第114話 ペット店のお姉さんは俺を懐かしみたい

「それで……必要なのはエサだけ?」

 麦さんは、レジでキャットフードのバーコードを読み取りながら、そう聞いてくる。俺は1000円札を出して、彼女の言葉に首を縦に振った。

「はい、一応それだけです。トイレとか遊び道具とか、他は用意されてたので」

「用意されてた……?その子、碧斗くん家のネコじゃないの?」

 首を傾げる彼女に、預かることになった経緯を説明すると、「ふーん」と頷きながら、口元をニヤリと歪ませた。

「なーんだ♪その金髪の子が碧斗くんの彼女なのかと思ったけど、違ったのね〜♪」

 どこか嬉しそうな顔で、独り言のようにそう呟く彼女。金髪の子、こと唯奈はと言うと、「あはは!違うに決まってるじゃないですか〜♪」と笑っていた。決まっているなんて言われ方をすると、ちょっと傷ついちゃうなぁ……。

「まあ、友達の好きな人を盗るような趣味はないのでね〜♪私は別にあおっちが彼氏でも問題ないけど♪」

 唯奈は「むふっ♪」と悪戯な笑顔で、チラチラとこちらを見ながらそう言う。これ、絶対照れさせようとしてるだろ。悪いがその程度では、今の俺は照れないぞ。

 俺は心の中でドヤ顔しつつ、唯奈側への心理的防御壁を固める。

「そうね〜、私も碧斗くんならいいかも知れないわね。かわいいし♪」

「ぐっ……」

 だが、次の槍が飛んできたのは全くの別方向から。からかっている様子でもなく、本心からそう言っているのかと思わされるほど、落ち着いたトーンで麦さんはそう言った。

「碧斗くん、昔から可愛かったのよ〜♪小さい時だから、来るのすら大変なはずなのに、よくパンを買いに来てくれてね〜♪」

「そうなんですね〜むふっ♪」

「うぐっ……」

 は、恥ずかしすぎる……。よりによって唯奈の前で昔の話を暴露されるなんて……。

「それでね〜♪お姉さん、聞いたのよ。『どうしていつもここに来てくれるの?』って!そしたらなんて言ったと思う〜?」

「ええ〜、なんでしょ〜?パンが好きだから……とかですか?」

「ううん、それはね―――――――――――」

 ま、待てよ……その時、俺はなんて答えたんだっけ?なんか、すごく言われたらまずいような気がする。心理的防御壁が崩壊する気がする……。

「ふふっ、『お姉さんとお話がしたいから』って答えたのよ〜♪かわいすぎるわよね〜♪」

 ああ……そうだ、思い出した。麦さん、俺の初恋相手とまでは行かなくても、綺麗でスタイルが良くて、憧れだったんだよな。それで俺は告白のつもりでそう答えたんだよ。でも幼いからか、全く相手にされず……。

 思い出したらなんか、辛くなってきたな……。

「あおっち、か〜わ〜い〜い〜♪」

 落ち込んでいる俺の頬を、ツンツンと人差し指でつついてくる唯奈。こいつ、すげぇうぜぇ……。どうやったらここまでウザくなれんだよ。逆に才能だろ。

「ふぅ、いい思い出を蘇らせてくれてありがとう。またいつでもお店に来てね♪」

 麦さんはそう言うと、お釣りとレシート、あと何かの紙を重ねて俺に手渡す。

「昔みたいに、たくさんお話しましょうね♪」

 ああ、このスマイルが0円……にわかには信じられねぇな。3桁までなら取られてもいいかもしれない。

 そんな素敵な笑顔に見送られて、俺達は店を後にした。俺の手にはキャットフードの入った袋、唯奈の手には犬用のおもちゃやブラシの入った袋が握られている。

 ふと、先程麦さんから手渡された紙を見てみると、そこには英数字の羅列とともに、『RINE、追加しておいてね』の一文がつづられていた。

 あの人、なかなかのやり手だな……。



 その後、まだ早い時間ということで、唯奈と一緒に小森家に帰った俺は、彼女を早苗の部屋まで連れていった。

 早苗が犬好きだから、会わせてやって欲しい……と俺がお願いしたのだ。今朝の様子だと、猫も好きみたいだが、触れられずにいるのは気の毒だからな。犬なら温厚だし、ましゅまろはまだ子犬だし、きっと大丈夫だろうということだ。

「早苗、いるか?」

 一応ノックをしてから、ゆっくりとドアを開ける。だが、部屋の中に早苗の姿は見当たらない。

「って、いたわ」

 よく見てみると、ベッドの下でモゾモゾと動く何かが見えた。俺はベッドの下を覗き込みながら、彼女に声をかける。

「何してるんだ?」

 俺に気付かれていると知った早苗は、肩をびくりと跳ねさせ、その拍子に頭をベッドの底にぶつけてしまう。なんか鈍い音が聞こえた気がしたけど、大丈夫なのか?

