文化祭準備 編

第74話 俺はお茶を受け止めたい

「なあ、文化祭って結局何をするんだ?」

 筋肉痛と骨の痛みに耐え続けた日曜日を乗り越え、その翌日の月曜日、代休ということで早苗の部屋に遊びに来ている笹倉に聞いた。

「なんで私に聞くのよ。委員の人に聞けばいいじゃない」

「いや、そうだけどさ……。結局リーダーはお前だろ?」

「私は提案しただけよ。あとはみんなが何とかするわ」

「投げやりだなぁ……」

 俺はそう言いながら、手にしていたゲーム機を置き、先程から彼女が目を落としている物に目を向ける。

「それ、何読んでるんだ?」

「これ?ほら、早咲 苗子の新作の……」

 彼女が差し出してきたそれは、咲子さんが先日、徹夜で締切に間に合わせていた小説、『何属性のヒロインなら結婚してくれますか?』というライト文芸系の連載小説の第2巻だ。

 第1巻は発売日に買いに行って読んだのだが、まさか2巻がもう出ていたとは……。

 まだ読んでいない人にざっくりと内容を説明すると―――――――――。


 主人公の唯斗は顔、能力、人間関係、なんら突出したことのない普通の男子高校生。そんな彼には幼馴染の女の子がいるのだが、高校二年生になった日から、彼女の様子がおかしくなった。


「ゆいくん、一緒に帰ろ!」と甘えてきたり。


「なんですか?見ないで貰えます?」とツンツンしてきたり。


「おーい!ゆーくん!見てみて〜!」と自分で編んだ靴下を見せてきたり。


「ゆい!ちょっとこっちに来い!」とオラオラしていたり。


「唯斗くん、好き好き好き好き好き好き好き♡」とメンヘラっぽくなったり……。


 昨日までは普通だった幼馴染が、突然13の人格を持つようになったのだ。なんの前触れもなくそうなった彼女に戸惑う唯斗だったが、日に日にその色々な顔に惹かれていく。

 でも、全ての彼女を愛せる訳では無い。それに、ひとつの人格が出ている間の記憶を、他の人格は持っていないのだ。だからこそ、唯斗と幼馴染との想いの差はどんどんと広がっていき、喧嘩やすれ違いも多かった。

 そんな中彼は、13の人格を持つ彼女の中に、本来の人格である14番目が眠っていることに気がついた。そしてマッドクリエイターの天海あまみと共に、『人格消去』を行うことにしたのだ。

 第1巻では、1つ目の人格を消去したところまでが描かれていた。少し推していた人格だったから、なかなかに心の傷は深かったな……。

 ほら、推しが死ぬのって耐え難いことだろ?……あれ、伝わってないのかな?


 第2巻はどういうストーリーなんだ……?

