第105話 俺は猫カフェで働きたい

 紅葉が「キララと2人で文化祭楽しんでくるわ!」と言うので、彼女らとはステージ前で解散した。

 別れ際、「私達の歌、楽しみにしてなさい!ドーテー野郎!」と言われのが少しイラッとしたが、あの二人が仲良くなってくれてよかった。

 それにしても、彼女らは互いのどんな人生を見たのだろうか。俺は結城のスカートが燃えるシーンを、前回のようなTPS第三者視点じゃなくFPS主観で見ただけだからな。まあ、それほど結城の人生には波乱がなかったってことか。それはそれで幸せな事なんだけど、納得いかねぇな。


 魅音はと言うと、「女装は後日にお願いします!」と言い残し、彼女の正体に気がついたクラスメイト立ちに囲まれて、どこかへ行ってしまった。

 あの様子なら、俺の役目は完了したと言っていいのではなかろうか。少し段取りは狂ったが、本人も楽しそうなので良しとしよう。


 そして残ったのは笹倉と早苗だけ。2人とも既に制服に着替え直しているのだが、まだコンテストの余韻が残っているのか、その視線は時折火花を散らしている。

 勝者と敗者だもんな。それも、普段のヒエラルキーとは立場が逆転しているし、笹倉からすれば耐え難い屈辱だろう。

 明らかに文化祭に見合わない表情の笹倉を宥めながら、俺は時計を確認する。

「もうそろそろ、シフトだな」

 シフト、つまり猫カフェで働く時間が来たってことだ。笹倉は演劇の時間帯がシフトだったため、既に自由の身なのだが、俺と早苗はこれからなのだ。

「笹倉は自由に回っててくれていいぞ。唯奈さんとかもそこらにいるだろうし……」

 俺がそういうも、彼女は首を横に振る。

「私ももう一度働くわ。そもそも、演劇でちゃんとシフトに入れてなかったし、私だけが特別なんてのも気分が良くないもの」

 さすがは笹倉だ。俺だったら『演劇?知らねぇな!俺は働いたぜ!バイビー!』と逃げ出すだろうに。こういう真っ直ぐなところも、彼女の大きな魅力なんだよな。

「笹倉がいてくれると人手が増えて助かる。ありがとうな」

「ええ、もっと感謝してくれてもいいわよ?」

 俺の礼の言葉に対し、そう言って胸を張る彼女。何だか懐かしい気分になるやり取りに、俺は思わず頬を緩めて頭を下げた。

「ありがとうございます!」

「ふふ、なんだかいい気分ね。ビシバシ働いちゃおうかしら」

 嬉しそうに肩を回す笹倉。制服の袖からチラチラと見える二の腕が魅力的だが、もちろんここは公の場。変態にはなりたくないので、ぷにぷにしてみたくなる衝動はなんとか抑えこむ。

「私も働くもん!笹倉さんよりも働くもん!」

 俺の熱い視線に嫉妬したのか、早苗までそう言って腕をブンブンと回し始めた。だが、すぐに肩を押さえてこちらを振り返る。

「か、肩……パキっていったぁ……」

 あんなにグルグルさせたんだから、そりゃそうだ。

 それに胸が大きい人は肩がこりやすいと聞いたことがある。早苗もその類の人種なので、胸そのものの重さ、あと胸元が寂しい女性からの嫉妬心の重さで、肩が固くなっていたのかもしれない。肩だけに。

 …………今のは聞かなかったことにしてくれ。


 ともかく痛いままでは困るので、早苗を近くのベンチに座らせて、肩のマッサージをしてやった。

 それがなかなか気持ちよかったらしく、「……あっ」だとか、「んん……そこぉ……」だとか、「いいよぉ……あおくん、もっと激しくっ……」だとか。

 聞こえる場所が変わったら完全にアウトであろう、悩ましい声を終始漏らしていた。

 まあ、調子に乗った彼女が、人様には言えないようなセリフを吐こうとしたため、思いっきり固くなっているところを押し込んでやったんだけどな。

「痛いっ!あおくん、痛いよ!」

 そう言ってギブを訴える早苗。

「じゃあ変なことを言うのはやめろ。マッサージに集中できないだろ」

 そう説教すると、彼女は不満そうに唇を尖らせた。

「集中よりチューしたいな……なんちって♪」

「……どうやらまだ痛いことされたいらしいな?」

「ほんとにごめんなさい、それ結構痛いんです、もう耐えられませんごめんなさい!」

 割とガチな謝罪に免じて、今回は許してやることにした。

 だが、俺が猫カフェの方向へと足を向けた矢先、「痛いのはベッドの上がいいかなぁ〜♪」という声がボソッと聞こえてきた。もう一度怒りの鉄槌を食らわせてやろうかとも思ったが、俺にはそれがどうしてもできなかった。

