第93話 (偽)彼女さんはギャングさんを懲らしめたい

「あは♪いい雰囲気なところちょっといいかな〜?」

 そう言って口元を歪ませながら近づいてくる南。その手には、しっかりとコンパスが握られていた。

「ちょ、ちょっと待て!そういうのはもうやめようって……」

「うん。だから1度はやめたよ?でも、関ヶ谷がまたそうやって笹倉とイチャつくからさ……ね?」

 コンパスの針を光らせながら、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる彼女。その恐ろしさを強調するかのように、彼女の足元をスポットライトが追い照らしていた……。

「でも、私あの時なんて言ったか覚えてる?『言う事聞かなかったら笹倉の方を刺す』って言ったよね?」

 南の瞳からは既に光が失われていて、俺もこれは本気でやばいやつだと察する。

「そ、その件は本当にごめんなさい!謝るからその凶器は置いてくれぇ!」

 笹倉に乗られたままで動けない俺は、なんとか首だけをペコペコさせて許しを乞う。だが、もちろん彼女が足を止めるはずもなく、その距離はもう3mまで迫ってきていた。

「私、約束は守る女だって……言ったよな?」

 南がそう言って腕を振ると、目にも止まらぬ早さで投げられたコンパスが、俺の足スレスレの位置に突き刺さる。

 こ、こいつ……どこの戦闘民族だ……!?

「さ、笹倉!逃げ……え?」

 なんとか笹倉を逃がそうと体を持ち上げようとすると、俺は足を引っ張られる感覚を覚える。見てみれば、先程飛んできたコンパスの針は、俺の着ている衣装のズボンを貫いて舞台に刺さっていた。

 あーあ……これは逃げられないやつだ……。

 俺はその時点で察する。俺の人生はここまでだと。彼女の連れてくるであろうギャングにボコボコにされちゃうんだろうな。それで許してもらうためにお金を払って、やっと逃げられたと思ってもまた捕まって搾り取られて……。

 ああ……俺の人生はもうおしまいだぁ……。

 そう、青ざめた顔で頭を抱えていると、ふと体が軽くなった。笹倉が立ち上がったのだ。それを見て、俺は反射的に叫ぶ。

「お前だけでも逃げろ!」

 だが、返ってきた言葉は俺の望んでいたものとは違っていて―――――――――。

「逃げない!」

 笹倉は首を横に振ると、俺の前に立ってスカートの裾を握りしめた。

「碧斗くんに傷ひとつ付けさせないから!」

 え、ちょ、かっこいいんですけど!?女子に守られてる感があってなんだか納得いかないけれど、今の時代は女性も強いからなぁ…………って、そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ!

「笹倉!危ないから逃げろって!」

「いーやーだ!」

 まるで駄々をこねる子供のように首を横に振る彼女。こうなったら俺が無理矢理にでも逃がして……と思ったが、いくら引っ張っても刺さったコンパスが抜けない。どうなってんだこれ!?

「碧斗くんなら知ってるでしょ?」

 笹倉は一歩前に踏み出すと、顔を半分だけ振り向かせてニッと笑う。

「私、守られるよりも守りたい方なの♪」

 そう言って彼女は、スカートを握っていた手をポケットにスライドさせると、そこからカッターナイフを取り出した。

 えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?

 いや、それ劇中もずっと入ってたん?ありえへんやろ!危なすぎるやろ!何考えてんねん!

 驚きすぎて、思わず心の声が関西弁になる。だが、こうして武器を用意しているということは、笹倉は南がやって来ることを予想していたのか?

