第89話 包容力先輩はフードさんを勧誘したい
昼休み、俺は魅音(やっぱりフード付き)を連れて手芸部の部室を訪れた。要件はもちろん衣装についてだ。
あの後、何度か返して欲しいと頼んだのだが、薫先生は頑なに返してくれなかった。肩を揉んだり、書類の整理を手伝ったりと、最大限にゴマをすってみたが、それでも薫要塞は攻め落とせず終い。
腹いせに男嫌いをバラしてやろうかとも思ったが、それはさすがに俺の心が痛むし、俺の内申点を握っているのは彼女なのでやっぱりやめておいた。
とにかく、衣装が帰ってこない以上は別のものを用意するしかない。申し訳ないが、それでもう一度美里先輩を頼ることにしたのだ。
俺達は彼女を探して一度3年生の教室まで行ったのだが、この時間はだいたい部室にいると言われ、手芸部の部室がある別棟にやってきていた。
「失礼します」と言ってから入ったのだが、ミシンに向き合っていた美里先輩はまだこちらに気がついていないらしい。こんな時間まで服を作っているなんて、本当に手芸が好きなんだな。
それなら邪魔をしては悪いと、俺達は物音を立てないように、そっとソファーに腰かけた。
それからしばらくの間、カタカタカタというミシンの音、布の擦れる音、外から聞こえる生徒たちの元気な声をBGMに、美里先輩の作業が終わるまでの待ち時間を過ごした。
「……ふぅ、出来た♪」
満足げなため息とともに聞こえてきたその声。それを聞いた俺達は、ソファーから立ち上がって彼女に近づく。
「何ができたんですか?」
「ひゃぁぁぁぁ!?」
ドタァァァン!
美里先輩は、俺が声をかけると同時に驚きの声をあげ、座っていた椅子ごとひっくり返ってしまう。
「い、いてて……関ヶ谷くん?いつから……」
「す、すみません!大丈夫ですか?」
慌てて彼女を支え、立ち上がるのを手伝った。あの驚きっぷり……本当に俺達がいることに気づいてなかったんだな。しっかりしてそうに見えて、意外と抜けてるところがあるのだろうか。
「あはは……大丈夫大丈夫♪でも、来たなら来たって言って欲しかったわ」
「す、すみません……。あんまり集中してるみたいだったので、話しかけない方がいいと思って……」
美里先輩は、「気遣ってくれたのね、ありがとう」と言ってニコッと笑いかけてくれた後、乱れたスカートをパンパンと叩き、それから俺達のために飲み物を用意してくれた。本当によく出来た人だ。
早苗にもこんなふうに母性みたいなものがあれば……と思ったが、彼女は彼女なりの優しさを持っているので、むしろ今のままの方がいいのかもしれないと思い直す。変に家庭的になられたらなられたで、俺も戸惑うだろうしな。
「それで……その子が魅音ちゃん?」
机にコップに入ったりんごジュースを起きながら、美里先輩がそう聞いてくる。
「は、はい!奏操 魅音です!」
魅音はそう言いながらペコッと頭を下げると、勢いよく頭を上げる。その反動で被っていたフードがガバッと外れた。
「あわっ!?はわわ……ふぇ?」
慌てて被り直そうとした腕は、美里先輩に掴まれた事で動きを止める。彼女は魅音にグイッと顔を寄せると、先程までの優しい笑顔とはどこか違う、大人のお姉さん的な笑顔で魅音の目を見つめた。
「ふふふ、可愛い顔じゃない♪どうして隠そうとするの?」
美里先輩の質問に、魅音は「えっと……」と戸惑いの表情を見せる。さすがに初対面の人に、しかもこんなにも積極的に来られて、すんなりと話せることでは無いからな。ここばかりは言葉が上手く出なくても仕方ないと思う。
「美里先輩、魅音も困ってますし……」
俺が止めに入ろうとすると、先輩は魅音に向けていた瞳をゆっくりとこちらに移した。
「関ヶ谷くん、今いいところだから……静かにしていてもらえる?」
その静かなる圧力に、俺は思わず「は、はいっ!」と返事をして後ずさってしまう。こ、この人……俺の知っている美里先輩じゃない……。
俺が密かに震えているうちにも、目の前の事は次々に発展していき、気がつけば、魅音は美里先輩に壁ドン&顎クイをされていた。
