第104話 アイドル(青)さんは相方の夢を見たい

「いい子ね、あなたは私たちの自慢の娘よ!」

「ああ、俺達から生まれたなんて信じられないくらいだ!ほら、お父さんにもっと甘えてもいいんだぞ?」


 ……え?誰?


 私、西門 雲母は困惑していた。突然光にのまれたかと思うと、暖かい部屋の中で、見知らぬ男女に頭を撫でられていたのだから。

 彼らは私を自分の娘だと言っているけれど、私の両親とは似ても似つかない、全くの別人だ。

 私のお母さんは私のことを『自慢の娘』だなんて言ってくれたことは無いし、そもそもの話、お母さんは今も病院で眠っているはず。

 その命がもう長くは無いと知って、私は焦っていたの。生まれてからずっと言われ続けた言葉、『優秀な人間になりなさい』。それを叶えられないと思ったから。

 だから、向いていなくても大好きで続けていたアイドルを「そんなつまらないものは辞めなさい」と言われた時、私は拒むことをしなかった。


 でも、私は自分でも分かっていたの。その時から何かが壊れてしまったんだって。


 私はずっと、お母さんは自分のために厳しくしてくれているんだと信じてきた。だから叩かれても、転ばされても、怒鳴られても、文句一つ言わずに首を縦に振ってきた。それが優秀な人間になる一番の近道だと思っていたから。


 けれど、それは間違っていた。


 アイドルの練習に行かなくなってから、私の体調は悪くなるばかり。初めは長時間勉強し続けることに慣れていないからだとか、栄養が足りていないからだとか、色々と自分に言い訳をしていた。でも、それは目の前にある事実から目を背けているに過ぎなかったの。自分は本物のアイドルじゃないんだと蓋をして、見えないふりをしていたの。

 ずっと信じて従ってきたお母さんの言葉が、間違っていたということに気付かないふりをし続けたかった……ただそれだけの話。


 一度、体調の悪さを誤魔化すために、栄養ドリンクを大量に飲んで、吐いてしまったことがあった。

 吐き気は常に襲ってきて、勉強に集中できるような状態ではなかったけれど、私は自分の体にムチを打ってまでして、無理矢理机に向かわせた。

 そんな日だった。無責任にもお父さんがこう言ってきたのは。

『雲母、もう一度アイドルを頑張ってみないか?お父さんはお前に期待しているんだ』

 アイドル……?そんなものは今の私にとって、ただの邪魔なものでしかなかった。


 私はお母さんのために勉強しなくちゃいけないのに。私はお母さんのために優秀な人間にならなくちゃいけないのに。私はお母さんのために―――――――――。


 それなのに、どうしてそんなことを言えるのかが分からなかった。ボロボロの心身を壊さんばかりに、鋭く突き刺さってきた『期待』という言葉。それを放ったお父さんが、私は憎く思えた。

 お母さんがあんな状態なのに、彼は一度たりとも見舞いには行っていない。ただ、見舞いから帰って来た私に、『どうだった?』と聞いてくるだけ。きっともう、お母さんへの愛はないのだろう。いくら仕事が出来ても、彼は私にとってクズでしかなかった。

 だから、つい怒鳴ってしまったのだ。

「お父さんなんて大っ嫌い!」と。


 娘からの初めての酷い言葉に、お父さんは悲しそうな顔をしていたのを覚えている。そして、「ごめん、もう言わないょ……」と肩を落として去っていったのだ。

 悪い事をしたとは思っているけれど、それ以上に悪いのはお父さんなのだから、謝るつもりは無い。

 そもそも私が狂ってしまったのはお父さんとお母さんのせい。だから私は悪くない……。



 2人のことを思い出すと、またあの言葉が聞こえてくる。

『優秀な人間になるのよ』

『わたしはお前に期待しているんだ』

 ああ……もうやめて……私は2人のおもちゃじゃないの……。優秀な人間になんてなりたくない。期待なんてされたくない。全部全部いらないから、私を自由にして……。

 何もかもを拒みたくなって、私は耳を塞ごうとした。でも、いくら力を入れても私の腕はビクともしない。ただただ満面の笑みで、目の前の男女を見つめるだけ。

「紅葉、幸せになってくれよ〜?」

 不意に男の方がそう口にした。聞き覚えのある名前に、私の眉はピクリと動く。

 確かに今、彼は私に向かって紅葉と言った。私はクレハじゃなくて、キララだよ……?