「笹倉、それは……?」

 俺が震える声でそう聞くと、笹倉はふっと笑って……。

「猫カフェで使ってたの、そのまま持ってきちゃってた♪」

 軽く握った右手を自分の頭にコツンとぶつけて、てへっと言わんばかりの表情でぺろっと舌を出す。いわゆるてへぺろってやつだな。うん、ちょっと古い。…………でも、かわいい。

 だが、そんな表情が南の癪に触ったのだろう。

「かわいこぶってんじゃねーよ!!!」

 そう心からの声をもろに叫びながら、人差し指と中指、中指と薬指、薬指と小指の間に、どこからともなく現れたコンパスを握りしめる。その、まるでモンスターの爪のような三本のコンパスの針を笹倉に向けた南は、憎しみを込めた声で言う。

「私は笹倉、あんたが嫌いだ!」

 確か、彼女は前に『自分を出す努力くらいはしてみる』的なことを言っていた気がする。その努力の成果がこの一言なのだとしたら、自分を出しすぎにも程がある。飛び級も甚だしいったらありゃしない。

「ええ、私もあなたが嫌いよ」

 笹倉は驚くでも怖がるでもなく、淡々とそう返した。その様子に南は不満そうに顔を歪める。

「消してやる……!」

 歯を食いしばりながらそう言った南が、少し膝を曲げたと思った瞬間……!

 カンッ!

 金属どうしのぶつかり合う音が舞台上に響いた。

「くっ……なかなかやるじゃん……」

「そういうあなたはまだまだね」

 見てみると、笹倉が南の攻撃を受け止めていた。それも片手で。彼女はコンパスの爪を押し返すと、武器を持たない方の拳を相手の腹に叩き込む。

「ぐっ……」

 抵抗する暇もない攻撃だったからか、南は少し後ろによろけた。

「私、こう見えて自分の身を守る術は心得ているのよ?」

 笹倉はそう言って南を嘲笑し、それから俺の方を振り返って少し頬を赤くする。

「あとは……大切な人を守る力も身につけられればいいのだけれど……ね?」

 ね?じゃねぇよ!今はそう言う雰囲気の場面じゃないし、そもそもこれ、どこのバトル漫画だよ。普通の高校生の喧嘩じゃ済まねぇレベルだぞ。っていうか……。

「笹倉、前!前!」

 笹倉が南から目を逸らしている間に、彼女は大きく距離を詰めていて、既にコンパスを握った腕を振りかぶっていた。あんなのを喰らったら一溜りもないぞ……!

「……遅いわね」

 だが、心配無用だったらしい。笹倉は南の攻撃を上半身の動きだけでかわすと、その腕を掴んで手首をパシっと叩く。刑事ドラマなどで、犯人から凶器を奪う時によくやっているあれだ。

