第90話 俺は恋路に悩みたい
翌日、文化祭前日の放課後。俺は、クラスで出店する猫カフェにて扱う料理や飲み物などの内容を一通り覚えた後、店を設置状況をひと目確認してから、演劇の最終練習のために体育館へと足を運んだ。
ちなみにだが今朝の話をすると、魅音が美里先輩に作ってもらったという衣装は、青いチャイナドレスだった。左脚が大きく露出するタイプのやつだ。
朝からあの生足のインパクトは俺にはレベルが高すぎたらしく、両穴から鼻血が止まらなくなったものだが、それは俺だけではなかったらしい。
フードをオープンした魅音の可愛さは、男女問わず多くの生徒をメロメロにし、我が校生徒のみが集うSNSグループでも、『この美少女は誰だ!』『こんな子学校にいたのか!?』『あの生足を間近で拝みたい!ドゥフドゥフ』などと、話題の中心になりつつある。
魅音はコスプレをしていることもあって、人前でもすごく生き生きしていたし、この調子なら彼女を人気者にするという明日の作戦も何とかなりそうだ。
俺はほっと胸をなで下ろしながら、力を入れている物事が円滑に進んでいくことへの満足感を噛み締めた。それと同時に、一方で全く進んでいないことがあることを思い出して、すぐにため息をつくのだが。
ああ、笹倉との件はどうしよう。あの冥土カフェで話して以降、彼女とは一言も会話をしていないんだよな。自分の気持ちをちゃんと伝えようと決めたはずなのに、そのタイミングを深く考えすぎて、ずっともどかしい気持ちを引きずって来てしまっている。
どこかではっきりさせないととは思うのだが、どうも俺にはタイミングと勇気の神様が力を貸してくれないらしい。恋稲荷神社に行って一度、恋愛運だけでも高めた方がいいだろうか。
劇的な何かが俺と笹倉に起きてくれれば、躊躇わずに踏み出せるはずなんだけど……。
まあ、そんな俺に都合よく世界が回るとは思っていない。何かを変えるには、自分から動かなければならないのが世の常というものだ。
「そうは言っても何をすればいいのかわかんねぇよぉ……」
やる気は十分にあるのに、やるべきことが分からなくてすぐに上げた足を下ろしてしまう。同じ場所で同じ足を上げ下げして、足踏みにすらなっていない。今の俺はまさにそんな状態だろう。
結局、ひとりじゃ前に進めなくて、はじめの一歩を踏み出す力を分けてくれる存在を探しちゃってるってことだ。我ながら、本当に情けないな。
「ああ、誰か俺の背中を押してくれねぇかなぁ……」
そう呟きながら廊下を歩いていた時。俺は不意に後ろから力強く突き飛ばされた。
人間、予測していないことには弱いもので、俺は手や膝をつくことも出来ず、硬い廊下にヘッドスライディングする形になってしまった。
「そ、そんなに飛ぶ!?ご、ごめんね……?碧斗君」
若干裏返り気味の声でそう口にし、慌てた様子で駆け寄ってきたのは――――――――――。
「いてて……薫先生……?いきなり何するんですか!2日連続でコスプレ登校した事への報復ですか!?」
紫がかった黒髪がチャームポイント(?)な薫先生だった。
「いやぁ、背中押して欲しいって言ってたから、先生なりに頑張って押したつもりだったんだけど……」
「不器用にも程がありますね!?物理的な意味じゃないことくらいわかってください……」
折れていないか心配になるくらい痛む鼻を押さえながら立ち上がった俺は、軽く先生を睨む。今の彼女は声色でも分かったが、普段演じている『怖い先生』ではなく、『本当は優しい先生』の表情で俺の前に立っていた。
「で、何の用ですか?文化祭の役割についてなら委員長に聞いて貰えたら……」
「いいえ、そうじゃないの」
真面目な、でもどこか不安げな表情で俺の言葉を遮る先生。
「あ、もしかしてまた人生相談ですか?それなら演劇の練習が終わったあとにならしてあげますよ」
「それもお願いしたいけど……それでもないの。きっと、今のあなたが一番知らなくてはいけない情報だと思うわ……」
彼女の表情から察するに、これはおふざけでは無さそうだ。
