第99話 正直者さんは催し事を成功させたい
突然だが、みんなにこんな経験はあるだろうか。
『トイレを我慢しているのに、大勢の人前にてロープぐるぐる巻きで吊り下げられている』
まあ、多分ないと思う。あるとしても、ロープでぐるぐる巻きぐらいだろう。そういうプレイが好みの人もいるだろうから、俺は否定しないけれども、一応ことわっておこう。
俺のこれはプレイじゃないからな?
さっき、頭を冷やすためにトイレに行ったのだが、15分並んでやっと自分の番が来たんだ。「あ、そうだ。ついでにトイレを済ませておこう」とトイレの前に立った瞬間、襟首を掴まれて連行され、気が付いたら、小型クレーンで地面から5mくらいの高さに吊り下げられていた。
犯人はおそらく、いや、あのニヤニヤした顔を見るには確実に黒沢さんなのだが、そうなると彼女が男子トイレに入ってきたことになる。そういうことを気にしなさそうなアホ面をしているとは思っていたが、まさか本当に……。
警察に通報して、インタビューに『いつかやると思っていました』って答えてやろうか。まあ、証拠がないから逮捕されないと思うけど。
「……で、俺はどうしてこうなってるんだ?」
別になにか悪い事をした覚えはないんだけどな。強いて言うなら、雲母さんを不可抗力で抱きしめてしまったことくらいだ。……いや、吊り下げられるにはそれで十分なのか?
「関ヶ谷くん、安心してね!別に君が悪いことをしたから吊り下げてるわけじゃないから〜!」
俺の足下から聞こえてくる黒沢さんの声に、俺は首を傾げる。
「それなら逆になんで吊り下げられてるんだ……?」
彼女は俺の問いには答えず、舞台裏に走っていった。……と思ったら、何やら代車に乗った重そうなものを運びながら戻ってくる。
「関ヶ谷くんが落ちることになるかもしれない『五右衛門風呂』、とうちゃーく!」
彼女が運んできたのは、湯気がムンムンと立ち上り続けている金属ドラム缶で沸かした風呂だ。グツグツと沸騰しているのが見て取れるし、触らなくても熱いということがよく分かる。
「って、今聞き捨てならない言葉が聞こえたよな!?俺が落ちるかもしれないってどういうことだよ!」
気がつけば、五右衛門風呂は俺の真下にセットされていて、俺を吊り下げているクレーンが誤作動でも起こせば、俺はあの中に真っ逆さまってわけだ。
「それは今から説明するところデース!」
「ペガサス・J・ク〇フォードのモノマネはやめろ!真面目に説明しろや!」
命の危険を感じ、つい口調が荒くなってしまうが、黒沢さんは全く動じず、ステージ上に立つ5人に向かって楽しそうに説明を始めた。
「1位に輝く女の子には運も不可欠!ということで、2回戦は運試し!生徒会が用意したこの大きなカードを使って競ってもらいマース!」
彼女はそう言うと、教室の机と同じくらいの大きさのカードを順番に、合計7枚掲げて見せた。
そこには青色で『1』『2』『3』、赤色で『-1』『-2』『-3』、黒色で『0』と書かれてあった。
「7種類のカードはそれぞれ5枚ずつあります、じゃなくて……ありマース!計35枚のカードは伏せたままシャッフルされ、ランダムに並べられます……マース!それを出場者の皆様に順番にめくっていってもらうデスゲームデース!」
いちいち言い直さなくていいだろ。あと、デスゲームでもねーよ。と心の中でツッコミつつ、俺は黒沢さんに質問する。
「それと俺が吊り下げられてることと、なんの関係があるんだよ!」
そんな俺の言葉にニヤリと笑った彼女は、「そこがこのゲームの肝なんです!」と言いながら『-3』のカードを掲げた。
「例えば1番手の人がこれを引いたとします。すると……」
彼女が舞台下の生徒会役員に目配せをすると、彼はトランシーバーに向かって何かを囁いた。その次の瞬間……。
ガタン!ギィ……ギィ……
なんと、俺を吊り下げているクレーンがゆっくりと下降し始めたのだ。
「な、なんだ!?黒沢!貴様何を……!」
身の危険を察した俺は、何とか束縛から逃れようと身をよじる。だが、丈夫な縄はビクともせず、熱湯の水面はさらに近づいてきて……。
もうダメだ!と、俺が強く目を閉じた瞬間。
ガタン…………。
クレーンは動きを止めた。
「……へ?」
「はい!『-3』なので、このように3m分下がります!」
その言葉を聞いて、俺はほっと胸を撫で下ろす。腕も拘束されてるから、物理的には撫で下ろせないけど。
でも、助かってよかった。あともう少しで『よくもボクを騙したなァ!!』と口にしてしまうところだったから。
危うく降臨しそうになったエウ〇ネスは引っ込めて、俺はクレーンに吊られたまま元の5mの高さに戻される。
「もしも自分が引いたカードによって、関ヶ谷くんが熱湯に浸かってしまったら、その人は3回戦出場枠から除外されマース!」
「その『もしも』が訪れたら、俺が人生から除外されちまうだろ!」
「さて、吊り下げられし故人の気が変わらないうちに2回戦を始めましょう!」
「勝手に殺すな!てか、やりたくない気持ちが変わらねぇよ!そもそも俺に拒否権を使わせろぉぉぉ!」
俺の心からの叫びは見事にスルーされ、虚しくも2回戦が始まってしまった。黒沢の野郎、ここから降りたら絶対に復讐してやるからな……。
約30分後。俺は、プラスフィーバーでやけに高く釣り上げられたり、マイナスオンパレードで熱湯面ギリギリまで吊り下げられたりなど、延々と心臓が飛び出しそうな思いをし続けた末、なんとか無事に地上へと帰還した。
奇跡的に、熱湯に浸かってしまうことはなく、結局は引いたカードの合計で順位が決まることとなった。その結果、4番目の出場者の女の子が2回戦敗退となり、残るは4人。
「では、ここで中間発表といきましょう!1回戦の『魅力対決』での経過時間、2回戦の『運試し』でのめくったカードに書かれていた数字の合計。この2つをポイントに換算した結果が……こちら!」
黒沢さんがドーンっと手を上げると、駆け込んできた生徒会役員達が巨大な紙を一気に広げた。相変わらずアナログなやり方である。
そこに書かれていたのは――――――――――。
1位・・・『東條 紅葉』 1542点
2位・・・『笹倉 彩葉』 1528点
3位・・・『西門 雲母』 1311点
4位・・・『奏操 魅音』 904点
1回戦では圧倒的1位だったはずの笹倉が、なんと2位に転落していた。おそらく、カードの引き運が悪かったからだろう。笹倉、ほとんど0かマイナスだったもんな。その反面、紅葉は安定してプラスを引き、雲母さんも合計としてはプラスだったはずだ。
魅音はというと、彼女はこういうゲームが得意らしく、引いたのは『3』を4枚と『2』を1枚。それなのにどうして1人だけ桁が違うのかというと、答えは簡単。1回戦でのポイントが時間切れでゼロだからだ。
おそらく、1回戦2回戦で割り振られていたポイントは1000ずつ。そう考えれば、魅音と雲母さんに意外と差がない理由にも説明がつく。
残る競技はあと2つ。魅音が巻き返すチャンスもまだ残されているはずだ。内容によっては優勝だって……。
そう考えた瞬間、女装の件が頭を過った。
いやいや、さすがに優勝は無いよな。600点以上差がついてるし……そもそも流れ的に3回戦でも敗退者は出るだろう。そしてそれが魅音である可能性はかなり高いと思っている。
本物のアイドル2人と、完璧超人な笹倉が相手では、人見知りな一年生にまず勝ち目はないのだ。だから、俺はその予想できる未来に安心して…………って、そんなのダメに決まってるだろ!
俺は魅音に対する悪い気持ちを振り払うように、首をブンブンと横に振る。
いくら女装がかかっていようと、魅音が負けることを願っちゃいけないんだ。それでは必死にステージで踏ん張っている彼女に顔向けできない。本当に彼女が負けてしまった時、『お疲れ様』と言ってあげられないじゃないか。
俺は笹倉も魅音も応援する。片方、もしくはその両方とも優勝出来ないかもしれないが、それでも2人の活躍を1番に称えられる存在でいたいから……。
「関ヶ谷くん、大丈夫かな?ぼーっとしてるみたいだけど……」
突然声をかけられて、俺はとっさに我に返る。気が付くと、目の前に黒沢さんが立っていた。
「大丈夫かって……危険な目に合わせたのは黒沢さんでしょうが……」
俺がそう言って睨むと彼女は、「あはは……」と控えめに笑った。
「いや、ごめんね?あの方が盛り上がると思ったからさ。年に一度の催しだから、みんなが一番楽しめる方法でやりたいなって思ったんだ……」
心の底から申し訳ないと思っていることが伺えるその表情に、俺の中にあった怒りの感情はいつの間にか消えていた。
黒沢さんも黒沢さんなりに考えた結果、俺を吊るしあげるということになったのなら、納得は出来ないが理解はできる。実際、俺が熱湯に浸かりそうになった時なんて、かなり盛り上がってたしな。
「でも、安心して欲しいんだ。どれだけ君を巻き込んだとしても、絶対に怪我をさせたりはしないからさ」
彼女の真っ直ぐな瞳に、俺は思わず首を縦に振っていた。
「さっきだって、本当に落ちることになったら、ステージにセットしてたロケット花火を飛ばして、観客の注意を引いている隙に君を逃がすつもりだったから……」
「そんなもんまで用意してたのかよ!どこまでもイベント想いだな!」
俺のツッコミに、黒沢さんは照れながら、「誰かを笑顔にするために、誰かを傷つけたら意味ないからね」と呟いた。
ここまで人の笑顔のために真っ直ぐになれる人間はなかなかいないと思う。嘘をつくという人間に不可欠なステータスが欠けているのは残念だが、それもまた、彼女が歪んでいない証拠だろう。
「そういう事だから、この催し事に最後までお付き合い下さい!」
黒沢さんはニコッと笑うと、俺に向かって深々と頭を下げた。これはつまり、次の3回戦でも俺は何かをさせられるという事だろうか。だが、今となってはなんの抵抗もない。俺が体を張ることでイベントが盛り上がるなら、人差し指…………の爪くらいなら差し出してやる!爪は1年もあればまた同じように伸びるが、今日という日は決して同じようにはならないのだから。
「もちろん付き合うに決まってるだろ!この催し事は――――――――――あれ?」
この催し事は俺たちで成功させる!的なことを言おうとして、ふと言葉を止める。
催し事……催しごと……催し……もよおし……あっ!?
「ど、どうかした?」
俺の異変に首を傾げる黒沢さん。俺はそんなに彼女のかたをう掴んで、深刻な声で言った。
「尿意が……もよおしてるの忘れてた……!」
「……は?」
俺の言葉に、彼女は訳が分からないという顔をする。
「は?じゃねぇよ!お前がトイレする前に拘束したから、行けなかったんだろうが!って、漏れる漏れる!」
怪訝な顔をする彼女はその場に放置して、俺は慌ててトイレへと走った。
って、また混んでやがる……。
なんとか漏らさずにトイレにたどり着いたはいいものの、トイレ待ちの列は相変わらず長蛇だった。
……あ、そうだ!確か、今は汚いからほとんど使われていない古いトイレが、この校舎の反対側にあったような……。
あそこなら学校案内の地図にも書かれていないし、列にもなっていないはずだ。そっちに行こう!
そう思い立った俺は、今にも解放されそうな尿意をぐっと堪えて、足早に古トイレへと向かった。
はぁ〜!我慢したあとのトイレってのは、なんでこんなにも清々しいんだろうな……。
ギリギリのところでトイレに駆け込むことのできた俺は、スッキリした腹をさすりながら満面の笑みでトイレから出てきた。
もうそろそろ3回戦が始まるし、早く戻ろう……と足を踏み出そうとするが、ふと、何かの物音が聞こえたことで俺は動きを止める。
こんな場所に誰かいるはずはないんだが……もしかしたら、どこかのカップルが文化祭の雰囲気から抜け出して、2人でイチャイチャしているのかもしれない。高校生としての健全な一線を超えている可能性だってある。
男というのは一度そういう好奇心を持ってしまうと、確認するまでモヤモヤが収まらない生き物なのだ。だから仕方ない……そう、これは本能の問題なんだ……。
誰に言い訳するでもなく、自分に言い聞かせるように頭の中でそう繰り返しながら、俺は物音のする方へと静かに近づく。
不規則に聞こえてくる音をたどってみると、どうやらその発生源は、男子トイレとは少し離れた場所にある女子トイレの中らしかった。
これはかなり怪しい匂いがする……。
文化祭、人気のない場所、トイレの中、不規則に聞こえる音……ここから連想されるものはあれしかない!
いけないとは思いつつも、俺はそっと小窓から女子トイレの中を覗いてみることにした。
「…………え?」
俺の目に映ったのは、想像していたものとは似ても似つかぬ、むしろおぞましいものだった……。
「み……た……な……?」
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