第69話 花摘みさんは俺に手伝ってもらいたい

 次の種目である『台風の目』が行われる中、俺は見知らぬ彼女に連れられて、グラウンドを挟んた観覧席とは反対側の場所にやって来ていた。

「はい、ここですよ。放送部のテント」

 彼女はそう言ってテントを指差す。

「ここって言われても……」

 俺はまだ何をすればいいのかを聞いていない。いきなり放送部のテントに連れてこられても、一体何を手伝えというのだろうか。

 ……いや、待てよ。放送部と聞いてなにか引っかかると思っていたのだが、その正体がやっとわかった気がする。

「君ってもしかして、放送部の御手洗みたらいさん?」

 俺は彼女にそう聞く。

「そうですけど……よく分かりましたね」

「ああ、去年の月水金のお昼の放送。担当は御手洗さんだっただろ?噛まないで有名だったから、何となく声を覚えてたんだよ」

 俺の言葉に、それまでずっと固かった彼女の表情が、いくらか柔らかくなる。

「かなり前のことなのに、覚えてくれている人がいるなんて。放送なんて誰も聞いてないものだと思ってました」

「そんなことないと思うぞ?実際、俺が聞いてたわけだしな」

 一緒にご飯を食べていた早苗は、放送よりも自分の話を聞いて!って感じだったけど。

「日に日に上手くなっていく話し方だったり、増えていくバラエティ性だったり、聞いてて飽きなかったな」

「ふふふ、そんなに褒めても何も出ないですよ?」

 そうは言いつつも、彼女は少し嬉しそうな顔をする。

「いやぁ、あんな面白い放送をする人が、一体どんな見た目をしてるんだろうって思ってたんだが、なんて言うか……」

「なんていうか……?」

 俺の口にした言葉を彼女も繰り返す。続く言葉に耳を澄ますように、彼女の体が少し前のめりになった。

「えっと……思ってたより真面目そうだったかな」

「……真面目」

 あ、あれ?なんか落ち込ませちゃたみたいだな。

「いや、悪い意味じゃないんだ。清楚系というか、黒髪最高っていうか……」

 弁解しようと言葉を口にすればするほど、悪い方向に進んでいっているような気がする。てか、なんか口説いてるみたいになってないか?

「……真面目って言われると悪口だと思っちゃうよな、ごめん」

 言い訳しても見苦しいだけだ。それに、俯いてしまった御手洗さんの姿を見れば、これ以上どうこういう気も失せてしまった。

「いえ、大丈夫です。少し昔のことを思い出してしまっただけですから。でも、気を遣ってくれてありがとうございます」

 そう言って彼女は微笑む。

「どういたしまして……?」

 彼女の過去に踏み込むつもりは無いが、そのぎこちない笑顔には、やはり少し違和感を覚えてしまう。それでも、俺の役目は彼女を手伝うことなのだから、余計なことをしても迷惑になるだけだろう。

