文化祭 編
第91話 俺は演劇を成功させたい
今日は学校全体がお祭りムードだ。
それもそのはず。だって、今日はみんな待ちに待った文化祭当日なのだから。
外ではあちこちで準備が行われていて、調理器具の確認や調整、椅子やテーブルの清掃など、みんな大忙し。
俺はというと、ちょうど椅子がひとつ足りないからと、委員長に教室までパシられている最中だ。まあ、やることが無いよりかはマシだよな。
早苗たち演劇組は、他クラスと共に、出演時間の最終確認に行っている。もちろん、監督の俺も彼女らの演劇は千鶴でも誘って見に行くつもりだ。既に約束も取り付けてある。
俺が監督したからこそ、今日の演劇は絶対に上手くいくと分かる。昨日までの練習でそれだけの手応えがあったのだ、間違いない。
あいつらの演技が終わったら、俺が一番大きな拍手で称えてやるんだ。
そう心の中で呟きながら俺は、やっとたどり着いた2年A組の教室のドアを開いた。
「……あっ」
偶然にも中にいた人物と目が合い、つい声が漏れる。
「おはよう、碧斗くん」
平然とした顔で挨拶をする笹倉。そんな彼女を見て、俺は胸の奥がちくりとするのを感じた。
この様子だと、彼女はベトナムに行ってしまうことを俺に話すつもりは無いのだろう。それ程までに俺は彼女にとって、どうでもいい存在に成り下がってしまったのか……。
「文化祭、楽しみね」
俺の心の痛みを知ってか知らずしてか、淡々と言葉を放つ笹倉。その感情の現れない表情に、俺は彼女を問いつめる気にはなれなかった。だから、感情を殺して、無理に少し微笑んでから、おどけるように言って見せたのだ。
「お前も少しはみんなを手伝えよ?」
ただその強がりは数秒しかもたず、その表情はすぐに陰ってしまう。そんな顔を見せられないと、俺は笹倉に顔を背け、視界に映った適当な椅子へと歩み寄った。
「ええ、もう少ししたら手伝いに行くわ」
彼女の返事に、俺は「そうか」とだけ返すと、椅子を抱えて足早に教室を後にした。これ以上彼女と一緒にいると、きっとボロが出てしまう。彼女に歪んだ笑顔を見せてしまう。
そうなる前に離れることが、俺に出来る彼女への最善の気遣い……のはずなのだ。日本から離れる前に、悪い思い出を作らせないための……気遣い。
「これで良かったんだよ……」
俺は自分に言い聞かせるようにわざとそう呟いて、零れそうになる涙を必死に拭いながら、猫カフェの店が設置してある場所へと戻った。
店に戻ると、既に演劇組は戻ってきていて、店の準備も椅子以外は全て終わったらしく談笑をしていた。
その中にいた早苗も、俺を見つけるとすぐに駆け寄ってくる。こういう所だけは、どれだけ成長しても変わらないんだよな。
だが、彼女は俺の顔を見た瞬間、その表情を曇らせた。
「あおくん、泣いたの?」
早苗の言葉に、俺は片手で目元を隠す。涙の跡はちゃんと拭いたはずなのに、どうしてわかったんだ?
「隠しても無駄だよ?あおくんが泣いてるか泣いてないかなんて、顔を見なくてもわかるもん」
いつもならドヤ顔でもしそうなセリフだが、今の彼女の表情は心配一色。楽しいはずの雰囲気を壊してしまって、本当に申し訳なくなる……。
「ごめん……」
自然と溢れた言葉。それを聞いた早苗は、首をゆっくりと横に振った。
「大丈夫!あおくんがどれだけ悲しい気分になっても、私の演技で笑顔にしてみせるから!楽しみにしてて!」
そう言いながら、ポンポンと優しく頭を撫でてくれる。これだけでも少し心が軽くなった気がした。
「ありがとうな、早苗」
俺がそう言って微笑むと、早苗も同じように微笑んでくれる。この時の俺は彼女が舞台に立っていることを想像することで、心を救われていた。
―――――――だが、まさかこの後、その想像が現実になることを阻む出来事が起こるとは、誰も思っていなかった……。
文化祭が始まり、生徒たちの友達や家族で学校の敷地が大いに盛り上がっている頃。
「あの!関ヶ谷さんはいますか!」
見知らぬ男子生徒が慌てた様子で猫カフェに飛び込んできた。
「関ヶ谷は俺ですけど……」
「ああ……えっと、ロミオとジュリエットの演劇の監督ですよね?」
「そうですけど……何かあったんですか?」
俺がそう聞くと、彼は深刻そうな表情で小さく頷いた。
「主演のお二人がリハーサル中に事故に巻き込まれて……」
「え!?早苗と栗田さんが!?」
事故に巻き込まれたって……わざわざ呼びに来るってことは深刻な怪我をしたってことなんじゃ……!
