第101話 俺はアイドル(青)さんから逃げたい

「雲母さん……」

 犯人は現場に戻ってくるとはよく言ったものだ。わざわざ出口を探さなくても、それを知る犯人自らやって来てくれていたとはな。

「あえて関ヶ谷君だけ自由にしておいたのだけれど、何か面白いことは起きた?例えば、そこにいるクレハちゃんに襲いかかったとか」

 ハシゴを上り終えた雲母さんは、スカートについた砂を払いながらそう聞いてくる。そのどこか楽しそうな口調に、俺は嫌悪感を覚えた。

「ええ、襲われそうになったわよ!胸を鷲掴みされたもの!私の初めてがこんな特徴のない男に!」

 壁に繋がれた手枷で腕を拘束されたままの紅葉は、自由に動くことが出来ず、その場で地団駄を踏んでいた。そんな彼女にゆっくりと歩み寄り、ニコッと笑った雲母さんは。

「クレハちゃん、嘘は良くないよ。鷲掴みされる程の胸もないくせに」

 そう言ってチッチッチッと人差し指を振った。同じアイドルユニットに所属しているのなら、その言葉が紅葉にとっての地雷である事くらい知っているだろう。

 つまり、雲母さんはわざと地雷を踏みに行ったのだ。

「……っ!あんた、言ったわね……?」

 許せないと言わんばかりに怒りのこもった声でそう言った紅葉は、腕と違って自由に動かせる足を、雲母さんに向かって振り上げた。だが―――――――――――。

「……っ!?」

 雲母さんは、サッとバックステップを踏んで蹴り上げをかわすと、片手でその足を掴んだ。おかげで紅葉のスカートの中が丸見え……と思ったが、スパッツらしきものを履いていたため、パンツは見えなかった。あら残念。

 驚いた表情を見せた彼女に、雲母さんは再度ニコッと笑いながら言う。

「私、アイドルの素質はないけど、クレハちゃんより運動神経はいいと思うよ?」

「……ちっ」

 アイドルにあるまじき行為、舌打ちをした紅葉は、体に込めていた力を抜く。それと同時に、雲母さんも彼女の足から手を離した。

 その光景を見た俺の頭に、ふと、とある疑問が浮かんでくる。いや、ずっと持っていたけれど、気付かなかっただけなのかもしれない。

「雲母さん、どうして俺達をここに閉じ込めたんだ?」

 俺がそう聞くと、彼女は「閉じ込めただなんて人聞きが悪いな〜?このハシゴを降りたら外に出られるよ?」と床に空いた穴を指差した。

 もしも彼女の言うことが本当なら、彼女を突き飛ばしてから急いで降りれば、俺は逃げ切れるかもしれない。でも、それはあくまでの話だ。

 ここに捕らえられていたのは俺だけじゃない。紅葉だって腕を拘束されて逃げられない状態なのだ。

 いくらドウテー呼ばわりされても、同じ境遇である以上、見捨てるなんてことはしたくない。そんなの後味が悪すぎるからな。


 もちろん、逃げる気になれないのはそれだけが理由じゃない。


 雲母さんが今、紅葉を怒らせるという行動をした理由。それは『俺に逃げられないことを暗に悟らせるため』だ。その小学生でも見て取れるであろう身体能力の高さは、直接口にはせずとも、俺の脳の中で勝手に足の速さや力の強さに結びついている。

 事実はどうかわからないが、俺の脳内シュミレーションでは、雲母さんから逃げ切れる確率はかなり低い。そんな賭け要素の高い挑戦に走るほど、俺は勇気のある人間じゃないからな。彼女の手のひらの上で踊らされてるってわけだ。


 ついでに言えば、拘束されている紅葉に対して挑発的な発言をしたことも、『私はあなたより上。どうにでも出来るよ?』ということを暗示しているのかもしれない。俺はそう考えていた。


「それで、どうして俺達をここに閉じ込めたんだ?」

 俺は雲母さんの言葉を聞いてもなお、『閉じ込めた』というワードを変えずにそのまま繰り返す。彼女は一瞬眉をひそめたが、また笑顔に戻ると、紅葉の方に視線を向けた。

「あいつが憎いから」

「……え?」

 笑顔に反して、温もりを感じられないその声に思わず声を漏らす。それが本当に雲母さんの口から発されたものなのか、にわかには信じられなかったが、確かに彼女は紅葉を指差していた。

