第62話 二面相女教師は俺に頼みたい

 大玉転がしの件から2日後のこと。

 俺は、用事があると薫先生に呼び出しをくらっていた。少々長引くとのことで、早苗と笹倉には先に帰ってもらったのだが、一体なんの用事だろう。

 まさか、反省文の書き直しとかじゃないだろうな。それは勘弁してくれよ……。

 自分で想像して自分で落ち込むという、なんとも情けないことをした俺は、溜息をつきながらノックをしようと、職員室のドアに手を伸ばした。

「関ヶ谷くん、こっちよ」

 名前を呼ばれ、声の方を向くと、曲がり角から薫先生が手招きをしていた。どうやら、着いてこいとのことらしい。

 どうして職員室じゃないのかという疑問を抱きつつ、俺は薫先生に近付く。彼女は「来なさい」とだけ言うと、体を反転してスタスタと歩いていってしまった。

「なんなんだ……」

 俺は不満を漏らしながらも、彼女を追いかける。


 薫先生はとある教室へと入っていった。そこは、俺の教室からすぐ近くにある空き教室。

「どうしてここに連れてきたんですか?」

 そう聞くと、彼女はいつも通りの鋭い目付きのまま言った。

「他の人には知られたくないからよ。今からあなたと話をすることも、これから話す内容も」

 なるほど。つまり、これから聞くことは絶対に誰にも話すなということだろう。

 俺も人間だから、内容によってはうっかり口にしてしまうかもしれない。だが、そんなことを素直にいえば、彼女は話すのをやめてしまうだろう。

 正直、ここまで回りくどいことまでして話したい内容というのが、とてつもなく気になっている。聞かなきゃ朝も起きれないくらいだ。

 この際、『ぐっすり寝てんじゃねぇか!』というツッコミは隅っこに置いておくとして、何としてでも話を聞かなければならない。

「はい!誰にも言わないので安心してください!」

 俺は爽やかな少年を演じて、そう宣言した。嘘も方便って言うだろ?あれ、意味違うっけ?



 薫先生が「とりあえず座りましょう」と言うので、教室後方に固められている机の中から椅子を2つ引っ張り出す。向かい合うように並べた椅子の一方に座ると、彼女ももう一方に腰を下ろした。

「……で、何の用ですか?」

 単刀直入に質問すれば、薫先生は「そ、それは……」と彼女らしくない反応を見せた。余程話しづらいことらしい。あれほど厳しい先生が、口にするのを躊躇ってしまうほどなのだから。

 そのまま、しばらくの間沈黙が流れる。窓の外からは、部活動に励む少年少女たちの声が聞こえてきていた、

 ……いや、すごく気まずいんですけど!?

 俺は薫先生の方をチラチラと見ながら、心の中でため息をついた。

 彼女は正直、美人でスタイルも良くて、魅力的な女性だ。普通の男子生徒なら、二人きりで静かな教室の中、向かい合って座るというシチュエーションだけで、頭のネジが数本吹っ飛んでしまうかもしれない。

