第59話 俺はフードさんと帰りたい

 夜の学校で七不思議を再現したあの日から数日が経った頃。俺は新担任となった薫先生に、反省文を提出しに職員室へとやってきていた。

 放課後ということもあり、部活の顧問をしている先生達の席は揃って空席で、特に薫先生の座っている高二担任のエリアには、もう彼女しか残っていない。

「失礼します」と挨拶をしたと同時に向けられた鋭い視線に、ほんの少し怯えながら、俺は薫先生へと近付く。

「こ、これが例のブツです……」

「変な言い方はやめなさい。ただの反省文よ」

 差し出された紙をひったくるように受け取った彼女は、椅子に座ったまま脚を組み、文字の上に視線を走らせる。黒いタイトスカートを履いていることもあって、無意識のうちに布地の黒と肌の白の境界線へと視線がいってしまう。

 彼女に気付かれる前に目を逸らすことが出来たおかげで、怒られずに済んだが、この色気にこの性格は、もう男を殺すために生まれてきたと言っても過言ではないんじゃないだろうか。

 そんなことを考えているうちに、内容に目を通し終わったらしく、薫先生は小さくため息をついて俺の顔を見上げた。

「一応はこれで大丈夫よ。でも、次は反省文どころでは済まないから、覚悟しておきなさい」

「は、はい!ありがとうございました!失礼します!」

 俺は綺麗な90度のお辞儀をして、カクカクとした動きで職員室を後にした。背中側で職員室の扉を閉めると、緊張が解けてその場に座り込んでしまう。そんな俺の顔を覗き込んでくる者がいた。

「関ヶ谷先輩……大丈夫ですか?」

 深く被ったフードで目元を隠している奏操さんだ。反省文を出しに行こうと職員室に向かっていた時に、廊下でばったりと会ったのだが、俺が握っているものが反省文だと知ると、「私のせいでもありますから……御一緒させてください!」と申し出てくれたのだ。結局、直前で怖くなってしまったらしく、外で待ってもらってたんだけど。

 でも、職員室を出てから誰かが待ってくれているかどうかだけでも、その後の気分は大きく左右されるからな。こうやって「大丈夫?」と聞いてくれるだけで、俺の心は救われる。

「怖い先生なんですか?」

「ああ、結構目付きが鋭くてな……」

 思い出すだけでも背筋が伸びる。あの人が担任で、これから毎日顔を合わさないといけないと思うと、学校が憂鬱になりそうだ。



 今日は笹倉は唯奈と、早苗は咲子さんと、一緒に行かなくてはいけない場所があるらしく、帰り道も小森宅に帰ってからもぼっちの予定だったのだが、奏操さんが一緒に帰ってくれることになった。家までは少し遠回りになるらしいのだが、俺の怪我が心配なんだとか。優しさが傷、じゃなくて心に染みる……。

 ちなみに、千鶴は女装グッズを買いに行くんだとか。みんな用事で忙しいんだな。

 密かに心を震わせていると、ふと、隣を歩く奏操さんが俺の足をじっと見つめていることに気が付いた。

「どうかした?」

 俺がそう聞くと、彼女は少し肩をビクッとさせてて、恐る恐ると言った風に聞いてきた。

「ど、どうして怪我されたのかなぁ……って思って……」

 ああ、そうか。彼女はこの怪我のことを何も知らないんだもんな。学校に忍び込んだ日、何も聞かなかったのは、怖さでこちらまで頭が回らなかったからだろう。冷静でいる今だからこそ、こんな小さな疑問も浮かんでくる。

 ただ、真面目に返すのも違うような気がする。せっかく2人で帰っているのだから、奏操さんに心を開いてもらいたい。

 そう考えた俺は、「この怪我はな……」と彼女の方を見て、そしてここから見える1番高いビルを指差して言った。

「あそこから飛び降りたらヒビが入ったんだよ」

「んぇっ!?と、飛び降りたんですか!?」

「ああ、ピョーンってな」

 俺の言葉を鵜呑みにしたらしい彼女は、ビルと俺の足を交互に見て、信じられないという顔をした。

「あんなところから飛び降りたのにヒビだけで済むなんて……関ヶ谷先輩の骨は丈夫なんですね!」

「んなわけあるかい」

 完全に信じて、目をキラキラとさせて見上げてくる彼女の額をペちっと叩いてやる。

「う、嘘なんですか?」

 ぽかんとした表情でそう聞いてくる彼女に、俺は大きく頷いてみせる。

「な、なんだ……。危うく私も試してみるところでした……結城先輩を使って」

「人を使うな、人を」

 自白しておいてよかった……。危うく死人が出るところだったよ。それにしても、ここまで信じきるというのは、純粋な証拠ではあるが、将来が心配になる。世間の黒いところをもう少し知ってもらわないといけないかもしれないな。明日にでも、結城に頼んでおくか。

