第103話 アイドル(赤)さんは夢を見たい

 ……あれ?私、何ともない……?


 私、東條 紅葉は、魔法陣の光が治まってから、やっと開けられるようになった目で自分の体を確認すると、ホッとため息をつく。突然光に飲み込まれたから、どうにかなってしまうんじゃないかと思ったけれど、どうやら無事だったらしい。


 体の無事を確認した後は周囲を確認する。キララやあのドーテーは大丈夫かしら。

 そう思って周りを見渡してみた私は、目に映った光景に思わず目を見開いた。


 初めに目を引いたのは、アニメなどでしか見ないような、カーテン付きの高そうなベッド。私くらいの背格好なら、5人は寝られそうなほど大きい。

 それから艶やかで高級感溢れる木製の机と椅子。それとは別に、光を取り込む窓の傍にも、1人用の小さな机と椅子が置かれてある。お嬢様がくつろぎながら紅茶でも飲んでいる光景が浮かんできそうね。


 壁紙は柔らかなクリーム色をしていて、所々に絵や写真が掛けられてある。中には美術の教科書でも見たことがあるようなものもある。レプリカかしら。


 その他にも、綺麗に整頓された本棚、様々なティーカップの並ぶ食器棚、美しいガラス細工などがしまわれたショーケース。そのどれもが一般人の自分にとって、初めて見るものばかりだった。そしてそれと同時にその美麗さに目を奪われてしまった。

 私がもっと近くで見たいとショーケースに歩み寄り、ガラスに触れた途端―――――――――――。

「ガラスには触れないと約束したでしょう!?」

 背後から突然怒声が飛んでたかと思うと、服を引っ張られて転んでしまった。床には赤くてふわふわのカーペットが敷きつめられていたため、痛みはほとんどなかったけれど、いきなりの事に私は驚きを隠せずにいた。

 顔をあげると、私を転ばせたであろう女性が、私の触れたショーケースをハンカチでキュッキュッと拭いている。

「何度言えばわかるのかしら。ガラスに触ったら、汚れてしまうでしょう?」

 怒りの感情を露わにしたまま、こちらを振り返りもせずにそう言う女性。訳が分からないのに、何故か胸が痛くなる。

「……ごめんなさい」

 私の口は自然とそう発していた。でもその直後、私は違和感に首を傾げる。

 ―――――――――声が違う。

 骨振動で聞こえる声も、空気を伝って耳から入ってきた声も、私自身のものとは全く違っていた。けれども、それはどこか聞き覚えのある声。いつもそばにいた声……。

「ねえ、お願いだからお母さんの言うことを聞いてちょうだい。あなたは私と同じ、優秀な人間になるのだから―――――――――――」

 女性はそう言って、フラフラと立ち上がった私の肩に手を置いた。優しく置かれたはずの手がやけに重く感じて、私はその場に膝を付く。それでも耐えきれず、ついにはうつ伏せに倒れてしまった。

「お母……さん……?」



「大丈夫かぃ?」

 気がつくと女性の姿は消えていて、代わりに手を差し伸べている男性の姿があった。私はその手を掴んで立ち上がる。

「ありがとうございます」

 動揺している自分の意思とは関係なく、何者かの声で発せられる礼の言葉。転んだことでシワのついたスカートを、パンパンとはたいて綺麗に整えた後、周りを見回してみる。

 そこは先程の高級感溢れる部屋では無く、見慣れるほど練習したライブスタジオだった。

「ダンス、やっぱり苦手かぃ?さっきから転んでばかりだ。どうしても嫌なら、無理にアイドルになれとは言わないょ?」

 そう語りかけてくる目の前の男性。彼にはどこか見覚えがあった。

 …………そうだ、事務所の社長……つまり、キララのお父さんだ。少し若くて背が高く見えるけれど間違いない。でも、どうして社長がここに……?

 そんな疑問は口にしようとしても声にはならず、私はただただ首を横に振っていた。

「ううん!わたしがんばる!」

 あどけない声でそう言って、目の前の社長に向かって笑いかける。彼も笑い返すと、その大きた手で私の頭を激しく撫でた。

「私はお前に期待しているんだ。立派なアイドルになって、私の事務所を支えていってくれ――――――――」

 その声が反響するように聞こえたかと思うと、目の前の景色がぐにゃりと歪み、気がつくと目の前に先程の女性がいた。

 今度の彼女は、辛そうな顔でベッドに横たわっている。どうやらここは病院らしい。ベット脇に置いてある診断書には色々と書かれてあったが、『末期ガン』『治療不可』の文字がやけに目立って見えた。

「私はもう長くないわ。あなたが優秀な子になるまで、ちゃんと見届けたかったのだけれど――――――――」

 虚ろな目でそう言った彼女は、ベッドの上に置いていた私の手を掴んでくる。そして、それを自らの胸に引き寄せると、愛おしそうに両手で包み込むようにして。

「優秀な人間になるのよ……がんばりなさい……」

 そう言って目を閉じた。心拍数を示す数値はまだ安定しているため、眠ってしまっただけらしいが、私の目からは勝手に涙が零れた。

「お母さん……私、頑張る……」

 私の口は勝手にそう誓いを呟く。何故か、今すぐに学ばなくては行けないような気がした。私はお母さんに背中を向けると、扉に向かって歩き出す。

「……ん?」

 扉に手を伸ばした時、ふと脇に見えた鏡に振り向く。それはちょうど私の方を向くように立っていて、もちろん私の姿を映していた。

 でも、その私は東條 紅葉ではない。


「―――――――――キララ……?」


 鏡の中でこちらを驚いた顔で見つめていたのは、紛れもなく西門 雲母だった。







「―――――――――っ!?はぁはぁ……あれ?」

 気がつくと、私は元の路地裏で倒れていた。周りには関ヶ谷やオカ研の女の子も倒れていて、私の手を掴んだままのキララも傍にいた。


 今見た夢で、確かに私はキララになっていた。そしておそらく、彼女の人生をほんの少しだけを体験したんだと思う。

 幼い頃から厳しい母親から受け続けた『優秀な人間になれ』という重圧。

 自ら望んで目指したアイドルで、父親から受けた『立派になれ』という期待。

 その後、母親は病気で倒れるも、再度言われる重圧の言葉。それに私は……キララは、焦ってしまった。

 母親の命がもう長くないことを知り、生きている間に優秀な人間になりたいと思った。だから、アイドルの練習そっちのけで、学業を優先していたのだ。

 彼女も彼女なりにやれる努力をしていた。父親と母親、両方からの圧を何とかしようと頑張っていた。それなのに私は『練習にもまともに来ないくせに』なんて酷いことを……。


「……ん……あ…れ……?」

 キララが目を覚ましたらしく、モゾモゾと動き始めた。それから少しして、ようやく意識がはっきりした彼女は、ゆっくりとその体を起こす。

「……キララ」

「……クレハちゃん」

 私たちは互いに互いの名前を口にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る