「憎いって……どういう事だ?」

 俺がそう問うと、雲母さんは紅葉に歩み寄り、その目を見つめる。

「私はね、こいつにたくさんの屈辱を味合わされてきたの。歌唱力、トーク力、ダンス、魅力……アイドルに必要なもの全て、私はこいつに劣ってるの」

 逸らされることの無い眼差しに、強気だった紅葉もその表情を強ばらせた。その様子を見た雲母さんは、楽しそうに笑う。

「あはは……怖がってる顔も可愛いでしょ?こういう所がこいつの魅力。私に勝てっこないのはわかってた」

 紅葉の頬を右手で掴み、その頭を乱雑に揺らす。

「初めは頑張ろうって思ってた。でも、いきなりこいつとの差を見せつけられて、見下されて……それだけで女子高生の向上心なんて、いとも簡単に崩れ去っちゃうんだよ」

 いつの間にか雲母さんの顔からは笑顔が消えて、目からは光が失われていた。

 彼女は頬を掴んでいた手を離すと、深いため息をつく。その様子を見て、紅葉は震える声で言った。

「こ、向上心……?まともに練習も来ないくせに……な、何を言って―――――――――――」

「何も知らないくせに口出ししないで!」

「うぐっ……!」

 紅葉の言葉を遮るように叫んだ雲母さんは、勢いよく突き出した右手で彼女の首を掴んだ。

「私は……努力してた……!今回のコンテストだって、絶対に勝とうと思ってた!それでも限界があったの……!知ったような顔をするな!」

「た、助け……て……」

 首の皮膚にくい込んでいく指。苦しそうな紅葉の声。気がつくと、俺の体は勝手に動いていた。

「やめろって!」

 雲母さんの体を横から突き飛ばし、紅葉を解放する。荒い息遣いで肩を上下させる紅葉に「大丈夫か?」と聞くが、彼女はそれには答えず、ただただ震える瞳で、突き飛ばされた先で壁にもたれる雲母さんを見つめていた。

 その表情から読み取れる感情はひとつ。


『恐怖』


 首を絞められたんだ。怖がらないほうがおかしい。

「何考えてるんだ!殺すつもりかよ!」

 俺がそう怒鳴ると、雲母さんは怯むどころか口元を歪ませてこちらを見た。

「殺すわけない。私がそいつに苦しめられた分、何倍も苦しめ続けてやるつもり。強いて言うなら生き殺しかな?」

 どこかおどけたような、ふざけているように感じるその言葉に、俺は思わずイラッとしてしまう。

「何が生き殺しだよ。そんなのただの逆恨みじゃねぇか」

 紅葉を庇うような体勢でそう言うと、雲母さんは少し表情をくもらせた。

「関ヶ谷君までそんなこと言うの?私の努力も知らないのに?身勝手に人の頑張りを決めつけて、私のことを見下すの?」

 言葉を紡ぐ度、彼女の表情はだんだんと色を失って、ついには怒り一色に染まってしまった。

「もういい……認めてくれないなら、2人とも私みたいに、誰にも注目されないまま、人知れず死んで!」

 そう叫んで砕け散ったタイルの破片を拾った彼女は、それを振りかぶりながら俺に向かって突進してくる。

「え、ちょっまてよ!」

 一瞬、キ〇タクが乗り移ってきた気もするが、なんとか体をひねって、彼女の攻撃をすんでのところでかわした。

「きゃっ!?」

 背後で短い悲鳴が聞こえ振り返ってみると、俺から外れた攻撃は紅葉を拘束する手枷に当たっていた。どうやら、紅葉自身が身を守るため、咄嗟に頭をかばったところにちょうど当たったらしい。

 その衝撃で運良く手枷の鍵が壊れ、彼女の両手は自由になった。だが、彼女はまだ足がすくんで立ち上がれずにいるらしい。

「くそっ……逃げるぞ!」

 慌てて紅葉の腕をつかみ、無理矢理背中に乗せると、下へ続く穴へと飛び込むように駆け込んだ。

 女子一人背負って降りるハシゴはなかなかキツかったが、上から追ってくる雲母さんの姿が見えた瞬間から、そこらの感覚は麻痺していた。

 とにかく逃げなきゃ殺される。

 その一心でハシゴを飛び降り、出口から飛び出し、見覚えのない木々の中をひたすらに走り続けた。


 しばらく走ると、俺は見慣れた道に飛び出す。いつも通学で使っている道路だった。

 これ以上は走れそうもなく、身を隠すために俺は路地裏へと入る。そこにあった古いベンチに紅葉を下ろした時の、俺の第一声はこれだった。

「……この学校、メンヘラ多くないか?」

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