慢していたんじゃ?言ってくれればよかったのに……。

 もしかして、雲母さんがいたから離れたくなかったとかだろうか。そうだとしたら、なんかすごく微笑ましいな。

「ま、考えたところでわからないから無意味か」

 俺はわざとそう口にすると、先程買ったラノベを袋から取り出す。そして暇つぶしがてら、一冊一冊の表紙とあらすじを眺め始めた。

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