 鮮やかに三本のコンパスを奪った笹倉は、一旦南の様子を見るように、バックステップで距離をとる。

「まだまだ……私は負けない……!」

 歯をギリギリとさせながら、南は胸ポケットからまた三本のコンパスを取り出して構える。一体何本持ってんだよ……。

「串刺しにしてやる……!」

 彼女はどこの悪役かもしれないセリフを吐くと、まるでクナイのように、笹倉に向けてコンパスを投げた。

 1本目のコンパスは真っ直ぐに笹倉の額目掛けて飛び……。

「まだ目視できる速さよ」

 そう言って人差し指と中指で挟んで、そのコンパスを受け止めた。

 2本目のコンパスは笹倉の足元目掛けて飛んできたが、笹倉はかかと落としの要領でそれも止めてしまう。

 3本目は外れたのか、俺の元へと飛んできて……。

「……あれ?ってまたかよ!?」

 そのコンパスは、先程とは逆の足のズボンを貫いて舞台に突き刺さった。おかげで俺は両足の自由を奪われてしまった。

「って、痛てぇ……」

 少ししてからじんわりと痛みが伝わってくる。どうやらコンパスの針が膝を掠っていたみたいだ。切れた部分の衣装に血の赤色が滲む。

「そ、そんな……ま、まだ……」

 何をしても通用しない、常人離れした笹倉に恐れをなしながら、南は慌てて新たなコンパスを取り出した。

「……ひっ!?」

 だが、その腕は笹倉によって掴まれ、反射的に持っていたコンパスを落としてしまう。

 それから笹倉は南の膝の裏側を足で蹴り、いわゆる膝カックン状態で彼女を仰向けに倒すと、起き上がれないようにその腰の上に跨った。

「ねえ、碧斗くんのこと……傷つけたわよね?」

 淡々とした声には、明らかに憎悪の感情が込められていて、笹倉はカッターを強く握りしめると、それを南の胸に当てる。

「や、やめて……お願い、嫌だ……」

「じゃあ碧斗くんに謝って」

 笹倉の鋭い声に、肩をビクリと跳ねさせた南は、涙を流しながら必死に声を絞り出す。

「ごめん……なさい……」

「きーこーえーなーい!」

「ご、ごめんなさい……っ!」

 謝罪の言葉を聞いた笹倉は、カッターを離す……かと思いきや、南の制服のボタンに刃を引っ掛けて……。

「……ひゃっ!?」

 全てのボタンを切り落とした。

 ボタンを失った制服はだらしなく前が開き、その間から可愛らしい下着が顔を覗かせる。

「……これくらいで許してあげる」

 笹倉はそう言って彼女の上から降り、ゆっくりと俺の元へと戻ってきた。そして優しい笑顔で俺を拘束する2つのコンパスを引っこ抜くと、それを南の方へと投げてから、俺の膝に手を当てる。

「もう痛くない?」

「あ、ああ……」

 本当はまだ少し痛むが、目の前で繰り広げられた光景に、俺の頭はそれどころではなかった。

「笹倉、何もあそこまでしなくても……」

 俺がそう言うと、笹倉は相変わらず優しい顔で首を傾げる。

「私、碧斗くんと偽恋人になった頃に言わなかった?」

「何を……?」

「……」

 彼女は一瞬、舞台袖で震えている早苗の方を見て、そしてまた口を開いた。

「『私の邪魔をする奴は誰であっても消す』って」

 そう言えば、早苗がしつこく邪魔をした時にそんなことを言っていたような……。

「私にとって碧斗くんは一番大事な人。だから、あなたを傷つける奴は私の邪魔をしたも同然なのよ」

 1ヶ月も放置してしまったからだろうか。その恋愛感情が少し暴走してしまっているような気がする。

「掠っただけだったからまだよかったものの……刺さっていたりしたら、骨の1、2本くらいは覚悟してもらわないと……」

 そう言って口元を歪ませる笹倉を見て、俺は誓った。今後、彼女を絶対に怒らせてはならないと。

 その時はボタンどころじゃ済まないかもしれないからな……。

「ほら、行こっ♪文化祭はまだ始まったばかりよ!」

 そう腕に抱きついてくる笹倉は、やっぱり俺の大好きな笹倉で、切り替えが早いな……なんて思いつつも、俺は頬を緩ませてしまう。

 去り際、俺は衣装の上着を抜け殻のようになってしまった南にそっとかけてやった。俺がやったわけじゃないのに、あのままにしておくのは何故かすごい申し訳ない気がしたからな。

 その時に聞いたのだが、実は彼女、隣町のギャング『サバ缶組』とはなんの接点もなかったらしい。

 偶然拾ったギャングのトップ名刺を使って、少しからかってやるだけのつもりだったのだが、引っ込みがつかなくなったらしく……。

 死んだ魚のような目で語った彼女に怒る気にもなれず、俺は「まあ、もう許してやるから笹倉には歯向かうなよ?次は死ぬかもしれないから」と言ってから、体育館裏で待っている笹倉と早苗の元へと向かった。

 まあ、これでココ最近で忙しかった理由は全て解消できたわけだ。おかげでやっと肩の荷が降りた。


 ……あれ?何かひとつ忘れているような気がするんだが……多分、気のせいだよな?

「碧斗くん、たこ焼きがあるらしいわよ!行ってみましょう!」

 そんな考えは、笹倉の声にかき消されてどこかへ消えた。まあいっか!せっかくの文化祭、楽しまなきゃ損だもんな!

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