「あ、結城と言えば……オカ研の新聞の方はどうだ?」

 俺は今朝、結城から新聞が出来上がったという報告を受けた。今日の昼休みから配り始める予定だと。俺のクラスでもチラホラ手にしている奴がいたが、好評なのかどうかまでは聞いていないのだ。

「あ、新聞ですか……それが……」

 言い淀んでいることから、大体の察しはついた。おそらく、あまりいいようには言われなかったのだろう。まあ、そうだよな……いくら全力でやったとはいえ、初めて書いた新聞が売れるわけ―――――。

「『来月号も頼む』と校長先生から直々に頼まれました……」

「そうかそうか、やっぱりな……って、まじか!?」

「はい!まじです!」

 校長から直々にってことは、廃部の危機は免れたってことだ。でも、新聞はそこまで話題に上がっていなかったはず……。

「実は、校長先生も昔はオカルト研究会の部員だったらしいのです。新聞を見て、『懐かしいなぁ……』と涙を流されていました」

「ああ、なるほど……」

 つまり、校長のおかげって訳か。なら、まだまだ油断は出来ないな。いつ気が変わるかわからない。そうなる前に対策は練っておくべきだろう。

「来月号も気合い入れていくぞ!」

「はいです!」

 俺の差し出した手を、彼女は両手で握り、ぐっと気合いを込める。オカ研の戦いはまだまだ始まったばかりだ……なんて言ってみたら盛り上がるだろうか。



 そこから少し歩き、小森宅の前で奏操さんと向き合う。

「奏操さん、俺はここだから……」

「ここが……でも、表札に小森って書いてありますよ?」

「ああ、本当はもうひとつ隣の家なんだが、怪我が治るまではこっちで面倒を見てもらってるんだ」

 俺がそう言うと、彼女は「へぇ〜」と意味深に俺の目を見つめてくる。

「お相手は女の子ですか?」

「ああ、一応な」

「そうなんですね……ふふっ♪」

 奏操さんはフードで顔を隠しながら小さく笑った。

「どうかしたのか?」

「いえ、なんでもないです♪」

 なんでもないといいつつも、どこか楽しそうに見えるのは、女の子が恋バナ的なのを好むからだろうか。奏操さんも例外ではないというわけだ。

「では、私はこれで失礼しますね」

 彼女はフードを外して綺麗なお辞儀をし、背中を向けてスタスタと歩いていく。

「ああ、奏操さん。また明日!」

 俺が手を振りながらその背中を見送っていると、ふと彼女がこちらを振り返った。そして、スタスタとこちらへ戻ってくる。

「ん?なにか忘れ物か?」

 目の前まで来た奏操さんに、俺はそう問いかける。だが、彼女は首を横に振った。

「忘れ物というか……伝え忘れていた事なのですが……」

「ん?なんだ?」

「えっと……」

 余程伝えづらいことなのだろうか。目の前の彼女は口をもごもごさせ、息を吸っては吐きを繰り返している。

 だが、やっと踏ん切りが着いたらしく、俺の目から視線を逸らして、俯きがちに呟いた。

「あの……奏操さんっていう呼び方、やめてもらえませんか……?出来れば魅音って呼んでください……」

 突然の名前呼びリクエスト。俺も少し戸惑ったが、すぐにその理由を訪ねてみる。

「どうしてだ?」

「えっと……『そうそう』と聞くと、みんな三国志を思い浮かべるみたいで……。私は見ての通り弱いですし、そんな大層な呼び方をされるほどではないので……」

 つまり、強そうな名前で呼ばれるのがおこがましいと……。そんなことまで気にするなんて、根っから優しい子なんだろうな。それとも、ただネガティブなだけだろうか。

 どちらにしても、彼女自身が嫌だというのなら、無理に苗字呼びする理由もないだろう。

「わかった。これからは魅音さんって呼ぶことにする」

「あ、いや、出来れば呼び捨てで……」

「いや、そこまで来るといっそめんどくさいな!もっと自分に自信を持て!魅音!」

「は、はい!……って、結局呼び捨てしてくれるんですね……ありがとうございます♪」

 魅音はそう言って嬉しそうに笑うと、もう一度頭を下げて帰っていった。元々陸上部だったから、暗い性格という訳では無いのだろうけど、フードで隠れてしまうのが勿体ないと思うくらいに、純粋で綺麗な笑顔だった。

 俺は、彼女の背中が見えなくなるまで見送り、一つため息をついて、ポケットに手を突っ込んで、早苗から預かってきた鍵を取り出す。

 鍵穴に鍵を差し込んで回し、鍵が開く音が聞こえてからドアノブを回す。

「ただいま〜」

 誰もいないとわかっていても、つい、いつもの癖で挨拶をしてしまう。母さんと離れて暮らすようになってからの一年半程、ずっと染み付いて取れることなく残り続けている習慣だ。

 松葉杖を立てかけ、靴を脱ごうと玄関に腰掛ける。

 電気のついていない廊下が、さらに自分の孤独感を煽ってくる。



 ……だが、その寂しさを破る声が聞こえてきた。



「「「「「おかえりなさい!」」」」」

「…………え?」

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