 ついに自分の存在まで否定されたのかと、胸の奥を掻きむしりたい衝動に駆られる……が、ふと、謎の光のことを思い出す。光に包まれてからここに来たのだから、あれ自体がこんな幻覚を見せているんじゃないか?そういう考えが浮かんできたのだ。

 それならば、私が今見ているのは、紅葉の人生の一部……?あまりにリアリティのある幻覚に、私は無意識にそう思ってしまっている。

 けれど、本当にそうなのだとしたら、彼女は、クレハはどれだけ愛されて育ったのだろう。こんなに素敵な両親に囲まれて、アイドルとしても売れて、周りからもチヤホヤされる。

 きっと、あの小さな体に目一杯の愛情を注ぎ込まれて大きくなったのだろう。だから、彼女には私の苦しみが伝わらない……。

 クレハとしての体は言う事を聞かないけれど、私は心の中で深いため息をついた。こんな幻覚を見せるなんて、もしも神様がいるならそれはどれだけ意地悪な神だろう。私は神にすらバカにされるような存在なのだろうか。


 気がつくと、目の前に男女はおらず、クレハは自分の足で階段を上って、とある部屋に入った。そして扉に後ろ手で鍵をかけ、ふぅ……とため息をつく。

 それと同時に、どこからともなく彼女の声が聞こえてきた。

『お父さんもお母さんも、褒めすぎなのよ。うんざりしちゃう……』

 褒められることにうんざり……?それが私には理解できなかった。褒められたくても褒められない人の気持ちが、彼女には分からないのだろうか……。

 思わず自分クレハを殴りたい衝動に駆られるも、やはり体は動かせず……。

 でも、そのもどかしい気持ちは、次の彼女の言葉でかき消された。

『本当の親みたいな顔しちゃって……。私知ってるんだから。2人と血が繋がっていないことくらい……』

 ……え?血が繋がっていない……?

 私は思わず彼女の言葉を繰り返していた。あんなにも幸せそうに紅葉を褒めていた2人が、彼女の親ではない……なんて、にわかには信じられなかったからだ。

『赤ちゃんの時、暴行を受けて本当の両親から引き離された私は、あの2人に引き取られた。あまりに幼い時の事だから、本人には黙っているようにと、保護所の人から言われて、ずっと隠している……だっけ?2人して夜中にコソコソ話してるの、聞いちゃったんだよね……』

 望まざるとも、勝手に脳内で再生された紅葉の過去の話。しかも、彼女はそれを、話していた本人も知らない場所で知ってしまった。そのショックの大きさは計り知れないだろう。

 だって、実の親だと思っていた2人が、本当はただの他人だったなんて……私だったらきっと、他の何も信じられなくなる。

『アイドルになってからは、お父さんもお母さんも私の機嫌ばっかり伺って……あんなの私が好きだった2人じゃないよ……』

 気がつくと私は泣いていた。けれど、それは私の意思ではない。紅葉の心が感じている悲しみが、私にまで影響しているのだ。

『人気なんていらない、普通でいい……だから……何も知らなかった頃の2人を……』

 紅葉の体は感じた悲しみの重さに堪えきれず、その逃げ道として思いっきり壁を殴る。そして、切れて血が出てきた手を握りしめながら、小さな声でこう言った。

「あの頃の私を返して……」




 その声が聞こえた瞬間、私は目を覚ました。そこは元の路地裏で、近くには関ヶ谷君やもう1人の女の子も倒れている。そして、私の左手に感じる温もりの先では、紅葉がこちらを見つめていた。

「キララ……」

「クレハ……」

 同時に互いの名前を呼び合ってしまって、その気恥しさに思わず目を逸らす。でも、私にはちゃんと伝えないといけないことがある。だから、勇気を振り絞って、もう一度彼女の目を見つめ返した。

「クレハちゃん、ごめんなさい!全部、私が間違ってた!」

 土下座するように、コンクリートの地面手をついて、スレスレの高さまで頭を下げる。

「私、ずっとあなたに嫉妬してたの。私ばかり苦しんで、クレハちゃんは幸せで……って。でも、違った。クレハちゃんもクレハちゃんで、色んな苦しみを抱えてたんだね……」

 話していると、申し訳ない気持ちが奥底から溢れてきて、ついにそれは涙という形で零れた。そんな私の様子に、彼女は優しい笑顔で首を横に振る。

「私こそごめんなさい。努力してないなんて言ったけど、本当はちゃんと頑張ってたのね。それに気付いてあげられなくて、私はあなたのユニットメイト失格ね……」

 そう言って目の縁の涙を拭う紅葉。気がつくと私は、彼女の体を抱きしめていた。

「そんなことない……!私の相方はクレハちゃんしか考えられないよ……」

「……ありがとう、キララ」




 優しい涙を流しながら抱き合う2人。この様子なら、これからも上手くやっていってくれるだろう。

 そう思いながらその光景を眺めていた俺は、安堵の溜息をつく。

「てか、結城。お前、使う黒魔術間違えたろ?」

 まさか本当に黒魔術が使えてしまったというのは驚きだが、不思議と納得している自分がいる。そんな俺の足元で、まだ眠っている振りをしている彼女にそう声をかけると、その眉がピクリと動いた。