「私好みの可愛い顔……♡あなた、手芸部に来ない?」
ついには舌なめずりをしながら、部への勧誘まで行い始めた。なんだか、すごくエロいものを見ているような気が……。
そう言えば噂で聞いたことがある。3年生の中に、好みの後輩女子を見つけては、性的な意味で食ってしまうという通称『
まさかそれが美里先輩の事だったなんて……。
「ねぇ、返事を聞かせてちょうだい……?」
美里先輩が、答えを急かすようにゆっくりと唇を近付けていくのが見て取れた。1cm近付く度に、魅音の肩がビクッと跳ねる。先輩はまるで、その反応自体を楽しんでいるようだった。
このままでは、魅音が色んな意味で危ない!何とかして助けないと……と思うのだが、その具体的な方法が全く浮かんでこない。
どうすれば―――――――――と俺が焦っていると、ギリギリのところで魅音が口を開いてくれた。
「わ、私にはオカルト研究会があります……」
魅音は震えながらも、しっかりと言葉を紡ぐ。そうだ、お前には他に居場所がある!あれほど大切にしていた場所を、そんな簡単に捨てるはずがないのだ!
「うちは兼部もありよ?」
「お、お世話になりますっ!」
魅音の硬い意思は、先輩のそのたった一言で崩れた去った。
「み、魅音、考え直すんだ!美里先輩はお前の……その……か、体を狙っている!」
「別にいいですよぉ……♪先輩になら何をされても……♡」
だめだ、完全に心酔してしまっている。先輩の大人の瞳、恐ろしや……。
「ほら、関ヶ谷くん。魅音ちゃんもこういっているんだし、私たちはこれからカラダを測り合うから……ね?席を外してもらえる?」
先輩は唇に人差し指を当てながら、色っぽい口調でそう告げる。
「か、カラダを……測り合う……?」
それってつまり……これから2人はこの場所で……。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
一瞬、早苗をベッドに押し倒した瞬間のことが頭を過り、気がつくと俺は、叫びながら手芸部部室を飛び出していた。
そのまま別棟から出て校舎まで走ると、トイレに駆け込み、洗面台で水道水を思いっきり顔にかけた。冷たい水を浴びてもなお、まだ火照っている……。
「せ、先輩の魅力……恐るべし……」
落ち着いてから教室に戻った俺は、5時間目に提出予定の課題を今更になってやっている早苗の向かい側に腰掛ける。そして彼女の顔を覗き込んで安堵の溜息を零すのだった。
「お前はいつまでも、その子供っぽいままでいてくれよ……」
「……なぜか馬鹿にされてる?私だって立派に大人のお姉さんだもん!」
「その大人のお姉さんが、課題提出ギリギリで焦ってやってるんだな?」
「も、もう!あおくんが話しかけるから間に合わなくなるよぉ……!」
「大人なら人のせいにするなよ」
ああ、こいつだけはずっとこのままでいて欲しい。密かにそう願う俺であった。
その後、放課後に魅音から聞いたのだが、俺が部室を飛び出した後、美里先輩と2人で体のスリーサイズや身長を測りあったらしい。
カラダを測り合うって言うのは本来の意味だったんだな。……って、変な妄想とかしてないからな?
どうやら、魅音のことが気に入ったのは本当らしく、文化祭用の服を美里先輩とペアルックで作ってくれたんだとか。サイズも測ってあるので体にベリーフィットらしい。
気になるから見せて欲しいと頼んだら、魅音は明日の登校時のお楽しみだと言って、いーっと笑って見せた。まあ、気になって眠れないという程でもないし、大人しく明日の楽しみにするとしよう。
それにしても、『
俺こそ大人にならないといけないのかもな。
俺は心の中で反省しつつ、今日の演劇練習場所である空き教室へと足を向けた……。
一方その頃、手芸部部室にて。
「魅音ちゃん……可愛かったわ……ふふふ」
密かに隠し撮りした、奏操 魅音の着替え中の写真を眺めながら、頬を緩ませる者がいた。
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