第98話 俺はフードさんを奮い立たせたい

「魅音、大丈夫か?」

 真っ青な顔で登場した彼女に、俺はそう声をかける。やはり、いざ競技をやるとなると、緊張が高まってしまったのだろう。おまけに俺を照れさせないといけないのだから、今の彼女には相当なプレッシャーがかかっているはずだ。

 今すぐに泣き出してもおかしくなさそうな表情で立つ魅音を、何とか落ち着かせてあげようと、俺は頭の中で必死に言語検索をする。

「ほ、ほら、せっかくなんだから楽しんで―――――――――」

「あ、言い忘れてましたけど、1回戦の最下位の方は、2回戦に進めませんので!全ては奏操さんにかかっています!」

「私にはできませぇぇぇぇぇん!うわぁぁぁぁん!」

 ついに泣き出してしまった……。もう、『やめて!彼女の自信はもうゼロよ!』状態。顔面蒼白を通り越して、存在そのものを消しそうな勢いだ。もちろんか弱い少女にそんな能力があるわけないんだけど。

 ていうかあのクソ司会者、そういう大事なことは前もって言っておけよな……。

 魅音については可哀想だが、今更どうこう言って変わるものではない。それなら、もう前に進むしかないのだ。

 俺は、何とかして逃げ出そうとする彼女を捕まえて、慰めるように優しく背中を撫でてやる。

「魅音、落ち着けって。逆に考えれば、最下位じゃなければ次に進めるんだぞ?ポジティブに考えようぜ、な?」

 俺の声に、彼女は渋々だが小さく頷いてくれる。とりあえずは人目に慣れてもらうのが目標だから、出場さえしてくれればあとは何とかなるだろう。

 俺はホッと胸をなでおろして、椅子に腰掛けた。



 数分後、俺は後悔していた。もっと俺が助けていれば……。

「奏操さんの記録、15分!というよりかは時間切れですね〜」

 残酷にも、魅音の敗退確定を告げる黒沢さんの声をバックグラウンドに、俺は15分前のことを思い出していた。


「えっと……えっと……」

「魅音、まだ慌てるような時間じゃない!」

 タイマーが動き始めると同時に、しどろもどろ状態になってしまった彼女と、なんとか落ち着かせようと必死に声をかける俺。


 10分前。

「えっと……えっと……」

「……魅音?そろそろなにかしようか。こう、俺がされたら喜ぶだろうなって感じのを……」

 5分経過しても一向にアクションを見せず、未だしどろもどろ状態の彼女と、何とか行動させようと優しく声をかける俺。


 5分前。

「……あっ!……いや、でも……」

「なにか思いついたならやってみるべきだって!今ならまだ間に合う!2回戦に進める!」

 思い立ったが吉日を愛する人たちから批判が殺到しそうなほど、思い立っても引っ込めてしまう彼女と、その今という瞬間をなんとか吉日にしてやろうと熱く語りかける俺。


 1分前。

「…………」

「諦めないでくれ!せめて時間内には俺を照れさせてくれ!頼む!お願いだ!なんでもするから!」

 恥ずかしげもなく諦観に徹し始めた彼女と、照れを懇願する恥ずかしい姿の俺。


 ……そして今に至る。

 あれ?俺、やれること全部やったよな?限界まで彼女に手を差し伸べてやってたよな?

 シドニー・ハリスさんよぉ……やらない後悔よりやった後悔の方がいいって言葉、信じていいんだよな?現状、俺はあなたを疑いの目で見ています……。

 魅音が死んだカピバラのようにコテンと倒れている中、黒沢さんは1回戦終了のアナウンスをする。

「皆さんお疲れ様でした!長い1回戦を終えて、ついにあの6名の中から1名が脱落します!」

 彼女の言葉に、観客たちはみな、わかり切っているという顔をする。俺だって同じだ。今、目の前で倒れているこの少女こそが、唯一時間切れで敗北が確定した可哀想な脱落者ですよ〜と。

 だが、黒沢さんは「ふっふっふ……」と怪しい笑い方をすると、得意げに胸を張ってみせた。

「見ての通り、時間切れで最長の記録となってしまった奏操さんが敗退……になる予定だったので・す・が!ここで彼女に朗報です!」

 元気にそういった黒沢さんは、早足で魅音の近くまでやってくると、彼女を無理矢理引っ張り起こして。

「先程、3番目の出場者の方が体調不良で辞退されまして……」

 魅音の顔を見てニコッと笑うと、今まで以上に大きな声で、高らかに叫んだ。

「繰り上がりで奏操さんが2回戦に進出です!おめでとうございます!」

「……へ?……へ?」

 状況がうまく飲み込めていない魅音は、どういうこと?と言いたげな顔で俺の方を振り返ってくる。観客たちも、最初は「……は?」という顔をしていたが、次第に拍手が起こり始め、ついには「おめでとう!」「よくやった!」「ラッキーガール!」という声まで聞こえてくるようになった。