「はい、なので一緒に来てください!」
「わ、わかりました!」
俺は男子生徒に案内してもらい、急いで早苗たちの元へと向かった。
「早苗!栗田さん!大丈夫か!?」
男子生徒に連れられてきたのは、体育館裏から舞台脇へと通じる扉の奥。早苗たちの順番は今行われている演劇の次。予定では約1時間後に始まることになっている。
「あ、あおくん……」
「関ヶ谷さん……」
怪我をして座り込んでいる二人は、申し訳なさそうに俺を見上げる。氷水が当てられている位置から察するに、二人は足を怪我したようだった。
暗い表情の2人に変わって、ここまで案内してくれた男子生徒が経緯を説明してくれる。
「どうやら、舞台袖に用意してあったお城のセットに取り付けてある移動用の車輪が壊れてしまっていたらしく、その前でリハーサルしていた2人の上にセットが倒れてきてしまって……」
舞台袖の端を見てみれば、倒れた城のセットが置いてあった。しかも真っ二つに割れている。確かにあれが割れるほどの勢いで倒れてきたら、俺でも立っていられないだろう。小柄で力の弱い女の子なら尚更だ。
俺が現状に眉をひそめていると、男子生徒はさらに言葉を続ける。
「実はセットが倒れてきた時、栗田さんは小森さんを庇ってくれたんです。おかげで小森さんは転んだ時の捻挫だけで済みましたが……」
男子生徒が栗田さんに視線を送ると、彼女は一瞬目を泳がせた後、震える手で氷水の入った袋をどけた。
「……え?」
その下から顔を出したのは、赤い染みのついた包帯が巻かれた足首。これ程の血が出ているということは、傷口はかなり―――――――――。
「割れたセットから飛び出した木片が刺さったんです。木片を取り除くことは出来ましたが、傷口がかなり深く、まもなく救急車が到着する頃かと……」
「そ、そんな……」
俺は予想もしていなかった自体に、思わず膝をついた。これでは演劇はできないどころか、栗田さんのこれからの生活にも支障が出るかもしれない。俺が監督していながら、まさか舞台の不具合に気が付かなかったなんて……。
「私のせいなんです!ごめんなさい!」
俺たちの舞台小道具担当である
「私、車輪に違和感があることを昨日の時点でわかっていたんです!でも、替えがなくて……。一日だけだから大丈夫だろうって……」
彼女は俺に、早苗に、栗田さんに、俺たちの演劇に関わる人全員に向けて何度も頭を下げた。
彼女が何とかしていてくれていればこんなことには……と思ったが、1番の特等席で彼女らの演技を見ていた俺だって、セットの不調に気がつけていなかったわけだから、文句を言う権利はない気もする。
そう思ったからこそ俺は黙っていたのだが、そう考えたのは彼女も同じだったらしい。
「……大丈夫だから頭を上げて」
栗田さんは優しい声でそう言うと、怪我をしていない方の足で何とか立ち上がって、今にも泣きそうな顔を上げた寺井さんをそっと抱きしめた。
「大丈夫、悪いのはあなたじゃないよ。私も毎日近くでセットを見ていたのに、全然気付けなかったからさ。私だって悪いよ」
そう言って優しく寺井さんの頭を撫でる栗田さん。その腕の中で、寺井さんは気が済むまで泣き続けた。
俺ならこういう時、きっと相手のせいにしてしまうだろう。痛いのと悔しいので頭に血が上って、きっと自分の非にまで頭が回らないと思う。それなのに栗田さんは相手を許すことまでしている。なんてよく出来た人だろうか……。
数分後、救急車が到着し、栗田さんは病院へと運ばれていった。
「……演劇はどうするの?」
早苗がふとそんな言葉を零す。
「今から代役を頼んで引き受けてくれる人なんてなかなか見つからないよ?しかも主役2人……あと30分でセリフを覚えられるはずないもん……」
彼女は諦めを感じるトーンでそう言った。確かに主役二人分、しかもセリフを30分で覚えられるほどの逸材なんてこの学校には…………。
そこまで考えて、俺はふと目の前の光景に意識を移す。そこにあったのは、悔しそうなみんなの顔。そりゃそうだ。1週間必死に頑張って、確実に成長してきたのだから。いざ本番直前でそれらが水の泡になったとしたら、きっとやるせないだろう。
みんなの顔を笑顔に変える方法はないのか……?
その問いに至った瞬間、俺の中で、同時に答えも頭の中に浮かんできていた。
『主役2人のセリフを覚えていて、ある程度演技のできる存在』なら、今ここにいるじゃないか。
「ロミオは俺がやる」
気がつくと、俺はそう宣言していた。
1週間、何度も通しで演劇を見ていた俺は、自然と全員分のセリフと流れを覚えてしまっていた。いわゆる反復練習ってやつだろうか。興味が無いことでも、毎日毎日繰り返し聞けば覚えてしまうものなのだ。俺の場合、興味がある事だったからその効果は数倍。ロミオ役をやるには十分だと思う。
「あおくんがロミオをやってくれるとしても、ジュリエットは……?」
早苗がそう聞いてくる。当然の疑問だろう。話しているうちに残り時間は20分を切っていて、普通に探して代役が見つかる可能性はゼロに近い。
だが、それはあくまでも『普通に探した』場合の話だ。
俺にはロミオとジュリエットに詳しく、セリフもほとんど覚えているであろう存在を、たった1人だけ知っている。
「俺にあてがある。すぐに呼んでくる!」
俺はみんなにそう告げると、急いで体育館裏へと飛び出した。彼女が頼みを聞いてくれる保証なんてない。それでも、何もせずに終わるよりかはいいと思った。
もしもこれが、俺の願った『劇的な何か』なのだとしたら、願ってしまった俺にも非があるのは確かだ。なら、その償いをしなければならない。
早苗や栗田さんの怪我、みんなの想いに償えるのなら、自分の心が抉られることなんて気にしていられない……!
俺は店の陳列するエリアを走り抜け、その一番奥にある店、猫カフェに飛び込むと、せっせと働いている猫耳しっぽ付きの黒髪ストレートな美少女に駆け寄り、その腕を掴んだ。
「笹倉、最後のお願いを聞いてくれ……!」
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