第100話 俺は壁を伝いたい

「み……た……な……?」

 そう言って虚ろな目でこちらを見たのは、紛れもない雲母さんだった。その手にはガムテープと縄が握られていて、俺のいる位置からは見えないが、壁の影に誰かもうひとりいるらしい。

「関ヶ谷君……」

 相手が俺であると分かった瞬間、彼女の瞳に少しだけ光が戻る。だが、手に持ったロープを握りしめると。

「見られたからにはあなたも口封じしないといけないの……」

 そう言ってこちらに歩いてきた。

「え、ちょ……!」

 女子トイレから出てきた雲母さんは、俺の近くまで来ると、そのロープを無理矢理腕に巻き付けてくる。いや、待って……また縄で縛られるの!?

 彼女の行動に恐怖を感じた俺は、反射的に首を横に振る。

「な、何も見てません!だから許して!」

 そう言って抵抗しようとするも、「ごめんね?」という声が聞こえると同時に、後頭部に激痛が走った。どうやら、なにか硬いもので殴られたらしい。

「雲母……さん……」

 朦朧とする意識の中、もう一度彼女の謝罪が聞こえ、そして俺の記憶はそこで途切れた。




「……ん……ここは……?」

 次に目を覚ましたのは、光のない暗い空間。雲母さんに連れてこられたのだろうか。か弱い女の子である彼女に、男一人を運ぶことが出来るのかは怪しいが、可能性として考えられるのはそれしかないからな。

「……あれ?」

 ふと手首に違和感を感じ、色々と動かしてみる。

「やられたか……」

 視覚的には何も分からないが、右手と左手が自由に動かせないことから、あのロープで拘束されてしまったらしい。

「……って、あれ?このロープ……」

 なんとか解けないものかと、結び目の形状を探っていると、とあることに気がつく。なんと、ロープは固結びではなく、ちょうちょ結びになっていたのだ。

 これなら歯で噛んで引っ張れば、簡単に解けるはずだ。雲母さんも詰めが甘いな。

 俺は不思議に思いながらも両手を解放し、ひとまずほっとため息をつく。手が自由であれば、出来ることはそれなりに増えるだろう。逆に手が拘束されていたら、鍵が見つかっても開けることすら出来ないからな。鍵穴も見えない暗闇の中で、口を使って鍵を回すなんて御免だ。

「それにしても、ちゃんと出口はあるんだろうな……。鍵を閉められてたりしたら俺は……」

 一瞬、餓死する自分の姿が思い浮かんで、俺は身震いする。

 それだけは絶対に嫌だ。なんとしてもここからでなくては……。

 そう考えた俺は、せめてもの救いとして自由なままの足で立ち上がる。そして壁を見つけると、壁伝いに扉がないかを探し始めた。

 普通に考えて部屋は四角形。光が全く入ってこないことから、その四辺に窓はないだろうし、扉があればそれは頑丈なものであることは確かだ。


 ……1つめの壁には何もなしか。


 俺は暗闇が苦手な訳では無いが、何も見えないというのは意外にも恐怖心を煽ってくるもんなんだな。『まだ一辺しか』というよりも『もう3辺しか』の方が強く感じられてしまう。

 手を2つ目の壁につき、上も下も届く範囲は全て触れて確認する。屈んでしか通れない扉というのもあるかもしれないからな。

 そうやってじっくりと探していくと、2つ目の壁の途中、突然、壁の質が変わった。

 ……あれ?ここだけやけに柔らかいな。ちょっと凹凸もあるし、もしかして出口のためのスイッチだったり……!

 最近やった脱出ゲームに、これと似たようなシチュエーションが描かれていたことを思い出し、希望の光が見えた俺は、その凹凸部分を思いっきり掴んでみる。

「ひゃうっ!?」

 やけに艶かしい声が暗闇の中から聞こえた気がする。なんというか、まるで胸を揉まれた女の子のような―――――――――――――。

「……いやいや、そんなわけないだろ」

 いくら俺でも、柔らかい壁と女の子の体くらい触り分けられる。

「だ、誰よ、私の胸を掴んでる奴は!」

 いや、訂正しよう。俺が触り分けられるのは柔らかい壁と、の体だ。だから、目の前にいるであろうまな板女に限っては、見分けられなくても仕方がないのだ。

「えっと……紅葉、さん……?」

 暗闇の中にそう問いかけると、それをスイッチにしたかのように、パッと視界が明るくなる。部屋の真ん中に吊るされている電球に明かりが灯ったのだ。

 そして、目の前にはもちろん赤髪の少女が立っていて、親の仇かと言うくらいの表情で俺を睨みつけている。

 そう言えば、俺がプレイした脱出ゲームって18禁だったような……。寝ぼけながらプレイしたからよく覚えていないが、どこか既視感のあるシチュエーションな気もしなくもない……。