 顔が熱くなってしまって、彼女らの方を振り返ることが出来なかったのだ。

 男なのだから、そういうことを言われてもドンと構えていたいが、不意打ちはどうも耐えられない。

「は、早く行くぞ……」

 俺はなんとか今の気持ちを悟られないようにと、2人の前を歩きながら猫カフェへと向かった。




「おお……すげぇな……」

 猫カフェに到着した俺は、思わずそんな声を漏らす。だって、猫カフェ前には長蛇の列ができていたから。

 店内にもそれなりに人はいるので、合わせるとかなりの数並んでいることになる。これ、トイレの列より長ぇぞ……。

 俺がその光景に驚いていると、店の中から顔を見せた猫耳さんが、こちらを見て「おっ!」と声を出した。

「碧斗〜!お前、シフトだろ〜?早く手伝ってくれ!ここはもう、猫の手も借りたい状態なんだ!」

 そう言って手を振ってきたのは……。

「ち、千鶴!?その格好は……」

 なんと、メイド服に猫耳しっぽの千鶴だった。パッと見は完全に女の子で、声を聞いてもやはりどちらかハッキリしないレベルで中性的。客の中には勘違いをしている人もいるんじゃないだろうかってくらいに、彼にメイド服は似合いすぎている。

「お前、なんでここにいるんだよ」

 千鶴に駆け寄ってからそう聞くと、彼は「いやぁ、それが……」とモジモジし始めた。この仕草、完全に女の子だな……。

「それがさ、俺たちのクラスのメイド喫茶、全然人が来なくて暇だったんだよ。そんな時に碧斗の組の委員長から引き抜かれたってわけ」

 なるほど、暇だったなら手伝ってもらっても申し訳なく思う必要も無いか。でも、メイド服のままで来る必要はあったのか?いや、そもそもの話、こいつのクラスは男子にまで女装させるのか?恐ろしい奴らだな……。

「でも、こんな公の場で女装していいのか?お前だってバレるんじゃ……」

 第一の心配はやはりそこだ。あのイケメン男子が実は女装少年だった!なんてことになれば、噂好きな生徒たちは黙っていないだろう。

 誰一人として漏れず、その噂は広まり、千鶴は辱めを受ける……なんてことも考えられる。だが、俺の心配をよそに、彼はヘラヘラとしていた。

「大丈夫大丈夫、俺、早退したことになってるし」

「は?」

 俺は思わず声を漏らした。早退ってどういうことだよ。

「俺もギリギリまで女装のこと忘れててな。シフトの直前で早退したことにして、今は『ブロンドちゃん』としてここにいるってことだ」

 なるほど、それなら心配することは無いし、思う存分人前に立てる。

「まあ、そういう事だから……よろしくね♪」

「お、おう……」

 急に女モードになられて一瞬たじろいでしまうが、俺は気を取り直して店へと踏み込んだ。後に笹倉と早苗もついてくる。おいおい、どっちが先に入るかなんかで喧嘩するなよ……。


 店の奥に行くと、レジ前には意外にも唯奈が座っていた。もちろん彼女も猫耳としっぽ付きだ。

 でも、彼女のシフトは笹倉と同じ時間だったはずだから、既に終わっているんだけどな……。

「唯奈さん、お疲れ様です」

 そう労いの言葉から入ると、彼女はこちらに気がついて軽く右手をあげる。

「なんでまだここにいるんですか?もうシフトは終わりましたよね?」

 そう聞くと、唯奈は「あはは……」と笑いながら、自分の後頭部を撫でる。

「なんかさ〜、お客さんが笑顔で帰っていくの見てたら、やめられなくなっちゃったんだよね〜♪」

「なんですか、その幸せな理由は」

 随分と微笑ましいな、おい。

「ほら、自分たちがやっていることで誰かを笑顔にできたって思うと、すごく嬉しく感じるでしょ〜?」

「いや、まあ、分かりますけどね」

 黒崎さんも同じようなことを言ってたよな。世界を笑顔で溢れさせる!とまで言う人は居なくても、人間誰しも笑顔は好きだもんな。俺だって同じだ。まあ、笑い死にっていう逝き方だけは嫌だけど。

「お会計、いいですか?」

 また新たなお客さんがレジにやってきた。唯奈は笑顔で対応する。

「はい!パンケーキとアイスコーヒー、それとデラックスナイトフィーバーにゃんこパフェの3点で720円になります!はい!1000円からで!」

 テキパキとレジ打ちをして、お釣りを手渡す唯奈。

 そんな彼女の対応のおかげか、お客さんは笑顔で店を出ていった。その背中を見送る唯奈も笑顔で……いや、手の中の720円を見てニヤニヤしていた。

 …………ある意味幸せそうでよかったよ。でも、それをポケットに入れようとするのはやめような。あと、俺が見ていることに気がついて、慌ててレジに入れるってのも、あんまり見たくない光景だぞ。


 てか、ひとつ言っていいか?

『デラックスナイトフィーバーにゃんこパフェ』って名前付けたやつ、誰だよ!ネーミングセンス皆無じゃねぇか!

 俺はこんな店で働かないといけないのか!?正直、『ご注文を繰り返させて頂き』たくねぇよ……。絶対噛んじゃうって。

「ほらほら、あおっち!早く猫耳としっぽ付けて働いて!」

 唯奈にそう急かされて、俺は仕方なく黒の猫耳としっぽを手に取る。女装のための予行演習だと思えば怖く……無くなるわけねぇよな。


 しばらくの間、自分の中で葛藤していた俺だが、ついには周りの視線に負け、カフェ業務ネコへと進化することとなったのだった。

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