第86話 俺は包容力先輩に頼みたい

 文化祭まで残り3日。

 そんな時に早苗の着ていたジュリエット衣装の裾が、舞台セットに引っかかって少し破れてしまった。

 早苗は『や、やっちゃったぁぁぁ!』とでも言いそうな焦った顔で、必死にみんなに謝っていたが、起こってしまったことは仕方ない。

 そもそも、破れたのは彼女が悪いわけじゃないしと、みんなも笑って許してくれていた。と言ってももう3日しかないわけで、新しいものを用意する時間があるかどうか……。

 俺が首を捻って悩んでいると、突然栗田さんが「そうだ!」と声を上げた。

「関ヶ谷くん!小森さんを連れて手芸部の部室に行ってもらえる?そこで頼めばなんとかなると思うから!」

 なるほど、手芸部なら破れた箇所を縫い直してくれるかもしれない。

「わかった!早苗、行くぞ!」

「うん!」



 というわけで、俺達は別棟の2階に来ていた。

『手芸部』と書かれたフェルト生地の札がかかったドアを見つけると、手をかけて開こうとする。

「……ん?」

 だが、扉はびくともしない。どうやら鍵がかかっているようだ。小窓から光が漏れているから、中に人がいるものだと思ったのだが……。

「あら?手芸部に何か御用?」

 諦めて帰ろうとしたその時、背後からから優しい声色が聞こえてきた。

「あ、はい……でも開いてないみたいで……」

 そう言いながら振り返ると、優しい声の主が視界に映る。

「あら、ごめんなさいね?今私が開けてあげるから」

 手芸部の鍵を握って立っていたのは、見るからに優しそうな女の人だった。トロンと蕩けた目、少しカーブを描いているロングのピンクヘアー、無意識に目が向いてしまう豊満なバストに細い腰と手足。彼女こそボンキュッボンの代名詞と言っても過言ではないだろう。

 そう俺が思わず見蕩れていると、その視界に早苗が割り込んできた。

「あおくん、あんまり他の女の子の胸ばかり見てると、私嫉妬しちゃうよ……?」

 ぷぅっとほっぺを膨らませて、軽く目を細める彼女。

「み、見てないって!」

 そう言って首を横に振るも、彼女は信じてくれない。

「胸も腰も脚も、舐めるように見てたもん!あおくんの変態!」

 ば、バレてたのか……。そりゃ、男なら突然目の前に綺麗な人が現れたら見ちゃうだろ?でも、それはあくまで男の中の常識で、早苗に通用するはずもない。それがわかっているからこそ、俺は素直に謝ることにした。

「他の女の子の胸、腰、脚を見てしまって申し訳ありませんでした!」

「……ふざけてるの?」

 これにはさすがの早苗もお冠だったらしく、頬を引くつかせ、腕を組み、右足裏を廊下に一定のリズムで打ち付けていた。

「あおくんはね、私を見ていればいーの!ほら、私も負けないくらい胸あるもん!」

 早苗はそう言いながら、組んだままの腕で胸をぐいっと持ち上げる。それと同時に、彼女の制服の胸元にある校章が立体的に主張してきた。

 おお、確かに早苗のもなかなか……。いつの間にか彼女の体も大人に近づいて……ってそういうことじゃないんだよ。

「早苗もなかなかだが……やっぱり彼女の方が……」

「あおくん、今なんて言ったのかな?もう一度言ってみて?もう1回言ったら手が出ると思うけど」

「いや、それ矛盾してるじゃねぇか!」

「ね、言ってみて……?」

 ぐいっと詰め寄ってくる早苗……目が笑っていない。手が出るだなんて、いつの間にそんなセリフを覚えたんだよ……。

「さ、早苗最高!」

「うむ、苦しゅうない」

 満足そうに微笑む早苗。こうやって間違った世界が生まれていくんだろうな……なんて思ってみたりする。


「2人は仲良しなのね、羨ましいわ」

 ピンク髪の女生徒が微笑みながらそう言う。

「はい!一応幼馴染なので♪」

 早苗は元気にそう答えると、そっと俺の耳元に口を寄せた。

「『一応』って言うのは、恋人になるかもしれないからってことだからね♪」

 小声でそう言って離れていく彼女。別にいちいち言わなくてもいいだろとは思うが、こんな所にも彼女の小さな主張があるんだろうと思うと、少し微笑ましく思えた。

 ピンク髪の女生徒は、持っていた鍵で手芸部の部室を開くと、俺たちを中へと手招きしてくれる。

「失礼します」と言いながら中へ入ると、部室は思っていたよりも狭かった。奥行きは教室と同じだけあるが、横が3分の1程度しかない。

 だが、向かって左壁際には細長い机が設置されていて、その上にミシンや布が置かれている。奥には窓があってそこから差し込む太陽の光がしっかり部屋を照らしてくれているし、床は足に冬でも足が寒くないホットカーペットが敷いてあるし、扉の右横には4人くらいが座れそうなくの字のソファまで設置されていた。今はクッションに占領されているけど。

