第92話 (偽)彼女さんはロミオを愛したい

「笹倉、最後のお願いを聞いてくれ……!」

 その俺の声を聞いて、笹倉はゆっくりと振り返り、その冷たい表情で俺の目を真っ直ぐに見つめた。

「最後のお願い……ってなに?」

 その社交辞令的な聞き方に一瞬怯みそうになるが、俺は負けずにぐっと踏み込む。

「俺と一緒に演劇に出て―――――――」

「嫌よ」

 即答だった。最後まで言わせてくれないあたり、本気で嫌がられているらしい。

「どうしてだ?」

 俺がそう聞くと、笹倉はスカートから伸びるしっぽを揺らしながら、深いため息をついた。

「演劇って小森さん達がやっているものでしょう?何があったのかは知らないけれど、私、演劇に興味無いもの」

 演劇に興味が無い。だから義理にもあなたを助ける理由はない。彼女はそう言っているのだ。でも、俺はその言葉に違和感を感じずにはいられなかった。

「興味が無いなら、どうしてこの前の冥土喫茶に行った時、演劇の話をしながらあんな顔をしたんだ?」

 あの時の彼女は演劇の話題になった途端、確かに表情を曇らせていた。あれは気のせいなんかで通せるようなものじゃなかったはずなのだ。

「そ、それは……」

 笹倉は言葉を詰まらせ視線を逸らす。それは明らかに痛いところを突かれた者の反応だった。それを見て俺は確信する。

 笹倉 彩葉は確実に―――――――――――。

「演劇に未練があるんだろ?」

「……」

 彼女は何も答えなかったが、その瞳の微かな揺れと、ほんの少し力んで上がった肩から、その心情は容易に読み取れる。図星だったのだ。

「今まで恋人を演じてきたんだ。最後にもう一度だけ、ホンモノを演じてくれ……頼むっ!」

 俺は全身全霊を込めて頭を下げた。これでダメだと言われれば、時間的にも精神力的にも、打つ手はなくなる。もう彼女にかけるしかないのだ。


 どれくらいの時間が経っただろう。頭を下げてからの間はずっと、まるで時間が止まったかのように静かだった気がする。いや、気がするだけじゃない。周りのみんなも動きを止めて、俺たちの様子を見守ってくれていたのだ。

 そんな空気に気圧されたのか、笹倉はまた深いため息をつくと、呟くように言った。

「……わかったわよ、助けてあげる」

 それは確かな了承の言葉。俺が求めていたものだ。

「本当か!?」

 俺が顔を上げてそう聞くと、目が合った笹倉はぷいっと顔を背けながら、相変わらず冷たい声で言う。

「勘違いしないでちょうだいね?私はあくまでも、過去の未練を上書きするために手伝うだけだから。絶対にあなたのためでは無いから」

 その言葉がどこか強がりのように聞こえて、俺は思わず頬を緩める。

「わかってるって!じゃあ、笹倉は借りていくぞ!」

 俺は猫カフェ店全体に聞こえるような声でそう言うと、「カフェ猫レンタル代は私に払ってね〜♪」という唯奈の声を背中に受けながら、笹倉の手を握って体育館へと急いだ。




「お待たせ!まだ大丈夫か?」

 俺がそう言って早苗たちの元へと駆け込むと、その場にいた全員が安堵の表情を浮かべた。

「開演まであと10分だよ。衣装を着たらすぐに出ないといけないかも……」

 早苗のその言葉に、笹倉は余裕の表情で口を開く。

「それなら十分すぎるくらいよ。ほら、早く衣装と台本を持ってきて」

「衣装を持ってくるって……まさかここで着替えるつもりか?」

 俺の質問に、彼女は「当たり前でしょう?」と返す。確かに更衣室はここから少し遠いが、ここで着替えということは、人前で下着姿になるということで……。

「ダラダラしている暇はないのでしょう?早くしなさい」

「わ、わかったよ……」

 少し恥ずかしいが、俺もここで着替えることにした。まあ、男の下着なんて見て得するやつなんて居ないだろうし。

「あおくんの下着……ふへへ……♪」

 …………まあ、早苗以外は。

 でも、さっきまで落ち込んでた彼女が、こんなもので元気が出るのなら、安い代償とも言えるかもしれないな。

 俺はやたら息遣いの荒い彼女のことをなるべく意識しないように、なるはやで衣装に腕を通した。



 こういう時の女子の団結力というのは凄まじいもので、笹倉が着替えているその周りは、他の女子が近くに置いてあった小道具の看板などを使って、360度視線をカットしていた。

 時には笹倉自身が手渡された台本で隠したりなど、その見えそうで見えないというのが、逆にどこかエロティックだったが、今の俺にはそんなことを口にしている暇はない。気が付けば開演時間の数分前なっていた。


