第115話 幼馴染ちゃんのお母さんは褒められたい

 早苗とサンドラの異種族格闘技戦が始まったその日、何故かわからないがやけに咲子さんの機嫌が良く、ましゅまろとサンドラを遊ばせるために遅くまで残っていた唯奈も、一緒に夕飯を食べることになった。

 咲子さんと唯奈が顔を合わせるのは、夏休みの海以来だろうか。お互いにあまり記憶に残っていないらしかったが、咲子さんは早苗と唯奈を見比べると、「胸だけは勝ってるわね」と小さな声で呟いていた。

 自分の娘と他所様の娘を比べるな。あと、せめて胸以外にも勝ってるところを見つけてやれ。なんとも可愛らしい顔してんだろうが。いや、こんなこと面と向かっては言えないけど。


 夕食後、少し団欒だんらんしてから唯奈を駅まで送り届けた。

 俺が夜道を一人で歩かせるの危ないだろと言うと、「ましゅまろがいるから大丈夫だよ〜♪」と言われてしまったのだが、それでも心配は心配だし、何か起きてしまったら悔やみきれない。

 なんとか、ましゅまろと少しでも長く戯れていたいということにすることで、駅まで一緒に行くことを了承してもらう事ができた。

 駅についてから唯奈に、「私、催涙スプレー持ってるから、本当に大丈夫だったんだよ〜?」と言われ、俺はふと気になったことを聞いてみる。

「それってもしかして笹倉から……?」

「そうだよ〜?何故かお土産でくれたんだよね〜♪」

「そ、そうか……」

 これ、ベトナムのお土産が催涙スプレーって、本当にありえるかもしれないな……。



 小森家に帰ると、玄関で仁王立ちしていた咲子さんに無理矢理リビングへと連れていかれる。何やらニヤニヤしていたが、何の要件だろうか。

 早苗は既にソファーに座っており、手や顔に引っかき傷がついていた。そしてソファー前に置いてある小さめのテーブルの上には…………サンドラが横たわっていた。

「……え?」

 しばらく見つめていたが、その間、サンドラはピクリとも動かない。ぐったりとしていて、どこか弱々しくも見える。まさか、死んじゃっているんじゃ……。

「さ、早苗……いくら引っかかれたからって、そこまですることは無いだろ……」

 笹倉から預かった猫が……任せろとまで言ったのに……まさか、こんなことになるなんて……。

 俺はよろよろとサンドラに歩み寄り、その小さな体を抱きしめる。

「サンドラぁぁぁぁぁ…………って、温かい……?」

「いや、生きてるんだから当たり前でしょ」

 早苗は、変な人でも見るかのような目を俺に向けてくる。よく見てみると、サンドラはぐったりと怠けてはいるものの、ちゃんと息をしていた。

「私とじゃれあったから、疲れてウトウトしてたんだよ?起こしたら可哀想じゃん……」

 早苗はそう言うと、俺からサンドラを取り上げて、ソファーの上に優しく下ろす。その間サンドラは、抵抗するでも威嚇するでも無く、しっぽをゆらゆらとさせながら早苗に身を委ねていた。いつの間にこんな仲良しになったんだ?

 ほんと、猫と女は気まぐれってか。SNSでこんなこと言ったら叩かれそうで怖いけど。

「ていうか、紛らわしい寝方するなよ!」

「ニャ〜?」

 俺の言葉に、サンドラは首だけ持ち上げて鳴く。多分伝わってないよな……まあ、100%俺の早とちりなんだけどさ。


「それで、なんの話ですか?」

 俺はソファーに体を沈めて気持ちを落ち着かせると、咲子さんにそう聞いた。

「それがですね〜ふふふ♪」

 彼女は嬉しそうに肩を揺らしつつ、背中に隠していたものを俺たちに見せる。

「じゃーん!『ちょっとおかしいけれど日常』の最終巻でーす!」

「おお!」

「おー!」

 彼女が差し出したのは、俺が咲子さんが早咲 苗子であると知る前から読んでいる『ちょっとおかしいけれど日常』の最新刊にして最終巻。

 これ、登場人物の心理描写がすごく上手くて、読み始めたら止まらなくなるんだよな。高校生なら感じたことがあるであろう苦悩や、どうでもいいけれど笑える日常会話など、共感したり憧れたり、1巻目から胸を鷲掴みにされて揺さぶられるような感覚を覚えた。

