猫と生活 編

第112話 俺は猫を預かりたい

 文化祭の翌日。

 いつも通りの時間に目覚めた俺は、今日から五連休だったことに気が付き、もう一度枕に頭を沈める。だが、二度寝の試みはインターホンの音によって阻止されてしまう。

 咲子さんは昨日の夜遅くまで小説を書いていたらしく、起こすのも可哀想だしだし、早苗は全く起きないし……ということで、俺が出ることになったのだが……。

「はーい、今出ますよ…………って、おわっ!?」

 扉を開けた瞬間、何か茶色いものが飛びかかってきて尻もちをついてしまう。足を広げて飛んでくる姿、頭に鋭い何かがくい込んでくる感覚……俺の脳内に某有名ヒーロー映画のワンシーンが流れた。

「す、スパイダー!?」

 もしかして俺、手から蜘蛛の糸出せるようになっちゃう?悪者倒さないといけなくなるのか?

 そんな考えが脳裏を過り、俺は慌てて顔に張り付いたソレを引き剥がそうと、じたばたと暴れた。

「あ、碧斗くん……大丈夫?」

「……ん?」

 聞き馴染みのある声が聞こえ、ふと動きを止める。落ち着いてみれば、俺の顔を覆っているソレは、クモだとは思えないほどもふもふしているではないか。いや、クモを触ったことなんてないけど、多分もふもふでは無いと思う。

 そしてその聞き覚えのある声。彼女は今日からベトナムに行っているはずじゃ……?

「さ、笹倉?どうしてここに……?」

「ベトナムに行く前にここに寄ったのよ。この子を連れて」

 彼女はそう言うとこちらに歩み寄り、俺の顔に張り付いたソレを持ち上げた。

「こーら、サンちゃん!碧斗くんにイタズラしちゃダメよ?」

 彼女が抱えあげたソレの正体は……。

「……ネコ?」

 茶色いもふもふのにゃんこだった。

「ええ、私が飼ってるネコちゃんよ。サンドラっていうの」

「はあ、サンドラ……」

 良かった、スパイダーじゃなくて。

「でも、猫を連れて飛行機に乗るのか?」

 無理では無いと思うが、犬のように大人しくしていてくれるんだろうか。今みたいに人に飛びつく猫なら、かなり危険だと思うんだが……。

「いいえ?この子やんちゃだから、飛行機には乗せられないと思って……ほら、昨日メッセージ送ったでしょう?『預けに来る』って」

「……え?」

 俺は慌ててスマホを開いき、RINEを確認する。ああ、確かに送られてるな。昨日は疲れてたから、見る前にに寝ちゃったのだろう。

 そんな俺の顔を見た笹倉は、不安そうな表情を見せる。

「やっぱりいきなりだと預かるのは無理かしら……」

 ぐっ……そんな顔されたら、断るつもりがなくても胸が痛くなるだろ……。

「もちろん預かる!サンドラちゃんは俺が守るぜ!」

 気がつくと、俺は盛大にカッコつけていた。女の子の前だといいように見られたいって思うこと、よくあるよね。男ならわかってくれるはずだ。でも、無理なことは無理と言おうね。俺は無理じゃないからこのテンション続けるけど。

「まあ、珍しく頼りになるわね!」

「珍しくは余計だろ!」

「ふふっ、冗談よ」

 本当にこいつは……からかわれてもかわいいぜ!って、やっぱりこのテンションやめよう。俺の嫌いなチャラ男の類に自分がなってそうで怖い。


 その後、いくらか会話した後、「飛行機の時間があるからもう行くわね」と、手を振りながら空港へと向かっていく。俺はサンドラを抱えながら、その背中を見えなくなるまで眺め続けた。