「準備OKか?」

 俺の質問に、笹倉は「ええ、もちろんよ」と答える。

「セリフを忘れたらアドリブでもなんでもいい。俺が合わせてやる」

「ええ、そうさせてもらうわ。たっぷり振り回してあげるから」

 そう言って楽しそうに笑う彼女。よかった、少しは演劇に前向きになってくれているらしい。

「それから、最後のキスシーンだが、だけでいいからな?」

 この関係性で、演劇といえどまさかキスをしてくるということは無いと思うが、俺は念の為にそう伝えておく。

「ええ、当たり前よ。したように見える角度を演じればいいだけ」

「ああ、そういうことだ」

 俺がそう答えるのと同時に、舞台の幕が開かれる。

「じゃあ、よろしくな!」

 俺は笹倉に笑顔を見せてから、舞台へと足を踏み出した。



 舞台は終盤まで順調に進んでいった。笹倉は過去にやったという通常のロミオとジュリエットとセリフがほぼ同じとはいえ、よくここまでの演技力を発揮できるものだ。

 だが、俺が唯一危惧しているのがこの先のロミオとジュリエットが死んでしまうシーン。ここだけは俺の意向でセリフを大幅に改変してあるのだ。

 本来であれば、仮死状態のロミオを見つけたジュリエットが本当に死んだと勘違いして自害し、目覚めたロミオはその事実に絶望して、毒を飲んで死ぬ……というストーリーなのだが、俺流の台本ではロミオは仮死状態にならない。

「僕の人生は君と出会ってから悩みや悲しみでいっぱいだった!でも、それも今日をもって終わる!」

 ロミオ役の俺はそう言うと、ポケットから毒薬の瓶を取り出して掲げる。

「だから、最後は幸せな思い出で終わらせて欲しい。どうか僕とキスをしてくれないか!」

 俺はジュリエット役の笹倉に歩み寄ると、瓶の中身を口に含む。演技だからもちろん中身は空だが、頬を少しだけ膨らませて、まさに含んでいるかのように見せるのだ。

 それから笹倉に顔を寄せ、本当にキスをしているみたいに見えるよう、俺の後頭部で2人の口元が観客側からは見えないように隠す。

 そして、ロミオはジュリエットに口移しで毒薬を飲ませ、一緒に死に至るというストーリーなのだ。

 笹倉の顔が息がかかるほど近くにあるということで、なかなか心臓が鳴り止んでくれなかったが、俺はなんとか理性を保ち、予定通りギリギリのところで顔を止めた。

 だが、何を思ったのか、笹倉の方は止まらなかったのだ。

「―――――――んっ!?」

 唇に触れる感触に思わず声を漏らす。だが、ここは舞台の上。ストーリーからそれた発言をする訳にはいかない。

 俺は「どうして!」と言ってやりたい気持ちを堪えて、下唇を強く噛む。そんな様子を見て笹倉はクスリと笑うと、予定通りのセリフを口にした。

「これが最後だなんて言わないで。私は来世でも、あなたと愛し合うつもりだから……!」

 そう言ってジュリエット……いや、笹倉は俺に熱いキスをした。そしてそのまま崩れ落ちるように仰向けに倒れた俺に、覆い被さるように体を重ねる笹倉。この時点でロミオは既に息絶えている。

 動かなくなった最愛の人の頬を、虚ろな目で愛おしそうに撫でるジュリエット。彼女は涙を流しながら、この舞台での最後のセリフを口にする。

「愛は万能じゃない……けれど愛は二人をもう一度惹き付けてくれる。来世に期待しましょう……私の愛する―――――――――関ヶ谷 碧斗」

「――――――っ!?」

 最後の一言に俺は思わず目を見開く。その直後に幕が降りたおかげで、観客には見られなかったとは思うが……。

 幕の向こうは拍手喝采。だが、俺はそれに対して喜ぶでもなく、自分の腰の上に乗ったままの笹倉を見上げて固まっていた。

 彼女の言った最後のセリフ。あそこは関ヶ谷 碧斗ではなく、ロミオだったはず。そこを彼女はどうしてわざと変えたのか……。

「笹倉、一体どういう――――――――っ!?」

 どういうつもりだ。そう聞こうとした瞬間、笹倉がまたキスをしてきた。今度は体に腕を回して、相手を求めるような深いものを……。

 数秒後、唇を離した彼女は―――――――――――泣いていた。

「偽物なわけないでしょ……!」

 溢れる涙を零れるままにして、彼女は絞り出すような声でそう言う。

「1ヶ月も我慢させて……こんなのじゃ足りないんだから……!」

 1ヶ月……つまり、俺と笹倉が別れてからの期間ということになる。その間我慢させたってことは―――――――。

「笹倉、もしかして気付いてたのか?南のこと……」

 俺がそう聞くと、彼女は小さく頷く。

「別れようって言われた時、碧斗くんには何か考えがあるんだって思ったから……。本当はすごく苦しかったんだから……」

 彼女がこれまでに、どれだけ苦しんできたか。好きな相手に対して嫌いなフリをすることが、どれだけ難しくて心苦しいことか。それが俺を抱きしめる力の強さからもよくわかった。

「……ごめんな、笹倉」

 俺もそう言って彼女を抱きしめ返す。互いに伝わり合うこの体温。幸せってこういうことを言うんだな……。


 だが、そんな2人だけの空間に、土足で踏み込んで来るものがいた。

「あは♪いい雰囲気なところ悪いけど、ちょっといいかな〜?」

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