第97話 俺は(偽)彼女さんに照れさせられたい
雲母さんの時と同じ手順で事は進み、今は競技開始前、紅葉が俺の前に仁王立ちしている状態だ。
相変わらず余裕が滲み出ているその表情を見るに、何か策があるらしいが、俺も大勢の観客の手前、これ以上恥を晒すことは出来ない。彼女には悪いが、死ぬ気で我慢させてもらうぞ。
「では、スタート!」
黒沢さんの合図とともに、紅葉がこちらに接近してくる。そして俺が身構えた瞬間―――――――。
「……へ?」
彼女はこちらに倒れるように体を密着させてきた。つまり、抱きしめてきたということで……。
「えっと、紅葉……さん……?」
「なに?ほら、照れなさいよ。あんたみたいなドウテー、これくらいのことで顔真っ赤にするんでしょ?本で読んだわよ」
いや、確かに間違っちゃいないけどさ……そういうのって、アイドルが口にしても問題ないのか?
「いや、まあ……その……」
俺が言いづらそうにモゴモゴとしていると、紅葉は呆れたとでも言いたげに小さくため息をつく。そして密着させていた体を離すと、俺の顔をビシッと指差しながらよく通る声で言った。
「言いたいことがあるならはっきりと言いなさい!めんどくさいわよ!」
……そこまで言われちゃ仕方ない。お望み通り、今思っていることを全部ぶちまけてやろう。意を決した俺は大きく息を吸い込んで……。
「胸がないから全然心地よく……ぶへっ!?」
次の瞬間、俺の体は椅子を離れ、快晴の空を見上げていた。紅葉の回し蹴りをくらって体が飛んだのだ。
「こいつ、絶対殺す!私が一番気にしてるところ言いやがったから絶対に殺してやる!」
どうやら俺は彼女にとってのタブーに触れてしまったらしい。地雷を踏んだと言った方がいいだろうか。仰向けになった俺の体に馬乗りになった紅葉は、胸ぐらを掴みながら血走った目で俺を睨みつけてきた。
「俺はお前がはっきり言えって言ったから言って……ひぃっ!?」
気がつくと、紅葉の拳が俺の顔スレスレのステージ床へと突き刺さっていた。いや、比喩なしで。
特設とはいえ、それなりにしっかりとした作りのステージの床を、彼女は素手で突き破ったのだ。これはもう、さすがの俺もちびるわな……。
「余計な事言ったら殺す……いいか?質問に答えろ。私の胸は小さいか?」
死神が死人名簿を読み上げるかのごとく、抑揚も温もりもない声。半ば脅迫まがいな質問を投げかけられた俺は、震える声でこう答えるしかなかった。
「お、大きいでございます……」
「嘘をつくな!目が泳いでるだろ!」
ええぇぇぇぇぇぇぇぇ!?
大きいでダメなら、答えられるのはもうひとつしか……。
「ち、小さいでございます!」
「お前、東京湾に沈められたいらしいな?」
俺にどうしろって言うんだよ!大きいも小さいもダメなら、なんだ真ん中か!?中間管理職くらいの大きさですって答えりゃええんか!?このまな板見てそんなこと言ったら、中間管理職の女性に消されちまうわ!
盛大なツッコミは何とか心の中だけに留まらせて、どうすればこの状況から脱することが出来るのかを必死で考えた。
考えて考えて考えて……考え抜いた結果、これしか思い浮かばなかった。
「もっ、申し訳ありませんでした……」
誠心誠意謝る。
それが俺に出来る、唯一の方法だった。そんな俺の姿を見た紅葉の表情は少し和らいで……。
「ぷっ!あははは!何その顔、面白いんだけど〜!!」
腹を抱えながら笑い始めた。そして俺を引っ張り起こすと、無理矢理観客の方を向かせる。
「みんな〜!この人の顔見て!女の子に脅かされたくらいで、情けない顔よね〜あはは!」
彼女のその言葉に、観客たちは一斉に笑い始める。その笑いは楽しい笑いと言うよりも、俺をバカにしたものに近く感じられて……。
先程までのは全て演技だと言わんばかりに、その声と表情が一転した紅葉を見ながら、俺は呟くように言った。
「穴があったら入りたいって、こういうことを言うんだな……」
「穴ならそこにあるわよ。あたしがさっき開けたばっかりの穴が」
「小さすぎて膝までしか入んねぇよ……」
俺がそうボヤいたタイミングで、タイマーが動きを止めた。俺が照れたと認識されたのだろう。照れというより、笑われたことに対する恥ずかしさなんだけどな。
「お前いつからこの作戦を……」
俺がそう聞くと紅葉はアイドルらしく、笑顔でピースをしながら答えた。
「初めっから♪」
「紅葉さん!記録は2分45秒!雲母さんに大きな差をつけての勝利です!後に続く4人は、一体どのような照れを見せさせてくれるのか!見ものですね!」
「もう勘弁してくれ……」
紅葉が満足そうに帰っていくのを見つめながら零した俺の嘆きのセリフは、誰に届くことも無く、歓声の中に消えていった。
その後の3番目と4番目の出場者は、様々な理由により、雲母さんよりも長い時間がかかることとなった。決してその理由が、顔や胸だなんて言っていない。言っていたとしても、それはあくまで俺のタイプじゃなかったってだけの話で、可愛くなかったというわけじゃないからな?