 彼女が見えなくなって少しして、家に入ろうとすると、サンドラがニャーと鳴き、俺は足を止める。

「サンドラ、どうした?」

 そう聞きながら手元に視線を移すと、サンドラが俺の手の甲をペロペロと舐めた。その瞬間、俺の胸にアイアンクローでもくらったかのような衝撃が走る。

 あっ、なにこれ。すげぇかわいいんだけど……。恋に落ちる音ってこれの事か。久しぶりに聞いた気がする。

 俺はサンドラが迷惑そうな顔をするのも気にせず、わしゃわしゃと強引に撫でながら、フラフラとする足取りで家の中へと戻った。

 5日間もこいつと一緒にいて大丈夫だろうか。5日後に死体で発見されたりしないだろうか。死因、キュン死で。



「かくかくしかじか……そういう訳で、預かることになった」

「なるほど……って、起きてきていきなりそんなこと言われても、わかんないんだけど?」

 まあ、そりゃうか。アニメや漫画のように、『かくかくしかじか』と言えば伝わるかもと思ったが、そんなはずはなかった。

「笹倉がベトナムに行くだろ?その間預かっていてくれだってさ」

「その説明で済むなら、初めからしてよ」

「あ、ああ……」

 なんだか今日の早苗の言葉には、やけに棘があるな。もしかして猫、嫌いだったか?10年以上一緒にいても、猫嫌いだなんて気づかなかったが……。

「この子、名前なんて言うの?」

「サンドラちゃんだ」

「ふーん……サンドラちゃんね……」

 ふーん、と言いながら口元を歪ませる早苗。俺は不穏な空気を感じ、とっさにサンドラちゃんを抱えあげる。

 もしかしてこいつ、笹倉の猫だからって乱暴なことをしようなんて考えてないよな?いくら早苗でも、その時は動物愛護団体を召喚するぞ?あれ、そう言えば動物愛護団体って、何番に連絡すればいいんだ?知らないと通報できないな……。

 だが、そんな俺の心配は無用だったらしい。

「サンドラちゃん、私も抱っこしたい!あおくんばっかりずるい!」

 なんだ、猫好きじゃないか。心配して損した。

「優しく抱えてやれよ?」

「わかってるわかってるっ」

 早苗は目をキラキラとさせながら、俺の腕からサンドラちゃんを受け取る。その瞬間、女子特有である喜びの『キャァァァァ♡』が鼓膜を揺らした。

「かわいい……!もふもふしてて、ゴロゴロいってて……すごく大人し――――――――――――」

 だがその時、事件が起きた。早苗が『大人しい』と言おうとした瞬間、サンドラちゃんが彼女の手に向かって牙を向いたのだ。

 気付いた時には時すでにおすし。サンドラちゃんの小さくても凶悪な牙が、早苗の手の甲にグイッとくい込むのが見えた。うわっ、痛いやつやん……。

「うっ……うぅっ……」

「……早苗、大丈夫か?」

 心配になってそう声をかけた直後、彼女が堪えていた物が全て吐き出されたような、おぞましいまでの『キャァァァァァ!』が家中に響いた。


「なっ、何事よ!?」

 早苗の叫び声で飛び起きてきた咲子さんが、慌てて部屋から駆けつけてくる。事情を説明すると、「なんだ、ただの猫じゃない」と預かることを了承してくれた。

 そして早苗同様、彼女も猫好きらしく、頭を撫でようと右手を差し出す。その瞬間、サンドラの瞳が怪しく光った気がした。

 ガブッ!

 ここだ!とばかりにその手に噛み付くサンドラ。今度は早苗の時よりも気合が入っている気がする。

「キャァァァァァ!」

 さすがは親子。同じ攻撃に同じ反応、そして同じ倒れ方。ここまでくるともう芸術だ。

 俺は、2人の被害者が手の甲を押さえながら倒れているのを眺めつつ、サンドラを抱き抱えてその頭を優しく撫でてやった。

「お前は本当に可愛いなぁ」



 一方その頃、ベトナム行きの飛行機の中にて。

「ふふっ♪もうそろそろかしら……♪」

 笹倉は口元を押さえながら、一人そう呟いていた。そんな独り言を耳にしたスチュワーデスが、彼女にそっと歩み寄る。

「お客様、ベトナム到着はまだ少し先でございます」

「あ、いえ。そういう意味のそろそろではないです……」

「そうでしたか。失礼致しました」

 彼女は丁寧なお辞儀をすると、乗客らを見回しながら前方へと歩いていった。その姿を見て、笹倉はふぅーと息を吐き出す。

 口に出すのは危険ね。でも、サンドラには碧斗くんと小森さん、あと咲子さんの顔は覚えさせておいたもの。そして碧斗くんには甘えるように、あとの二人には…………ふふふ。


 彼女が密かに、悪い笑みを浮かべていたことを知るものは誰もいなかった。

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