 それでようやく自分の置かれている立場を理解した魅音は、嬉しそうな顔でこちらに駆け寄ってくる。

「関ヶ谷先輩!やりました!」

「ああ、魅音……お前……」

 俺はこみ上がってくる感情を抑えるように、目元を拭う。

「先輩、そんな泣かなくても……」

「お前……勝てないからって下剤を盛るなんて……」

「いや、してませんよ!?」

 彼女の反射的なツッコミに、俺は思わず吹き出す。

「もちろん冗談だ。……よかったな、魅音」

「はい!良かったです!」

 魅音がなにかした訳じゃない……というか、むしろ俺の方が頑張っていたような気もしないでもないが、その運の良さを称えるかのように優しく頭を撫でてやれば、彼女は、はにかみながらモジモジとし始める。

「あの……先輩、1つお願いを聞いて貰ってもいいですか?」

「ああ。2回戦にちゃんと出場してくれるなら、聞いてやらないこともないぞ?」

 まあ、もちろん常識の範囲内のお願いならな。と付け足すと、彼女は「もちろんです!」と返してから、改まったように背筋を伸ばす。そして……。

「私が優勝したら、先輩に女装してもらいたいんです!」

「……は?」

 俺は思わず首を傾げる。こいつ、今女装とかなんとか言ってなかったか?いや、聞き間違いだろう。千鶴といい、東雲くんといい、女装男子が増えたことが原因かもしれないな。

「ごめん、もう一回言って貰えるか?最近耳が遠いみたいでな」

「わかりました!私が優勝したら、先輩に女装してもらいたいんです!」

 き、聞き間違いじゃ……ない!?

「待て、魅音。お願いとやらはそれで間違いないんだな?」

 俺の質問に、元気に首を縦に振る彼女。まさか、こいつに女装男子を見て楽しむという性癖があったとはな……。人は見かけによらないとはこの事か。

「わかった。じゃあ、最後にもうひとつ聞かせてくれ。どうして俺の女装なんだ?他のやつじゃダメなのか?その返答次第では、俺にはお前を精神科医へ連れていくという義務が発生するかもしれん」

 俺の真面目な視線に観念した魅音は、「内緒にしてって言われたんですけど、仕方ないですよね……」と言いながら、恥ずかしそうに話し始めた。

「実は、私のクラスメイトさんの中に、関ヶ谷先輩が気になるという子がいるんです」

「俺のことが気になる……?」

「あ、いや、好きとかそういうのじゃなくてですね……!彼女が言うには、『関ヶ谷先輩の女装だけで白飯5杯は行けるっぺ!』……らしいです」

 行ける……っぺ!?それ、どこ出身の子だよ……ってそれは別にどうでもいいか。それよりも俺の女装を求めている女子がこの世に存在するなんてな。しかも後輩に……。

「そういう訳なので、私が優勝したら絶対に女装してくださいね!語尾にニャンってつけてくださいね!」

「にゃ、ニャンって……そこまでしなくちゃダメか?」

「もちろんです!動画……あるいは直接会って見てもらう予定ですから!」

 後輩の前で女装して語尾にニャン……地獄じゃねぇか!しかも、いつの間にか『お願い』から『絶対』に変わってるし。

「わ、分かった……優勝したら、だからな?そこは甘くないぞ?」

「了解です!彼女もきっと喜んでくれます!」

 魅音のお願いの動機が他人のためってところが、やっぱり断りずらい……。

 それに、せっかくやる気を出してくれているのだから、そこに水を差すようなことは避けたいからな……。


 ……ってあれ?俺は魅音のことを応援するべきなのか?応援しないべきなのか?

 彼女の成長のことを考えれば、応援してやるべきだし、女装のことを考えれば、応援したくなくなってくる。

 自分でも分からなくなってきたぞ……。

「では、ここで15分間のトイレ休憩に入ります!出場者の方もこの間に休憩してください!」

 そうだ、とりあえず顔を洗って頭を冷やそう。優勝なんてまだまだ遠い話なんだから、そんなに悩む必要は無いはずだ。

 俺は魅音と別れると、真っ直ぐトイレへと向かった。

 文化祭ということもあって、トイレ前には長い列ができていたため、並んで待っている間に頭が冷えてしまったということを、ここに記して思うと思う。

 こんな列に並ばなくてはならないくらいなら、空いている男子トイレに駆け込みたくなるおばちゃん達の気持ちも、ちょっとは理解できるかもしれない……と思ったが、やっぱり理解できなかった。

 もし、今この場で俺が女子トイレに駆け込んだら、きっとお縄にかかっちゃうだろうしな。

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