「あんた、あのドウテーの……」

「や、やあ、紅葉さん。こんな所で奇遇だね……」

 爽やかボイスを意識して、俺は右手を軽く振る。これなら彼女も少しはその鋭い眼差しを緩めて……。

「何が奇遇よ!あんたもキララと共犯だったのね!抱きしめ合う仲だものね!このケダモノ!」

 ダメだった。爽やか作戦は失敗だ。むしろ、大変な誤解をされてしまっている気がする。

「俺は共犯じゃないぞ!?俺だってここに閉じ込められてるんだ!それで今出口を探して……」

「信じられないわね!どうせキララに頼まれて、私を穢そうとしてたんでしょ!男だもの、そうに決まってるわ!」

「そんな酷いことするわけないだろ!大体、好きでもない女に手を出す気は無い!」

「それが人の胸を掴みながら言うセリフ!?さっさと離しなさいよ!」

「……あ、すまん」

 すっかり忘れてた。あんまりに胸の感触が薄いから……なんて言ったら、きっと殺されるだろうな。胸を揉んだってだけで殺されててもおかしくないってのに。彼女の腕が拘束されていて、ある意味助かった。

 俺が紅葉の胸から手を離すと、彼女はわざとらしくため息をつく。

「私の初モミだったのに……。それがこんな冴えないドウテーに……」

「冴えない童貞で悪かったな!」

 今日初めてあった奴にそこまで言われる筋合いはねぇぞ。てか、初モミってなんだよ。

「それにしても……本当に何も無いな……」

 明るくなったからと、部屋の中を見回してみるが、探していた扉なくてどこにも見当たらない。ここに入ってきた扉があるはずなのだから、出口にあたるものも同じ場所にあるのが世界の真理、この世の理だ。

 だから出口が存在しないということはありえないはずなのだが……そのありえないを可能にする方法が一つだけある。

 想像してみて欲しい。何の変哲もないコップがあったとして、そこに飴玉をひとつ放り込むとする。この時、飴玉にはたしかに入口なるものがあった。だが、コップをひっくり返して机の上に置いてしまえば、コップの側面と机によってコップの内外は完全に遮断され、飴玉は出口を失うことになるのだ。

 俺達が置かれているのはそういう状況なのかもしれない。つまり、中に入った後で出口を塞がれた可能性があるということだ。

 ここから導き出せる答えと、それによって確定した未来を簡単にまとめるとするならばこうだ。


『俺達は一生出られない』


 脱出ゲームではありえない事実。謎を解けば外に出られるものとは違って、謎すら存在しない真の密室。これが本当のリアル脱出ゲームってか?ゲーム以前に負け確じゃねぇか!

 俺は心の中の叫びを堪えきれなくなって、思わず足元の床を思いっきり踏みつける。

 カタン。

 あれ?今なにか音がしたような……。道路に埋め込まれたタイルが古くなって少し浮いていて、その上を歩いた時に鳴る音が聞こえたような……。

 やたら詳しい例えが頭に浮かび、足元に視線を落としてみると、思った通りだった。石造りの床の一部分だけがタイルになっていて、ほんの少しだけ隙間ができていたのだ。

「ここが脱出口か?」

 進むべき道を見つけて少しホットした俺は、そのタイルの隙間に無理矢理指を突っ込んで、力ずくで持ち上げる。

 勢いよくひっくり返ったタイルは床に倒れた際、自らの重さのせいでボロボロに砕け、もう一度見た時には既に原型を留めていなかった。

 そんなタイルの下にはハシゴがかかっていて、下に降りて行けるようになっている。

 だが、そこには既に先客がいた。しかし降りるのではなく、上ってくる先客。

「あれ、関ヶ谷君。もう見つけちゃったの?早いね」

 俺達をここに閉じ込めた張本人、西門 雲母が。

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