 ついハマってしまって、気がつけばもう十数巻……ついに最終巻かぁ……なんか寂しくなるなぁ。

「ふふっ、これで印税ガッポガッポよ!」

「なんか表現が汚ぇな!」

 やっぱり、こんな人にあの小説が書けるとは到底思えない。実はゴーストライターがいました!なんて言われても、信じられる気がする。


 とまあ、咲子さんへの批判はこれくらいにしておくとして……。

「それで……どうして今それを?」

 俺の疑問に咲子さんは眉をひそめる。

「どうしてって……そんなの決まってるでしょう?」

 彼女は胸を張ると、ドヤ顔で言い切った。

「褒めて欲しいからよ!」

「大人気ねぇよ!?」

 理由が子供っぽ過ぎる。この人、もういい歳だろ。

 だが、そのいい歳のおばさんは、年齢に見合わない若々しくてキラキラした表情で俺を見つめてくる。

「褒めて褒めて!」

「ぐっ……」

 彼女の行動に、俺は思わずたじろいでしまう。親子だからか、やはり早苗と雰囲気がそっくりで、似たような行動をされると、どこか心にグッとくるものがあった。

「よ、よく出来ましたね……?」

 俺が疑問形で発した言葉でも彼女は嬉しかったらしく、口角をにんまりと上げる。

「うふふ♪娘の幼馴染に褒められるのも悪くないわね!」

「もう二度と褒めたくないです……」

 ここまで後味の悪い褒めは初めてだ。なんで幼馴染の母親にこんな表情を見せつけられないといけないんだ。俺が何をしたって言うんだよ……。

「もう、お母さん!」

 絶望にも近い感情を胸の内で燻らせる俺を見て、咲子さんとの間に庇うように立ちはだかってくれる早苗。やっぱり持つべきものは優しい幼馴染だよな。

 俺が胸にジーンと来るものを感じていると、彼女はくるりと体を反転させて……。

「お母さんが褒められるなら、私のことも褒めて!そうじゃないと納得できないもん!」

「んなもん知るか!」

 俺はそう言って早苗に強めのデコピンをした。さっきの感動を返せ、この野郎!何が「私のことも褒めて!」だよ。こちとらお前の母親の満面の笑み攻撃を食らって傷心中だってのに、そんな元気あるかい!

「いてて……そんなに怒ることないじゃん!あおくんのいじわる!」

 痛むおでこを押さえ、瞳の端に涙を溜める早苗。本当に、この母娘はそれぞれが騒がしいから、一緒に相手するととことん疲れさせられる。

 俺はそんな2人から目を逸らし、ソファーの上でくつろぐサンドラの背中をそっと撫でた。

「俺を癒してくれるのはお前だけだよ」

 気持ちよさそうに喉をゴロゴロと鳴らすサンドラに、少しだけ笹倉の面影を感じた気がした。



 その日の夜、笹倉との電話にて。

『ごめんなさいね、サンドラのエサを入れるのを忘れてしまって……』

 申し訳ないという気持ちがしみじみと伝わってくる声に、「気にしなくていい」と返す。彼女がエサを忘れてくれたおかげで、麦さんと再会できたわけだし、そこはむしろ有難いくらいだ。

『サンドラとは仲良くやれてるかしら?』

『ああ、すぐに懐いてくれたし、すごく癒されてるよ。今では早苗とも仲良くしてくれてるしな』

 俺の言葉に、笹倉が何か言ったような気がしたがよく聞こえなかった。電波障害だろうか。日本とベトナムってどれくらい離れてるんだっけな。

『しつけ』がなんとかとか、『噛み付かせる』だとか、そんな感じのことを言っていた気がするけど。

『そっちはどうだ?両親に変わりはあったか?』

『いいえ、特に何も無かったわ。強いて言うなら、そろそろ碧斗くんに会いたいとは言っていたわね』

『そ、それってつまり……』

 俺を笹倉の両親に紹介させろ……ってことだよな?いや、別に笹倉とは健全な付き合いだし、何も後ろめたいことは無い。だから会うこと自体に抵抗はないのだが、場所が場所だ。

『さすがにベトナムに行くのはな……』

『ふふっ、そうよね。2人にもそう言っておくわ』

 そう言ってクスクスと笑う笹倉。彼女も元気そうで良かった。


 それから数分間会話した後、俺達は互いに「おやすみなさい」と言って電話を切った。

 スマホを置いてベッドの方を見ると、既に早苗とサンドラが寝息を立てていて、俺も電気を切ってからその隣にそっと寝転ぶ。

 暗闇の中、ゆっくりとのしかかってくる眠気にさらわれそうになる中、ふと頭を過ぎった思いがあった。


『そう言えば俺、怪我は治ってるのに、いつまで小森家に泊まってるんだろうか。』

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