第67話 (偽)彼女さんは速く走りたい
こうやっていざ順番を待つとなると、だんだんと緊張してくるものね。
私、笹倉 彩葉が初めに出場する競技、100m走は1レース4人で行われる。これはもちろん、各チームから1人ずつということね。無論、学年は同じもの同士で走るわ。
直線で100mを取るのはむずかしかったらしく、一周200mのグラウンドを半周する形になっている。
このやり方だと、1番外側の人が明らかに不利になってしまうのだけれど、そこは形式上仕方の無いものとしてみんな受け入れている。
それぞれのクラスから4人ずつが出場しているから、どの色チームも、1レーンから4レーンまでをそれぞれ1回ずつ走ることにはなっているけれど、2年女子最後尾の私としては、1番外側を走らなくてはならないことに苦情をつけたいくらいよ。
それにこの競技は、1年生、3年生、2年生の順番で走るのよね。おまけに男子の方が先。つまり、競技中の最終レースを走ることになるということ。
これを地獄と呼ばずに何をそう呼ぶのかしら。
私は解けかけていた靴紐を結び直そうと、一旦解きながら心の中で愚痴を呟く。
必死に抵抗したのよ?『せめて最後だけはやめてちょうだい!私の命が惜しければ!』ってね。でも、他の3人の女の子は揃って首を横に振った。
『笹倉さんならやれます!』
『そうですよ!なんでも出来る人なんですから!』
『最後を飾るのはあなたでないと!』
私の何を知って言ってるのよ!
確かにね、我ながら運動神経はいいほうだとは思うわ。どんな競技をやっても、少し練習すれば人並かそれ以上にはできるようにはなる。でもね、彼女たちは今年の1番初めに行った体力テスト、あの中の『50m走』の記憶が飛んでいるわ。
ぜひ思い出して欲しいわね。このクラスで一番遅かった者の名前を。
…………私よ!13秒よ!正確には13.77よ!ラッキーセブン?嬉しくもないわ!
自分にも理由がわからないのだけれど、他のスポーツでの移動速度は人並みなのよね。サッカーのドリブルだったり、バスケのドリブルだったり、ソフトボールの走塁だったり……。
でも、単純な走りになると、突然遅くなるのよ。体育教師がストップウォッチのボタンを押した瞬間に、移動速度低下のバフが付与されたみたいに体が重くなるの。
……もしかするとあれのせいかしら。
小さい時にお寺に貼ってあった御札を剥がしたことがあるのよね。あのお寺、確かスポーツの神様が祀ってあったような……。
いや、でもあの後元に戻したはずよ。500円玉投げ込んで必死に許しを乞うた記憶があるわ。『これあげるからとりあえず許せ』って。結局、その500円で買う予定だったネギと豆腐が手に入らずに、母親にこっぴどく叱られちゃったけれど……。
……いや、それともあっちのせいかしらね。
小学校に入学する少し前。引越し先で荷物を開封していた時のこと。
『早く走るためには、体つきよりその知識』という本を見つけて、気になった私は読んでみることにしたのよね。ほら、小学生の時って、走るのが早い男の子はモテてたでしょう?私は、その子たちに勝つことで調子に乗らせないようにしようとしたのよ。
まあ、結果的には遅いままだったのだけれど。
やっぱり、本に食パンを擦り付けて食べても、覚えられるわけなかったのよね。今考えると恥ずかしいことをしてたわ。
間違えて1ページ飲み込んじゃって、運悪くそのページに作者の写真が貼ってあったのよね。お父さんに助けて貰ってなんとか吐き出せたけど、くちゃくちゃになった作者の顔から無言の怒りを感じたもの。
出来心だったんです……許してください……。
「笹倉さん、もう走る順番が回ってきたわよ?」
「……え?」
隣のレーンの女の子の声で我に返る。いつの間にか自分よりも前の列の人達は競技を終えていて、この場にいる全ての人の目線が自分たちに向けられていた。
「ご、ごめんなさい……」
私は慌ててスタート位置につく。心の準備が出来ていなくて、余計に鼓動が早くなる。
「では、いきますよ」
スタートの合図を担当する体育祭委員の1人が、スターターピストルを天に向けて掲げる。
ああ……だから大玉転がしがよかったのに……。あの犬系ロリ娘!覚えておきなさいよ!
「位置について!よーい……」
もう……どうにでもなってしまえぇっ!
私は心のリミッターを外す思いで、右足を後ろに下げながら姿勢を低くした。そして。
――――――――パァァン!
「…………いっそ殺して」
スタンドに帰ってきた笹倉は、それはもう死んだ魚のような目をしていた。これは今朝の俺よりも酷いぞ。
でも、彼女がこうなってしまうのも頷けてしまう。
だって……スタートと同時に靴紐を踏んでずっこけたんだもんな。
「結び直そうとして解いたの、忘れてたのよ……なんで誰も言ってくれないの……もう、誰も信じない……」
全校生徒の前で恥を晒したことで、彼女の心には大きな傷が刻まれたらしい。多分、そんなに気にするほどでもないと思うぞ。
元々、彼女のことを嫌っている生徒というのはあまりいない。もとい、コロ助たちの働きによる成果ではあるのかもしれないが、悪い噂を全く耳にしないのは、元々そういう人があまりいないからだと思う。(偽)彼氏としての色眼鏡もあるかもしれないけどな。
しかし、事実笹倉の滅多に見られない失態に、大半の生徒たちはキュン死、もしくはキュン死寸前の状態である。
おそらく、転んだ後、真っ赤な顔での『み、見るなぁ!』が効果抜群だったのだろう。さすがは校内でも有名人なだけある。
俺も耐性がなければ、魂を持っていかれるところだった。
「ああ……今日は天気が悪いわね……」
「しっかりしろ、今日は快晴だ。そんなに落ち込むなよ。結構可愛かったぞ?」
「……本当?」
可愛いという褒め言葉に、少しだけ血の気が戻ってくる。
「ああ、本当だ」
「じゃあ、キスしながら同じこと言える?」
笹倉は少しだけ唇を突き出しながら、上目遣いでそう聞いた。
「いや、それは無理だろ。キスしてちゃ喋れないだろうし……」
「そんな屁理屈は聞いていません!」
俺は立派な人体の仕組みを元に話したつもりなんだけどな……。どうやら、傷心すぎて甘えん坊モードになっているらしい。つまりは、『meに癒しを寄越しなさい!』ってことだ。
競技に出られない以上、選手を癒すのが俺の役目。そういうことにしておくとするか。
「場所的にキスは無理だろ。でも、これくらいなら―――――――――」
そう言いながら、俺はいつもより小さく見える彼女の体を抱きしめた。
「んっ……♪」
そして、優しく頭を撫でてやる。
「笹倉、よく頑張った。失敗したかもしれないけど、恥ずかしさに耐えて最後まで走ったんだ。偉いぞ」
そう耳元で囁いてやると、彼女はこそばゆそうに首を縮めた。そして、甘えるような声で言う。
「好きって言って?そしたら元気出るから……ね?」
そんなこと言われたら、俺の方が彼女の可愛さに甘えてしまいたくなってしまう。
「ああ、好きだ。大好きだ」
そう言いながら、もっと強く抱き締めてやる。もっといっぱい撫でてやる。その全てに嬉しそうな反応を示してくれる彼女が、たまらなく愛おしかった。
周りの視線が、競技ではなくて俺たちに集中していることに気付いた時には、俺も死んだ魚のような目に逆戻りしてしまったんだけどな。
穴があったら入りたいとはまさにこの事か……。
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