体育祭 編
第66話 俺は体育祭に出たい
「待ちに待ったこの日がついに来たのね」
「……そうだな」
ほぼ毎日見ている校門。今日はそれさえも少し違って見える。ワクワクしているのか、鼻歌を歌いながら歩く笹倉。その隣で死んだ魚のような目をする俺。今日だけは彼女の隣を歩きたくないと思ってしまう。
「あおくん、そんな暗い顔しないで!」
「そんな事言われてもな……高校生活で3回しかない内の1回が、こんな形で過ぎていくんだぞ?悲しくもなるだろ……」
「そ、そうだけど……」
あまりの俺のどんより感に、励まそうとしてくれた早苗さえも、しょんぼりとしてしまう。
医者には、あと一週間あれば普通に走れるようになると言われていたのだ。雨が降れば一週間後に延期。俺はそれを期待していたのだ。
だが、空を見上げれば眩しすぎるくらいの晴天。憎いくらいの青空。
「この世界の全てが、俺の怪我を嘲笑っているみたいだ……」
「ほんと大袈裟ね……」
空を見上げて虚ろな目をする俺に、笹倉は呆れたと言わんばかりの大きなため息をついた。
教室に入ってからしばらくすると、大きな箱を持った薫先生がやってきた。一応怖い先生で通っているため、みんな慌てて席につく。
「はい、今日はみんな偉いわね。猿以上人間以下ってところかしら」
素の彼女は優しいはずなのにな……どうしていつもそういうことを言っちゃうんだよ……。
「じゃあ、体育祭Tシャツを配るわよ。前にアンケートに書いたサイズのものを取ってちょうだいね」
箱を開けながらそう言った彼女は、取り出した赤色のTシャツを生徒たちに配っていく。
この学校では、体育祭の日はそれぞれのクラスに割りあてられた色の体育祭Tシャツを身につけて競技を行うのだ。
俺達のA組は赤、千鶴のいるB組が青、結城のいるC組が黄色、そしてD組が緑色だ。別の学年でも、クラス別の色は同じ。この頃からわかるように、体育祭は4チームに別れての闘いになる。
去年は確か黄色だったのだが、赤色に憧れていたから少し嬉しかったりする。
Tシャツを受け取って席に戻った俺は、密かにニヤニヤしていた。
男子は教室で、女子は更衣室で着替え、また教室に集合する。
「碧斗くん、さっきニヤニヤしてたわよね。そんなにそのTシャツが嬉しかったの?出られないのに?」
「地味に心を抉ってくるなよ……」
ていうか、そんなところまで見られてたのか。ちょっと恥ずかしいな……。
「では、気合いを入れるために円陣を組むわよ。ほら、みんな集まって」
薫先生がそう言ってみんなに手招きをする。彼女の意外と熱い一面に戸惑っている奴も何人かいたが、みんな次々に近くにいたもの同士で肩を組み始める。
「碧斗くん。ほら、肩貸して」
俺もそう言う笹倉の肩に左腕を回し、
「あおくん!か、肩をお借りさせて頂きます!」
何故か敬語の早苗の肩に右腕を回した。
両手に花ってのはこのことか。
総勢32人の円陣が完成したのを確認した薫先生は、微かに微笑むと、大きく息を吸った。
「絶対に勝つわよっ!」
「「「「「「「おー!!!!!!!!」」」」」」」
俺もちょっと熱くなってきたかもしれない。
上は体育祭Tシャツ、下は体操服のズボンというスタイルの生徒たちが、人工芝のグラウンドへと整列してる。そう、開会式だ。
去年と同じ手順で行われるその光景を、、俺は競技中、その競技に参加しない生徒たちの待機場所である観覧席という、階段上になった場所に座って眺めていた。
だって怪我しているんだもの。熱くなってきたところで、俺は競技に出られないから意味が無い。まあ、応援だけでも頑張るかな。
俺がひねくれていると、階段の上からカメラを持った保護者たちのキャーキャーという声が聞こえてきた。娘、息子の頑張る姿を見れるのだから、盛り上がる気持ちもわからないではない。もちろん俺の母親はこの中にはいないんだけど。
一年半前から離れて暮らしているから、去年も来てくれていない。俺のために頑張って働いてくれてるんだし、文句を言うつもりもないけれど、いくつになってもこういう時に他のやつの親が来ているのを見ると、羨ましくは感じちゃうよな。
「少年、しょぼくれてちゃ行けないぞ♪」
「しょぼくれてないですけど……って、なんだ咲子さんですか」
「なんだとは失礼ね!寂しそうにしてるから来てあげたって言うのに……あ、早苗〜!お母さんはここよ〜!」