 俺だって、笹倉や早苗の過剰なアタックを受けることで、女子の色気に対する免疫がついていなければ、ネジどころか部品の損失くらいは有り得た。

(偽)彼女と幼馴染には感謝しないとな。

 そんなことを考えていると、俺はふとあることに気がついた。

 薫先生は、職員室で話す時、生徒たちが授業中に問題を解いている時、とりあえず座る時は必ずと言っていいほど、脚を組んでいるのだ。

 だが、目の前の彼女は足を組んでいない。こちらを見つめる瞳も、いつもより鋭さを失っているように見える。どこか元気のない、弱々しい……そんな雰囲気だった。

「先生、そんなに深刻な何かを抱えているんですか?」

 俺は、心の内から心配という感情が湧き上がってくるのを感じ、思わずそう口にしていた。

 それを聞いた先生は、急かされたと感じたのか、背筋を伸ばし、膝の上で手を重ね、ピシッとした姿で、叫ぶように言った。


「わ、私に……男を教えてくれないかしら!」


「……は?」

 俺は思わず腑抜けた声を出してしまう。

「そうよね、ダメに決まってるわよね。ごめんなさい、このことは忘れてちょうだい」

「いや、待てよ!」

 早口でそう言って逃げ出そうとする彼女をなんとか引き止めて、もう一度椅子に座らせる。この際、タメ口とか敬語とかはどうでもいい。

「男を教えるってどういう意味ですか」

「そ、それは……」

「また躊躇うんですか?爆弾発言かましたんですから、さっさと全部吐いちゃってくださいよ」

 普段の彼女からは想像できないほどオドオドした姿。それに対する驚きと、話が前に進まない煩わしさが混ざって、強い口調になってしまう。

「ご、ごめんなさい……。あのね、私が以前は女子高の教師をしていたというのは、ホームルームの時に話したわよね?」

 俺は頷く。彼女が担任になってすぐのホームルームで、自己紹介の時にそう言っていた。だが、それがどうかしたのだろうか。

「私、中学高校と女子校で、大学のサークルも女子だけ。勤務先の学校も女子高だったから、男子と接する機会が無くて……」

 なるほど、大体の事情は読めてきたぞ。

「いきなり男子のいる学校に務めることになって、戸惑っているんですね?」

 俺の言葉に、薫先生はゆっくりと頷いた。

「上手く話せないというか、話し方がわからないのよ。だから、舐められないように厳しい先生を演じているのだけれど……」

 さすがにそこまでは予想外だった。つまり、普段の厳しくて怖い女教師は彼女の偽の姿で、本当は弱々しくて、守ってあげたくなるような美人教師だったと……。

 これ、みんなが知ったら大変なことになるだろうな。

「事情はわかりました。でも、どうして俺なんですか?他にも男子は沢山いますよね?」

 俺の質問に、薫先生は迷うことなく言葉を返す。

「あなたが学校に来て1番初めに話した男の子だったからよ」

 そう言えば、エレベーターの中で話したんだっけ。一方的に叱られていただけのような気もするけど。

 友達作りだって、初めに話した奴だからってケースも多いらしいし、ちゃんと理由があるなら納得だ。

「あと、怪我をしているあなたなら、逃げようにも逃げられないでしょう?その方が都合がいいのよね」

「……やっぱり納得できねぇ」

 断る権利すら与えてくれないとは、とんだダメ教師だ。

 俺は、ため息を吐きながら彼女を見た。

 健全な身体を持つ彼女から逃げ切ることは、普通に考えてほぼ不可能だろう。この時間帯、職員室前にならまだ居るだろうが、教室のある階に残っている生徒は数少ない。そういうことも考慮した上での空き教室だったのかもしれないな。俺はまんまと彼女の手のひらの上で踊らされていたのだ。

 ああ、俺はこれから一体どうなってしまうのだろうか……。

 口元を歪ませて詰め寄ってくる女教師を虚ろな目で見つめながら、俺はもう一度深いため息をついた。




 その日の夜、RINEに一通のメッセージが届いた。差出人は『柴崎 薫』。

 あの後、半強制的にRINEの交換をさせられ、今夜メッセージを送るからその内容に従って欲しい、と言われたのだ。

 一体どんなぶっ飛んだ要求をされるのかと、震えながら内容を確認した俺は、思わず「は?」という声を漏らす。

 その内容は以下の通りだ。


『関ヶ谷くん♡次の日曜日に一緒にお出かけをしましょう♡男子のことを理解するには、1日一緒に過ごしてみるのがいいと思うの♡お願いね♡』


 彼女らしくない『♡』や言葉遣い。読み終わってから寒気がした。

 ていうか、これじゃまるでデートじゃないか……。教師とデート紛いの行為をしたとなれば、タダじゃ済まないぞ。これはなんとしてでも断らなければ……。

『すみません。その日は既に用事が入っていて、一緒にお出かけというのは―――――――――』

 そこまで入力したところで、薫先生から2通目が送られてきた。

『断ったら分かってるわよね?あなたの生活態度についての成績を握っているのは……わ・た・し♡』

 この二面相女教師、どこまで行ってもクズだな!

 俺は思わず頭を抱えてしまう。断れば成績を下げるぞと言われているのだ。これは脅迫行為。訴えれば確実に勝てるだろう。

 だが、次に送られてきた一文を見て、俺は彼女に従うことを決意した。

『来てくれたら、今年の身体測定で測った笹倉 彩葉のバストサイズを教えちゃう♡』

 これを言われたら、従うしかないだろ?男ならわかってくれるはずだ。好きな人のバストサイズが、どれほどのものかを知りたい気持ちが。

『行かせていただきます。』

 そう返信して、その日は眠りについた。

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