 お節介を焼くのは嫌いじゃないが、今の俺の役目はそれじゃないだろうからな。心の片隅にでも置いておく程度に留めておこう。



「それじゃあ、ここに座ってください」

 そう言って御手洗さんは椅子を引いてくれた。怪我人への気遣いなのだろう。痛みはもうない訳だし、ちょっと申し訳ない気持ちになるな。

 俺は礼を言いながらそこに座る。目の前の机にはマイクやら機材やらが置いてあって、いかにも放送部という感じだ。

「それで……俺は何をすればいいんだ?」

 俺は初めから持っていた疑問を御手洗さんになげかける。すると、彼女は思い出したように言った。

「あ、そうでしたね。放送部が体育祭の司会的な役割をしているのは知ってますよね?」

 俺は首を縦に振る。

 放送部は次の競技の参加者に対する召集を行ったり、選手の紹介をしたり、結果を公表したりする役割を持っているのだ。これは大体の学校で同じだと思う。

「実は……これからお昼までの放送担当は、私ともう1人1年生の子がいたんです。でも、その子が喉を痛めてしまって……」

「それで一人でやることになったと……」

 御手洗さんは小さく頷いた。

「一人でも出来なくはないんです。でも、二人でやるのにはちゃんと意味があって……」

 確かに、用意された原稿や勝敗についてを言葉にするだけなら、1人でも十分足りるはず。2人目が必要な理由というのはなんなのだろう。

 俺が首を傾げたのを見て、彼女は少し頬を赤らめた。口にしずらいことなのだろうか。ならば無理にとは言わないが……。

 そうは思っても、やはり気になるオーラが出てしまっているのか、彼女は口を開いてくれた。

「やっぱり同じ声を聞いていても、見ているみんなが飽きてしまうかもしれないですし……」

 なるほど、客観的な目線に立って考えられているな。

「それに、1人だとトラブルが起きた時に対処できませんし……」

 確かに、人間は不測の事態に弱い。二人いて損は無いだろう。

「あと……」

 彼女は、そこでスラスラと動いていた口を止める。

「あと……?」

 俺はつい、急かすようにそう口にしてしまった。

 今までのふたつは躊躇うほどのことではなかった。つまり、次にその理由があるはずなのだ。先走りそうになる好奇心を抑えて、俺は彼女の声に耳を傾ける。

「あと……その……お、お花を摘みに行きたくなるかもですし……」

 御手洗さんはそう言いながらさらに顔を赤くする。

「お花を摘みに?……あ、そういうことか」

 知らない人もいるかもしれないが、お花を摘みに行くというのは、御手洗に行くという意味で使われる隠語なのだ。

 ストレートにトイレと言ってもいいと思うのだが、やはり時と場合によってはそれが難しい時もあるし、今の御手洗さんのように、口にするのが恥ずかしいという人もいるだろう。

 お花を摘みに行くと言えば、人を悪い気にさせることもそうそう無いだろうし、自分が恥をかくこともまずない。みんなも是非使ってみるといいだろう。

 って、俺はなんでそんなにお花摘みを推してるんだろうか。ちなみに俺は御手洗おてあらい派だ。

 でも、確かに二人いないと、ノンストップな体育祭の司会はなかなかトイレに行けないもんな。

「他の部員にも声をかけたんですけど、みんな午前中の競技が残っていまして……」

「それで俺に?」

 御手洗さんは小さく頷く。

「でも、俺は放送部と関わりなんてないし、そもそもなんで俺なんだ?頼める人は他にもいただろ?」

 放送部どころか、御手洗さんとすら初対面だ。なのに彼女は俺の名前を知っていたし、実際に手伝いを頼みにも来た。なにか俺でないといけない理由があるんじゃないだろうか。

「うーん、暇そうだったからですかね」

「……え?」

 俺は思わず素っ頓狂な声を上げる。

「ほら、その怪我のせいなんですよね?ずっと同じ場所に座っていたので、暇そうだなぁ……って」

 確かに暇だったけど、そんな理由で……?

「でも、それじゃあなんで名前を知ってたんだ?なにか理由がなきゃ分からないだろ?」

「いや、そうでも無いですよ?あの笹倉さんの彼氏ですから、意外と名前を知ってる人も多いですし。それに、色んな女の子をたぶらかしてる元ホモだって噂もあるみたいですから」

 え、俺ってそんな感じになってるの?誰だか知らないが、変な噂流しやがって……。ていうか、暇なら誰でもよかったってことになるんだよな?

「なんだよそれ……」

 俺は思わずため息をつく。自分勝手だが、期待を裏切られたような気分だ。

「な、なんかごめんなさい……」

 御手洗さんは謝ってくれるが、彼女が悪いことをした訳では無いので、逆にこちらが申し訳ない気持ちになってしまう。

「でも、手伝ってはくれますよね?」

 伺うような彼女の言葉に、俺は首を縦に振った。

「……ああ、もちろんだ」

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