結局早苗の写真撮りまくってるじゃねぇか。
どうやら選手宣誓などが終わって、全校生徒によるラジオ体操に写ったらしい。顔を上げてみると、『体操体形に広がれ!』という体育祭委員長の号令に合わせて、生徒たちが等間隔に広がっている最中だった。
背の順ということもあり、早苗は女子列の中でも比較的前の方にいる。あんなに遠くにいる彼女を、今の一瞬で見つけるのはなかなかにすごいな……。
「寂しくないですから、離れてもらっていいですよ」
俺が怪訝そうな表情で、咲子さんから少し離れながら言うと、彼女はニヤッと笑いながら、
「おばさん、素直になった方がいいと思うな〜?」
そう言って離れた距離以上に体を寄せてきた。
「ちょ、寄ってこないでくださいよ!てか、ここは保護者立ち入り禁止エリアですから、そもそも出てってください!」
こんなところで引っ付かれたら、他の保護者たちにも、後で戻ってくる生徒たちにも見られてしまう。幼馴染の母親とベタベタしているところなんて絶対に見られたくない。
その一心で彼女を力ずくで引き離し、しっしっとあっち行けのジェスチャーをする。
「むっ……我が子のように愛してきた娘の幼馴染にそんなことをされるなんて……。昔は大好きって言ってくれたのに……おばさん悲しいわ……」
シクシクと嘘泣きをする四十過ぎのおばさん。年齢より若く見えるとは言え、色んな意味で見るに堪えないな……。
でも、我が子のように愛してもらってきたのは確かだ。小さい頃は、忙しかった母親の代わりに色々と面倒を見てもらった。それは本当に感謝している。誕生日は覚えてくれていなかったけど。
「はいはい、ちょっと言いすぎましたよ。色々してもらったことには感謝してますし、今でも……好きですよ……?」
この歳で好きなんて言うのは、なかなかに恥ずかしい。気持ち的には母親に手作りのプレゼントを上げている時のような気分だ。ああ、3年前の母さんの誕生日を思い出してしまう……。
照れつつも、俺は気持ち咲子さんの方へと体を戻す。それを見た彼女は、ちょっと嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ♪ありがとうね♪」
そう言って俺の頭を撫でてくる咲子さん。やっぱりちょっとだけ顔が熱い……。
ひとしきり頭を撫でた彼女は、ふぅーと満足そうにため息をつくと、俺の方に体を向ける。そして。
「でも、いくらおばさんのことが好きでも、おばさんは君の彼女には離れないゾ♪」
そう言ってウィンクをした。
この人は一体何を言っているんだろう。ついに頭がおかしくなったのだろうか。
「やっぱり嫌いです」
四十過ぎのおばさんのウィンクに頭が冷めた俺は、真顔でそう呟いていた。
「お母さん!見に来てくれたの?」
早苗が戻ってくると、咲子さんは「もちろん!応援してるから、頑張って!」とだけ言って、保護者たちの集団の中へと帰っていった。
「ねえ、お母さんと何を話してたの?」
早苗がそう言って首を傾げる。
「俺が寂しそうに見えたから話しかけに来たんだってさ。特に何も話してないぞ」
「ほんとに〜?」
「な、何を疑ってるんだよ……」
もしかして、好きとか嫌いとかの話が聞かれてたのか?いや、その時はまだグラウンドにいたはずだから、聞こえているわけがない。
「何って……笹倉さんと私のどっちがいい……とか?」
「何だ、そういう事か……」
思わずほっとしてしまう。
「何だって酷いよ!それに、今ほっとしたでしょ!やっぱり怪しい……」
半目でじっと見つめてくる彼女。こいつ、こういう時だけやたら勘が鋭いよな。女の勘ってやつか?
「本当になんでもないって……あっ!笹倉が入場してくるぞ!笹倉、頑張れー!」
「あ、話逸らした!むぅ……」
不満そうな顔をしていた彼女だが、数秒後には笹倉の応援していたということを、ここに記しておこう。
恋敵のことも本気で応援する。やっぱり早苗は良い奴だよな。あの母親から生まれたとは、とても思えない。咲子さんもいい人ではあるんだけど、性格がちょっとな……。
心の中で幼馴染の母親の悪い所を上げているうちに、初めの競技である『100m走』が始まろうとしていた。
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