第64話 二面相女教師は俺に甘えたい
「こ、ここって……」
俺が薫先生に連れてこられたのは、デパートから徒歩数分の場所にある大きな建物。屋上に掲げられた巨大な看板には、『HOTEL』と書かれており、『H』の文字だけがやたら強調されている。
健全な男子高校生である俺にはわかる。ここは、高校生が来るような場所ではない。
まだわからない人のためにわかりやすく説明すると、『ピンクのホテル』ってやつだ。
「か、薫……?どうしてここに連れてきたんですかね?」
俺が恐る恐る聞くと、彼女は疑いようもない満面の笑みを浮かべて言った。
「『休みたい』って言ったじゃない♪」
「そういう意味じゃねぇよ!」
俺は純粋な意味で休ませて欲しいとお願いしたつもりだったんだが、彼女はその解釈をねじまげてしまったらしい。
いや、『ねぇねぇ、お姉さん。ちょっとそこで休んでいかない?何もしないからさ〜』ってやつとは訳が違うんだよ。俺の休みたいはガチの休みたいなんだよ……。
「じゃあ、チェックインしてくるね〜♪」
「させねぇよ?」
危ないホテルに踏み込もうとする彼女の襟首を掴んで、なんとか強引に引き止める。休みたいってのに、余計に疲れさせやがって……。
俺は、勘違い二面相女教師の額に強めの一撃をお見舞して正気に戻させると、デパートまで戻り、その一角にあるカフェでゆっくりすることにした。
適当な席に座り、注文したりんごジュース飲みながら、薫先生が口に運ぶカップに目を向ける。
「先生はブラックで飲む人なんですね」
彼女が注文したのはコーヒー。何度か口元に運んでいるが、砂糖を入れる様子は見らなかった。
「ええ、一応大人の女だもの」
そう言ってドヤ顔をする彼女は、果たして大人と言っていいのだろうか……。
「でも、ブラックで飲める人ってかっこいいですよね。俺、そういうのはどうも苦手で……」
俺がそんな言葉を零すと、薫先生は手に持ったカップと俺の顔を交互に見た。そして、何かを思いついたかのように頷くと、
「じゃあ、今日で飲めるようになりましょう!」
そう言ってカップを差し出してきた。
「いや、それは遠慮しときます……」
俺は反射的に拒絶の意を示す。だって、彼女が口をつけたカップだぞ?教師と関節キスなんて、さすがに御免だ。
だが、薫先生も引くつもりは無いらしく、カップをグイグイと押し付けてくる。
「私も教師の端くれよ?生徒のあなたをコーヒーが飲める立派な大人に成長させたいの!」
いや、こんなことで教師面されても……。
「てか、今日は教師とか生徒とか忘れるんじゃなかったんですか?」
「今だけは先生です!」
「ほんとに自由な人ですね……」
俺はため息をつきながら、渋々コーヒーを受け取る。
「ゆっくりでもいいから、先ず一口飲んで見ましょうね?」
そう言って撫でてくる薫先生に、どこかバカにされているような気もするが、俺は言われた通りにカップを口元に運ぶ。
「全部飲まなくてもいいから、できるところまで頑張ってみよっか」
この人、高校教師よりも幼稚園の先生の方が向いているんじゃないか?そう思ってしまうほどの甘々ボイス。俺はその声に促されるままに、コーヒーを口に含んだ。
次の瞬間、俺は想像と現実のズレに首を傾げる。苦いと思っていたはずのコーヒーが、とてつもなく甘いのだ。
「……って、これ砂糖入ってますよね!?」
思わず声が大きくなってしまう。だが、その質問は図星だったようで――――――――。
「あれ、バレちゃった?てへっ♪」
彼女はグーにした手を自分の頭にコツン。少し首を傾げて舌をペロリ。いわゆる『てへぺろ』というやつだ。
「完全に騙されてましたよ……」
ブラックコーヒーの飲める大人の女性。本来のイメージに沿った部分もあるんだな……と感心してみれば、裏切られたような気分だ。
そう言えば、この店のメニューにどうしてわざわざ『コーヒー(砂糖なし)』と『コーヒー(砂糖入り)』が表記されているのかを不思議に思っていたんだった……。
彼女はメニューを指差して注文したから、俺はどっちを頼んだのか分からなかったのだ。
「ふふ♪でもね、知りたかったことは知れたわよ?」
「知りたかったこと?なんですかそれ」
俺が軽く睨みながら聞くと、薫先生は満面の笑みで答えた。
「間接キスをする時の男の子の反応♪」
「……」
俺は思わず黙ってしまう。てか、何に役立つんだよ、その情報。
「私はずっと左手でカップを持って飲んでいたから、あなたは右手で持ち手を握れば、自然と間接キスは避けられたのにね〜♪」
そうだった……。少し考えればわかる事だったはずなのに、そこまで頭が回らなかった……。
俺の心情を知ってか知らずしてか、薫先生はからかうような口調で俺に言う。
「もしかして……あえて間接キスしたのかな?ふふ♪先生とそんなにちゅーしたかったの?」
…………うざっ。
「そんなわけないですから。俺は笹倉一途で―――――――」
薫先生は言葉を遮るように、俺の唇に指を当ててきた。そして、小さく微笑むと、俺にしか聞こえないような小さな声で囁いた。
「私、まだ誰ともキスしたことないのよ?男の子との触れ合い方、教えてくれない……?」
小首を傾げる彼女の瞳は真っ直ぐに俺を見つめていて、無意識に視線を重ねてしまう。
「え、えっと……」
突然のアプローチに緊張度MAXになった俺は、ついどもってしまう。
だが、それを見た薫先生は、耐えきれないと言わんばかりに吹き出した。
「ぷっ!あはは!関ヶ谷くんの反応いいわね!すごく純粋で、見ていて飽きないし!」
「ば、バカにしてるんですか……」
一瞬でも本気で悩んだ自分が馬鹿らしい……。恥ずかしさで顔が熱くなっているのを隠すように、俺はそっぽを向いた。
「あ……ごめんなさいね?先生、ちょっとからかいすぎちゃったかしら……」
先生は申し訳なさそうな声で少し頭を下げる。
「私、男の子との接し方がわからないから、色々と受け入れてくれるあなたに甘えちゃったのね……」
「先生……」
彼女はさらに深く頭を下げた。
「関ヶ谷くんとの会話が楽しかったから……つい、あなたに負荷をかけちゃっていることにも気付かないで……本当にごめんなさい……」
目の前の先生は、机にぶつかってしまいそうなほど頭を下げている。教師といえど女性。俺もこんなことをさせておいて、心が痛まないほど非常な人間ではないつもりだ。
「……俺の方こそ、中途半端な受け入れ方をしてしまったから、結果的に先生を傷つけることになってしまったんです。ごめんなさい!」
膝に手を置いて、必死に頭を下げる。すぐに返事は返ってこないけれど、それでも頭を下げ続けた。
しばらくすると、優しく髪の毛に触れられる感覚が伝わってくる。
「関ヶ谷くんはいい子ね……」
顔をあげると、俺の視界には笑顔で涙を流している薫先生の姿が映る。
どうして泣いているのかはわからなかったけれど、彼女の涙が乾くまで、俺がその優しさを拒むことはなかった。
カフェを出ると、薫先生はスッキリしたという顔で俺の方を振り返った。
「今日は本当にありがとうね!おかげで色々と学べましたっ♪」
「それなら良かったです」
特に何かを教えたつもりは無いが、満足しているのなら文句はない。彼女とは駅で別れ、俺はそのまま小森宅に帰った。
家に着くと、案の定俺の帰りを待ちわびていたらしい早苗に、どこに行っていたのかと問い詰められた。
あまりにもしつこいので、帰りにコンビニで買ったシュークリームを握らせてやると、満足そうに頬張り初め、それ以降、行き先について訪ねてくることは無かった。
本当に単純な奴だ……おかげで助かったけど。
翌日、学校に行くと、薫先生はいつも通りの厳しい先生に戻っていた。彼女によると、厳しい先生の印象を強く残しすぎて、いきなりのキャラチェンは気まずくて出来なかったらしい。
昨日のお出かけに意味はあったのか甚だ疑問だが、正直楽しかったのでそこは触れないでおいた。
これからしばらく、みんなの前では厳しくてクールな女教師を演じ続けることになりそうな彼女だが、俺は時々二人きりの場所で、素の彼女の話や悩みを聞く『相談役』を担うことになったのだった。
彼女がいつか素の自分を出せるように、手を差し伸べてあげるのだ。
……って、これ絶対生徒の役目ではないよな……。
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