 気になってしまい、読み始めようと本を開いたところで。

「はいはい、読みたいなら自分で買ってきてくださいね〜」

 笹倉に取り上げられてしまった。ぐぬぬ……無性に内容が気になる……。かといって、ヒビの入った足で買いに行くというのも、正直遠慮したい。

「お、お願いします……見せていただけませんか?」

 ついには笹倉に頭を下げることにした。だが……。

「だーめ!」

 あっさりと断られてしまう。

「なんでダメなんだよ!」

「私が読んでるからよ」

 そんなぁ……と落胆していると、少し頬を赤らめた彼女が小さな声で呟いた。

「それに、本を見てたら私の事見てくれないじゃない……」

 照れているのか、逆さまの小説に目を通している振りをする笹倉。クールさとのギャップがたまらなくかわいくて、思わず俺も目を逸らしてしまう。

「そ、それじゃ、笹倉が俺の事見てくれないじゃんかよ……」

 やばい、すごく顔が熱い……。

「そんなこと言ったって……も、もぅ……」

 笹倉もさらに顔を赤くして、机に本を置いていた。

「な、なら……見つめていてあげるわよ……」

「お、俺だって……」

 耳まで真っ赤にした男女が部屋の中で見つめ合う。これだけ聞けば青春の1ページのように感じる人もいるかもしれない。

 でも、ここがどこなのかを思い出してもらえば、この先の展開は予想出来てしまうだろう。

「お茶持って…………って人の部屋で何やってるのっ!はいはい、離れてっ!」

 笹倉が頼んでいたお茶の乗ったお盆を手にしている早苗は、イチャついている俺たちを見るなりすぐに、ほっぺをふくらませながら二人の間に割り込もうとする。

 そこまでは良かった。言ってしまえばいつも通りの光景だ。

 だが、早苗は控えめに言ってかなりのドジっ子。ひとつのことに目がいくと、他が見えなくなるのかもしれない。

 彼女は、俺がさっきまで遊んでいたゲーム機に繋がれている充電コードに気付かず、足を引っ掛けてしまったのだ。

「おわっ!?」

 彼女が転ぶと同時に、お盆に乗っていた3つのお茶が宙を舞う。

「ちょ、ちょっとぉぉぉ!?」

 慌てた笹倉は思わず頭を抑えて身を守る。だが、3つのうちのひとつが彼女へと降ってきた。

「あ、危ない!」

 俺は怪我のことも忘れて、慌ててコップに手を伸ばす。奇跡的に手が届き、何とかキャッチすることが出来た。だが、中身だけは勢いで飛び出してしまい、笹倉は頭からびしょ濡れになってしまう。

「あ、ありがと……」

「け、怪我しなくてよかっ……たぁぁぁぁ!?」

 ほっと胸をなでおろしたのも束の間、今度は倒れたままの早苗へと2つ目のコップが落ちてきた。

 時間差がありすぎるような気がするが、そこはお茶の奇跡ってことで……って、そんなこと言っている場合ではなかった!

 俺はぐるぐる巻きの右足踏ん張って、コップをキャッチする。

「い、いてぇぇぇぇ!」

 叫ぶように声を出して、何とか耐えたものの、コップの中身は既に空っぽだった。

「あ、あれ……?」

 中身の行方を探してみれば、足元の早苗がびしょびしょになっていた。

「ご、ごめん……」

 そう謝ったものの、よく考えたらこいつが自爆しただけで、本当は褒められるべきなんじゃないかと思ってしまう。

 だが、それもまたまた束の間。

 2つのコップはなんとかキャッチした。しかし、早苗が運んできていたのは3つのはずだ。あとひとつはどこに行ったのか……。

 危険に襲われた人間の感覚というのは、普段の何倍も研ぎ澄まされるんだと、俺はこの時身をもって知った。

 体中の全細胞が言っていた。コップは真上だと。

 見上げると、直感通りコップが飛んでいた。俺はそれを手を伸ばして掴む。だが――――――――。

「熱っ!?」

 何故かコップが熱かった。脊髄反射で手を離してしまい、コップは頭目掛けて落ちてくる。

 俺はその時悟った。人生の終わりというものを。

 ガラスのコップがぶつかる音が骨を伝わって全身に響いた後、俺は熱湯でびしょびしょになった。




「痛てててて……真っ赤になってるな……」

 頭から肩にかけて熱湯を被ったため、お風呂で冷水を当てることにした。何故あのひとつだけ熱かったのかと言うと、早苗がバラエティ精神でひとつだけお湯を入れていたらしい。『どれが熱々でしょう!』とロシアンルーレット的なのがやりたかったんだとか。いや、湯気でわかるんだよな……。

 まあ、起きてしまった事は仕方ないし、彼女を責めるつもりはない。でも、水膨れとかになったら嫌だな……。

 念には念を入れて、長めに冷水を当てておく。上がってからも氷を当てておこう。そう思って風呂から出ようとした時……。

 ガチャッという音と共に、2人の美少女が風呂場に踏み込んできた。

「ちょっ!?な、なんで入ってきてんだよ!」

 俺が慌てて下半身をタオルで隠すと、クスクスと笑いながら笹倉が言った。

「私達も頭からお茶を被っちゃったんだもの。洗っておかないと臭っちゃうでしょう?」

 確かにごもっともなんだが、何も一緒に入らなくてもいいだろ……。

 2人は、タオルを巻いてはいるものの、上も下も際どいことに変わりはない。男の性でつい目を奪われてしまいそうになるのを必死に堪えて、天井を見上げ続ける。

「目を逸らさないでよっ!」

 しかし、早苗に顔を引っ張られて、強制的に目を合わせざるを得なくなった。いつもは特に意識しない『女』の部分が全力で主張していて、鼓動が少しずつ早くなっていく。

「お背中お流ししまーす♪」

 手にボディソープを出した笹倉がそう言うと、早苗が手際よく風呂椅子に俺を座らせる。拘束されている訳でもないのに、何故か逃げられない。

「ふふふ……洗うわね♪」

「ふふふ……洗うよぉ〜♪」

 悪い笑顔の2人が少しずつ近づいてくる。身の危険を感じた俺は、意を決して叫んだ。

「た、たすけてぇぇぇぇぇぇ!」

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