 きちんと整理整頓されていたり、必要なものが最小限にまとめられていることもあって、その狭さが逆に快適さを引き出している。

 しかし、誰もいないのに電気をつけっぱなしというのはあまりにも無駄ではないのか。俺がそう思ったのを察したかのように、ソファ上のクッション達がモゾモゾと動き始めた。

 早苗がそれに驚いて俺の背中に隠れた次の瞬間。

「ん……美里みさと先輩……おはよ……」

 なんと、クッションの下から女の子が現れたのだ。俺達のとは違った女子制服に身を包んでいる彼女の特徴と言えば、地毛なのか染めたのか分からないくらいに綺麗なサイドテールの銀髪、寝起きだからなのか半分しか開いていない碧色の瞳、日本人離れした色白の肌。胸は寂しいくらいに平らだが、彼女の華奢な体も相まって、逆にそれが良かった。

 眠そうに目を擦りながらソファから降りた彼女は、大きなあくびをひとつしてから、俺の横をトコトコと歩き、ピンク髪の女生徒……いや、美里先輩に歩み寄る。そして銀髪の彼女は、無表情のまま美里先輩に抱きついた。

「……あったかい」

「うん、温かいね♪」

 美里先輩は銀髪の彼女の頭を優しく撫でると、その豊満なバストに彼女の顔を埋めさせた。うん、すごくあったかそうだ……。

「……あおくん。今、羨ましいって思った?」

「思ってないです」

「鼻の下伸ばしながら言っても説得力ないよ?」

 早苗にそう言われて慌てて顔を整える。どうやら俺は大きいお胸に弱いらしい。以後気をつけないと、早苗に嫌われそうで怖い。

 ……いや、早苗ならむしろ、『胸が大きくなる!』が売りの怪しいサプリを買っちゃいそうで、そっちの方が怖いかもしれない。やっぱり気をつけないと。

 美里先輩は俺達が見ていることに気がつくと、銀髪の彼女を優しく離れさせてから、「ふふ、ごめんなさいね」と微笑んだ。

「自己紹介がまだだったわね。私は3年生の綿雨わたあめ 美里みさと。それから……」

 3年生ってことは、俺達からしても美里ってわけだ。言われてみれば、確かに身長も俺より少し高いくらいだし、3年生のオーラというか、包容力みたいなものがあるような気がしてきた。

 美里先輩は隣に立つ銀髪少女に目配せすると、彼女も軽く会釈した。

「ボク、東雲しののめ そら。隣の白鷺しらさぎ高校からこっちに遊びに来てる」

 淡々とした口調で話す彼女は無表情のまま、一切表情を変えない。そういうタイプの子なのだろうか。

「……ってあれ?」

「あっ、ごめんね?この子、あまり顔に感情が出ない子なの」

 美里先輩は丁寧にそう説明してくれるが……。

「いや、そうじゃなくて……」

 ふと感じた違和感。俺はその正体に気が付いてしまったのだ。

「えっと、確認したいんだけど……東雲さんはに通ってるんだよね?」

 俺の質問に東雲さんは無言で頷く。それを見た俺は確信した。

「東雲さんって……男だったんだ……」

 実のところ、白鷺高校は男子校なのだ。つまり、そこに通っているということは男子であるということ。

「そうなのよ。この子、中学の時の後輩なのだけど、その時から女の子の格好をするのが好きだったの」

 美里先輩がそう説明している間にも、東雲さんはまたソファに寝転んでクッションに埋もれてしまった。なかなかに自由気ままな子だな……。

 美里先輩が言うには、白鷺高校の校長はいわゆる『おネエ』と言うやつらしい。男子校であるからこそ性差別問題に取り組むべきだと考えていて、東雲さんの複雑な気持ちを聞くなりすぐに、特注で女子用の制服を作ってくれたんだとか。

 もちろん白鷺高校の生徒の中には、東雲さんのことを変だと思う人もいるけれど、気持ちを隠していた時よりかは明らかに生活の質が良くなっているし、学校も楽しいと言っていて、美里先輩が時々心のケアをしてあげているから心配ない……とのこと。

 まさかここまで千鶴と内面が似ている人が、意外と近くにいたとはな。

 美里先輩は長机に置いてあったティ〇ァールが湯を沸かしたのを確認すると、俺達のためにお茶を淹れてくれた。

「それで……何か用事があって来たんじゃないの?」

 あ、そうだった。長話もあって、うっかり忘れるところだった。

 俺は当初の目的を思い出すと、早苗を一歩前に進ませてから話を初めた。

「実はこの衣装が―――――――――」

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