可愛くなかったなんて言ったら、世界中の女子を敵に回しそうで怖いから……って嘘を言ってたりなんてことも絶対にないからな!
……これ以上はやめよう。自分で自分の首を絞めているような気がしてならない。
まあ、そんなこんなあって、5番目の笹倉の番が回ってきたというわけだ。
険しい表情で、腕組みをしながら俺の前に立つ彼女。やはりこれまでの俺の醜態に腹を立てているんだろうか。彼女としては、俺にはドンと構えていて欲しかったのかもしれない。なんだか申し訳ないな……。
「では、スタート!」
タイマーが動き始め、俺はこれまで以上に緊張していることに気がつく。意識しても尚、肩から力が抜けない。
原因はきっと笹倉の冷たい視線だ。俺を蔑むような、軽蔑するような、そんな視線を浴びせ続ける彼女。
この状況で『照れさせる』ような事をするのはかなりハードルが高いのでは?
俺の頭にそんな考えが過ぎる。こんな緊迫した雰囲気では、照れるより泣く方がまだ簡単かもしれない。ああ、俺は一体どうすれば……。
そんなことを考えていると、ついに笹倉が動き始めた。ゆっくりとこちらに近づいてくると、彼女は俺の目の前で足を止める。それから俺の足元に両膝膝をつくと、椅子に座っている俺の膝の上に手と胸を乗せて、小さな声でこういった。
「……ご主人様……すき……」
耳の先まで真っ赤にして、それでも俺の目をじっと見つめてくる笹倉。さっき早苗にも『ご主人様』と言われたが、やっぱり言う人間が違えば、また違った良さがあって……。
――――――――控えめに言ってすごく可愛い。
気がつくと俺は笹倉のことを抱き寄せていた。
言い慣れない言葉を、真っ赤になってまで勇気を振り絞って言った彼女が、とても愛おしく感じてしまったのだ。
やっぱり俺にとって笹倉は、そこらにいる他の女の子とは比べ物にならないほど可愛くて、綺麗で、特別な存在だ。
この胸の高鳴りがそれを力強く示していた。
「はーい!そこまでー!」
自分でも気付かなかったが、どうやら俺も笹倉と同じで顔が赤くなっていたらしい。黒沢さんがタイマーを止めた事で、ようやくそれを認知した。
そして、注目の笹倉のタイムはというと……。
「なんと!笹倉さんの結果、28秒ですっ!これは文句なしのぶっちぎりですね!」
28秒、これがいかに早いかを簡単に説明すると、カップラーメンがまだまだ完成しないレベルの早さということだ。
大幅に俺の私情が絡んでいたとはいえ、さすがは笹倉だ。他の追随を許さない圧倒的な実力差。これは他の人たちも、追い上げるのはかなり辛いのではないだろうか。
恥ずかしさの中にもしっかりと嬉しさが伺える表情で帰っていく笹倉を見送りながら、俺は次に登場する予定の彼女のことを思い出していた。
魅音は大丈夫だろうか……。
いくら相手が俺であるとはいえ、さすがに他の人たちのような大胆なことは出来ないだろうからな。もしかするとここで最下位ということもありえなくは無い……。
「では、最後の出場者の登場です!奏操 魅音さん、どうぞー!」
黒沢さんの合図で姿を見せた彼女の表情に、俺の不安は募るばかりだった。
…………真っ青じゃねぇか!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます