第63話 二面相女教師は俺とお出かけがしたい

「……眠っ」

 こんなにも目覚めの悪い日曜日は久しぶりだ。

 寝惚け眼を擦りながらベッドから起き上がった俺は、大きなあくびをひとつしてから、松葉杖を手にしてベッドから下りる。

 眠っている早苗を起こさないように、そっと外出用の服に着替え、部屋を出る。そのまま、音を立てないようにそっと階段を降りた。そして慎重に靴を履く。

「あら?碧斗君、お出かけ?」

 突然開いた扉から現れた咲子さんに呼び止められ、思わず肩が跳ねた。

「は、はい!ちょっと買い物に……」

 咲子さんは昨晩、原稿の締切に追われていたらしく、おそらく徹夜したのだろう。目の下のクマとボサボサの髪が、その苦労を物語っていた。

「そうなのね。危ないから早苗も連れて行けば……」

「いえ!一人で大丈夫です!」

 彼女の言葉を遮るように、俺は家を飛び出した。

「いってらっしゃい……?」

 咲子さんの困ったような声を背中に受けながら。



 大丈夫とは言ったものの、駅までの道のりはなかなかに辛かった。怪我したての頃よりかは大分マシにはなっているのだが、二本足でスタスタ歩けるほど幸せなことはない。早く治したいものだ。

 心の中でそう呟きながら、俺は予定通りの電車に乗り込んだ。

 俺がここまでして一人で来たのはもちろん、薫先生との約束のためだ。絶対に一人で来るようにと言われているのだから、早苗を連れてくるなんて有り得ないのだ。

 根本的な話、教師と生徒が休日に2人でお出かけをしているなんてことを知られたら、どっちもタダでは済まない。これは完全に2人だけが知るものでなくてはならないのだ。だからこそ、今日の予定は完璧にこなすことが必須条件というわけだ。

 俺は電車に揺られながら、密かにニヤついていた。

 楽しみだなぁ、笹倉のバストサイズ……うへへ♪



 最寄りから数駅程度の場所で降り、集合場所である広場の銅像前に立つ。スマホで時間を確認すれば約束の15分前。薫先生はまだ来ていないらしい。

 俺は来るまで足を休めようと、近くにあったベンチに腰掛けた。

 それからきっちり15分後、彼女は予定通りの時間に姿を現した。だが、その姿に俺は一瞬目を疑う。

 いつもはぴっちりとしたスーツ姿の彼女が、今日は白のTシャツに黒色で膝上までの短いスカートとのコントラスト、その上から膝下まである長いデニムコートを羽織るという、普段の彼女のイメージとは真逆な服装で現れたからだ。

 服装に合わせたのか、普段ストレートの紫がかった黒髪は後ろでまとめられていた。いわゆるポニーテールだ。しかも、あえて少しだけ髪を残すタイプのやつで、その破壊力は抜群。

 学校で見る時よりも、いくらか若く見える。元々若いんだけど。

「ど、どう……?」

 首を傾げて聞いてくる薫先生は、まさに彼氏の反応を伺う可愛い彼女。

「似合ってますよ」

 もう、こう答えるしかないだろう。本当は似合ってるんですけど……。

 俺の返事に満足したのか、彼女は頬を緩ませる。何気にこの純粋な笑顔は初めて見たかもしれない。

「私、普段は化粧なんてほとんどしないんだけど……今日は少し頑張ったのよ?」

 そう言って見つめてくる彼女の顔を見てみれば、確かにいつもよりも優しそうに見える。キリッとした表情ではないのが一番の理由だろうが、ここまで雰囲気を変えてしまえる化粧の凄さを思い知らされてしまう。

 てか、化粧無しであの顔って……美人すぎやしないか?

 でも、ここまで雰囲気が違うと、学校の奴らに会っても気付かれることはなさそうだ。そんなにまじまじと見つめる人もいないだろうし。

「じゃあ行きましょう!」

 笑顔でそう言って、俺と共に歩き始める薫先生。

 何をするのかはまだ聞いていないのだが、一体どこに向かうのだろうか……。




「関ヶ谷くんは何か見たいものはあるかしら?」

 壁に並べられたポスターを眺めながら、薫先生はそう聞いてきた。

 ここはデパートの最上階、映画館エリア。なぜ男子について知るのに映画館に来たのかは分からないが、彼女はノリノリらしく、聞こうにも聞けないでいた。

「いや、特には……あの、薫先生?」

「何かしら?」

 俺は、さっきから1枚のポスターを見つめて、離れようとしない彼女の様子を見て察した。

「それが見たいんですか?」

 そう聞くと、少し恥ずかしそうに頷いて、「ダメ……?」と首を傾げてくる。

「いや、ダメとかじゃないんですけど……」

 彼女が見たがっている映画というのが、恋愛映画なのだ。どう考えても、教師と生徒の組み合わせで見るようなものでは無い。

「ほら、こういうのって恋人同士で見に来るものじゃないですか。だから、何か違うかなって……」

 俺がそう言って諦めさせようとするも、薫先生は首を横に振る。そして、突然鋭い目付きになると、突き刺さるような声で俺に聞いてきた。

「あなたは、私達が恋人じゃないことが問題だと言ってるのかしら?」

「いや、そうじゃなくて……それ以前に教師と生徒という関係だからまずいのであって……」

 慌てて弁解しようとすると、彼女は口元を歪ませ、俺の耳元に顔を寄せてきた。

「なら、今だけは忘れて?先生じゃなくて、一人の女として見て欲しいの」

 キリッとした声から甘い声に。そのギャップに、思わずドキッとしてしまう。さすがは二面相女教師……存分に武器を振るってくる。

「……わかりましたよ、薫先生」

「あ、その呼び方もダメよ?薫って呼び捨てにして。役にはなりきらないと♪」

 そう言いながら、チッチッと人差し指を振る薫先生。さすがに、いきなりの呼び捨てには抵抗がある。だが、キラキラとした目を向けてくる彼女を前にして、断ることは出来なかった。

「か、薫……?」

「そう♪よく出来ました♪」

 呼び捨てされたのがそんなに嬉しいのか、俺の頭をわしゃわしゃと撫で回してくる彼女。

「クソうぜぇ!何歳だと思ってんだよ!」

「んー、5ちゃい?」

「バカにしてんのか!てか、いつまで撫でてんだ!そろそろ離せよ!」

 そう言って彼女の手から逃げ出すも、本当はちょっと気持ちよかったりするんだけど……。



 結局、薫先生に言い負かされて恋愛映画を見ることになったのだが、彼女は終始、俺のほうをずっと見ていた。

 いちいちメモを取っていたことから、どうやら『恋愛映画を見る男子』について学んでいたらしい。でも、ずっと見られているせいで、全く映画に集中できなかったんだよな……。

 それでも薫先生は満足したようで、映画が終わるなりすぐに「次の場所に行きましょう!」と俺の手を掴んで、グイグイと引っ張ってきた。この人、本当に男子との接し方が分かってないな……。

「てか、さりげなく手を握ってくるなよ!」

 本当に何を考えているのか読めない人だ……。


 俺たちが次に向かったのは、映画館のある階の一つ下の階、その大部分を占めるゲームセンターだった。

「私、クレーンゲームってしたことないのよね」

 クレーンゲームのガラスの中を覗きながら薫先生が呟いた。

「じゃあ、やってみますか?」

 俺がそう聞くと、彼女は首を横に振る。

「んー、まずはお手本を見せて欲しいかな……」

 おねがい!とでも言いたげな表情で見つめてくる彼女に根負けし、俺は適当な台に百円玉を投入した。

 正直、俺も得意という訳では無いし、取れるかどうかは運次第なんだよな。確かクレーンゲーム研究家みたいな人が、『クレーンゲームは10回に1回程度の確率でアームが強くなり、景品を取りやすくなる。つまり、1000円かければ大抵は取れるのだよ。まあ、もっともな話、取りたいという気持ちがなければ取れないのだけれどね。はっはっは!』とかなんとか言っていた気がする。

 クレーンゲームという、日常生活ではほぼ関わる機会のないものを研究して何になるのか、という疑問は置いておくとして、普通の高校生がクレーンゲームに易々と1000円をかけられるかと聞かれれば、答えはNOだ。

 俺だって母親から送られてくる生活費をなんとか工面して小遣いを貯めているのだから、こんな所で浪費する気なんて起きない。ただでさえ、この前の海での宿泊代で削られているのだから。

 とりあえず俺が言いたいのは、今投入した百円玉は、俺にとって大事なものだということだ。決して無駄と呼べる方法で消費したくはないし、これ以上の浪費も避けたいところだ。


 そんなことを考えながらクレーンを操作していると、アームは1度掴んだはずのクマのぬいぐるみを、ゲット寸前で落としてしまった。

「ダメですね、諦めましょう」

 俺が溜息をつきながらそう言うと、薫先生は不満そうにほっぺを膨らませた。

「まだ一回だよ?諦めるの早くない?」

 彼女はぶーぶーと抗議してくる。いい大人が何してんだよ。

 ただ、可愛いのは確かなので、俺も無理に投げ出すことが出来ず……。

「わかりました、もう一回だけですからね?」

 結局甘やかしてしまった。



「関ヶ谷くん、ありがとうっ!」

 その後、700円を消費したところで、やっとクマのぬいぐるみをガラスの檻から脱出させることが出来た。クマはそのまま、薫先生の腕の中という幸せな監獄へと身柄送検されることとなった。

 クマもやわらかい、薫先生もやわら……って何言ってんだろうな。彼女のビックなバストに抱きしめられるクマを密かに羨みつつ、物寂しくなった財布の中身を見つめて、ため息をついた。

 でも、ぬいぐるみを抱える彼女の嬉しそうな笑顔は、しばらく忘れられないだろうな……。




 ゲームセンターを後にして、次にどこに行こうかと言うところで、俺は足に痛みを感じた。

「あ、あの……薫。足が痛いから休みたいんですけど……」

 ゲームセンターではずっと立ちっぱなしだったし、映画館でも見つめられ続けて、で気を張りっぱなしだったからな。どこかでのんびりしてみるのもいいと思う。

「あ、ごめんなさいね。やっぱり歩くの辛い?」

 デパート内の地図を見ていた彼女が、申し訳なさそうに聞いてくる。

「少しだけなら大丈夫なんですけど、やっぱりずっとは負担が……」

 薫先生は俺の言葉を聞くと、「そう……」と顎に手を当てて何かを考え始めた。この姿だけでも絵になるな……。

 写真にでも納めておきたい、なんてことを思っていると、彼女は何かを思いついたように顔を上げた。

「ゆっくり休める場所を知ってるわ!一緒に行きましょう!」

 そう言いながら見せた、彼女の活き活きとした笑顔。俺はそれを見て、何故か嫌な予感がした。

 その予感が確信に変わったのは、デパートを出てしばらく歩いた場所にある、『休める場所』に着いてからのことだった。

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