「えっと……その……別にサンドラが怖くて隠れたとかじゃなくて……」

「全部言っちゃってんじゃねぇか」

 やっぱり、噛まれたのが相当響いているんだろうか。

「ち、違うのっ!猫の気持ちになってみようかなって思っただけなのっ!」

「……言い訳してて恥ずかしくないか?」

 猫の気持ちになるためにベッドの下に潜る……って、俺だったら恥ずかしすぎて一生ベッドから離れられないな。いや、それは言い過ぎだけど。

 当の恥ずかしい本人である早苗は、俺の言葉に「うっ……」と胸を押さえると、恐る恐るベッドの下から出てきた。

 ゆっくりと這い出てくる姿を例えるなら、ホラー映画のゾンビみたいな感じだ。その割には背が低いし、血色が良すぎるけど。

「まあ、そんなお前のために彼女に来てもらったんだけどな。唯奈さん、お願いします」

 俺がそう言うと同時に、唯奈の後ろからましゅまろが飛び出してきた。

「んぇっ!?……あ、わんちゃん!かわいい〜♪」

 ましゅまろが床に座っている早苗の腕の中に飛び込んだ瞬間、彼女の強ばっていた表情が蕩ける。

「ましゅまろっていうの♪遊んであげてね〜♪」

 唯奈がそう言うと、ましゅまろはより一層激しく早苗にじゃれついた。もう、どちらが遊ばれてるのかわからないくらいだ。

「傷ついた心が癒されるよぉ〜♪」

 うへへぇ〜♪と表情筋が10分間常温で放置したアイスみたいになっている早苗。そんな様子をそっと見ている者がいた。

「……ん?サンドラ、どうした?」

 カバンの中から顔を出していたサンドラが、突然暴れ始めたかと思うと、ぴょんと床に飛び降りて、早苗へと歩み寄る。

 それに気が付いた早苗は、ましゅまろを抱きしめたまま、「ひっ!?」と腰をくねらせて数歩後ずさった。だが、その後退はすぐ後ろにあった壁によって止められてしまい、彼女はあからさまに体を震えさせた。

「こ、来ないでぇ……」

 音も立てず、じわじわと詰め寄るサンドラ。その少し開いた口からは、鋭い牙が見えていて、一歩進むたび、しっぽがムチのように波を打っていた。

 そしてついに、サンドラは早苗のすぐそばまでたどり着いてしまう。俺も止めるべきか迷ったが、ここでを出したら早苗の為にもならないだろう。少し手荒でも、今のうちに怖さを克服してもらわないと……決して噛まれるのが怖いとかじゃないからな?

 サンドラは喉をゴロゴロと鳴らしながら、顔を早苗の手へと近付けていく。その恐怖にじっと耐えるように、彼女が目を閉じた瞬間。


 ……ペロッ


「……ふぇ?」

 サンドラが早苗の手を舐めた。突然感じたザラザラとした感触に、彼女も思わず目を丸くする。

「さ、サンドラ……お前……」

 あんなに毛嫌いしていた早苗の手を舐めるなんて、どんな風の吹き回しだ?猫は気まぐれと言うし、ましゅまろが可愛がってもらっているのを見て、羨ましくなったのかもしれないな。

「か、かわいい……!」

 そんなサンドラの姿に、一瞬で射抜かれてしまった早苗は、そのもふもふとした体を抱き抱え、わしゃわしゃと撫で回した。

「サンドラぁ〜♪可愛いでちゅね〜♪」

 ニャ〜♪

 何はともあれ、仲良しになれたみたいで良かった。5日間も怯えたままなんて、どちらにとっても良くないだろうからな。

「よくわかんないけど、上手くいってるみたいだね〜♪」

「まあ、これで一安心ですかね」

 早苗とペット達の作り出す癒しの雰囲気にあてられて、唯奈の頬も緩んでいた。もちろん俺もだ。かわいいは心のオアシスだな。


 ……とまあ、人生はそんな上手く回っているはずもなく。

「しっぽまでもふもふ〜♪……って、なんでまた怒ってるの!?」

 シャー!ガブッ!

「キャァァァァァァ!」

 という感じで、また1人と1匹の関係値は振り出しに戻るのだった。

 そりゃ、いきなりしっぽ掴んだら怒るだろ。猫側の気持ちも、もうちょっと考えてやれよ……。

 これは笹倉が帰ってくるまで、なかなか大変になりそうだ。

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