「……おい」

 足で脇腹をつついてやると、必死に腰をくねらせた末に、彼女は観念して起き上がる。

「仕方ないじゃないですか。気付かないうちにページが捲れてたんですから!」

 ぶーぶーと文句を言う結城。

「んで、結局なんの黒魔術を使ったんだ?」

 俺がそう聞くと、彼女は本のページをパラパラとめくって、とあるページに目を通す。

「これですね。『記憶交換黒魔術(弱)』。一時的に2人の記憶を入れ替えて、互いの人生を体験させる黒魔術です」

「ああ……だからスカートが燃える夢を見たのか……」

 あれは恐ろしかった。できればもう二度とあんな体験はしたくない。

「私だって、笹倉さんと早苗ちゃんに囲まれてお風呂に入る夢でしたよ!巨乳の2人に挟まれて……精神的なダメージが……」

「間違えたのはお前なんだから、自業自得だろ」

 これが4人とも無事だからよかったものの、もしも魂を代償にする黒魔術などと間違えていたら……って、そういえば。

「間違えた方の黒魔術の代償ってなんだったんだ?」

 魔法陣の真ん中をみてみれば、捧げたはずのクッキーはまだ残っている。ということは、別の何かが代償になったはずだ。

 またページをめくった結城は、真剣な目で。

「これは重い代償ですよ……」

 そう呟いてゴクリと唾を飲み込む。

「いや、信じねぇぞ?お前はクッキー3枚で重いっていう奴だって知ってるんだからな?」

「いや、今回のは本当なんですって!」

 信じてください!と悲しそうな目で訴えてくる彼女。まあ、そこまで言うなら信じてやらんこともないが……。

「で、どんな代償なんだ?」

「スネ毛が生えなくなります!」

「永久脱毛!?」

 それ、重い代償……なのか?いや、まあ人によっては重いのか……?そもそもスネ毛が薄い俺にとっては、わたあめくらい軽いけど。


「……って、何か忘れてないか?」

 ふと違和感を感じた俺は、頭の中の記憶を無理矢理呼び起こす。

 …………笹倉、あ、そうだ笹倉だ。コスプレコンテストのことをすっかり忘れていた。

 俺達が監禁されてからかなり時間が経っているし、ステージがどうなっているか分からないな。

「紅葉、雲母さん、見に行くぞ」

 そう言って、俺は2人を連れて路地裏を出ると、駆け足でステージのある場所へと向かった。




 コンテスト会場に到着した俺は、思わず目を見開く。ステージの上には、優勝者の名前が大きく書かれていた。

 コンテストが終わっていることくらいは、時間的にも予想出来た。時間内に帰ってこなかった紅葉と雲母さんは失格扱い。残った笹倉と魅音で勝負……のはずだったのだ。でも、書かれている優勝者の名前は―――――――――――。

「あおくーん!私、優勝しちゃった♪」

 なんと、参加していなかったはずの早苗だった。


 話を聞いてみると、2人も失格になってしまって、進行に影響が出そうだった……もとい投票で収集するはずのお金があまり集まりそうにないため、急遽途中参加者を募集したらしい。そこで名乗り出たのが早苗だったんだとか。

 彼女曰く、コンテストを見ていたら笹倉さんへの対抗心が燃えてしまったらしい。それで本当に優勝するとかアリかよ……。

 本当に、俺の幼馴染は(偽)彼女の邪魔をするな……。少し離れたところに、悔しそうな表情の笹倉がいるのが見えた。今は話しかけない方が良さそうだ。

 まあ、優勝したってことは、秘密の優勝賞品も早苗に渡ったということだ。命令されたら断れないが故に、ちょっと怖いな……。

「ふへへ……♪」

 いや、こいつなら大丈夫か。そのマヌケな笑顔を見ていると、そう思えてしまう。なんだかんだで俺は早苗を信用しきっているのかもしれない。

 でも、これで魅音との約束、女装の件は無しってことになったな。よかった。

 そうホッとしていると、トントンと肩を叩かれた。振り返ってみると、そこにはモジモジしている魅音がいて……。

「なんだ?女装の件なら優勝してないから無しに……」

「こ、これを使わせてもらいますっ!」

 俺の言葉を遮るように、彼女が差し出してきたのは一枚の紙。そこには『なんでも言う事聞かせる券!―1年生頑張ったで賞Ver.(生徒会監修)』と書かれていた。

「えっと……これってつまり……」

 俺が恐る恐る聞くと、魅音は満面の笑みで答える。

「女装、お願いしますね!」

 ああ……なんてもん作ってくれてんだよ、生徒会!!!やっぱりあのクソ司会者は一度痛い目に合わせてやらないとな……。

 俺は密かに、右手を握りしめていた。

 ……女装、したくねぇよぉ……!

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