「俺が一番知らなくてはいけない情報……?」
俺の口は自然と先生の言葉を繰り返していた。その声にしっかりと頷いた彼女は、ゴクリと唾を飲み込んでから、はっきりとした口調で言った。
「文化祭が終わった後、笹倉さん、両親のいるベトナムに行ってしまうそうよ」
「……え?それってどういう……」
確か、文化祭明けには5日間の休みが待っていたはず。それを利用して両親に顔を見せに行くということだろうか。それなら休み明けにはまた顔が見れるだろうし、問題は無いはず―――――――――。
俺のその考えを読んだかのように、先生はさらに言葉を続けた。
「しばらくは日本に帰ってこないそうよ」
「…………は?」
予想外の言葉に、先生相手なのに思わずおかしな声を出してしまう。
「しばらくってどれくらいで……?」
「それは聞いていないわ。本人曰く、しばらくだそうよ」
「なんの答えにもなってねぇよ!」
口では強い口調でそう言いつつも、俺の心臓は激しく鼓動していた。
心臓から血が送り出される度にその血流に乗って、焦燥感という名のヘドロが全身に送り出されるような、心地の悪い感覚が伝わってくる。
明日を最後に、笹倉と会えなくなるかもしれない。
頭の中でその言葉が何度も繰り返されて、無意識に呼吸が浅くなる。今すぐ笹倉に会いに行きたい。それでも早苗たちを放り出して行くわけにもいかない。
「……分かりました、後で考えます」
走り出したい気持ちをぐっと堪えて、俺は足を体育館の方へと向けた。
今笹倉に会いに行ったところで、俺に何が出来る?彼氏でもない、友達なのかどうかも怪しいような今の関係で彼女を止めたところで、迷惑がられ、冷視され、あしらわれるだけなんじゃないか。
それなら、すぐ近くにあるものに手を伸ばした方が俺はきっと幸せになれる。悲しまずに済む。
後悔はするかもしれない。でも、正直に言おう。俺は後悔以上に、俺を無としてしか見ていない今の笹倉 彩葉を再認識することが怖い。
これを逃げだと言われたって、
もしも、あと少しでも俺の感情が『哀』に傾いてしまえば、きっと立ち直れなくなる。早苗か笹倉か……笹倉が居なくなったから早苗に決定!だなんて、そんな楽観的なことは言っていられなくなるだろう。
愛する人を失うというのはそういうことなのだ。なにも、死だけが失いや別れじゃない。むしろ、心理的な別れこそが、より深く心を抉る。
傷つくのが怖くて、今のままの……まだ無傷に近い状態のままで全てを終えたい。俺は無意識にもそう願ってしまった。
『綺麗なままで終わる失恋』なんてものが存在するはずがないのに……。
「じゃあ、練習に行くので……」
俺はそう言うと、薫先生を残してその場を去る。彼女は声をかけるでも無く、ただただその背中を眺めていた。
「ねえ、あおくん。今日なんか変だったよ、何かあった?」
帰り道、早苗が心配そうにそう聞いてきた。確かに今日の練習中、俺はずっと心此処に在らずだった。心配されても仕方ないだろう。
「……いや、ちょっとな」
俺がそう言って言い淀んでいると、早苗はサッと俺の前に立ちはだかり、両手を広げる。
「それ、今は言えないこと?ずっと言えないこと?」
真っ直ぐな目でそう聞く彼女に少し戸惑いながらも、俺は「ごめん、今は言えない事だ」と答えた。
その言葉を聞いた早苗は小さく微笑む。
「そっか、わかった。じゃあ今は聞かない!」
そこまで言って、彼女は伸ばしていた腕を下ろし、くるりと俺に背を向ける。
「その代わり、全部終わったら教えてね……約束!」
全部終わったら…………この悩みに終わりなんてあるのだろうか。きっと早苗は優しさでそう言ってくれている。それでも、その気持ちの全部が俺の心臓をグサグサと突き刺してきた。
「……ああ、約束だ」
心無き声でそう答えた後、俺は密かにため息をついた。
ごめん、早苗。その約束は守れそうにないんだ。
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