第50話 俺は新学期の学校に行きたい

 片足が使えないというのは、思ったよりも不便で、歩くには慣れてきていても、階段を上るのはまだ難しかった。

 幸い、怪我人であればエレベーターを使ってもいいということになっている。他の人には許されていないことをするということに、少しワクワク、少しドキドキしつつ、痛みには勝てないということで、文明の進化に甘えさせてもらうことにした。付き添いでも元気な人は乗ってはいけないというルールがあるので、階段前で笹倉とは別れる。

 俺は何となく、上っていく彼女の後ろ姿を眺めていた。

 そういえば学校の階段って、上に立っても普通にしていればスカートの中が見えないような角度と長さに作られているんだっけ。確かに覗けそうで覗けないよな……。

 そんなことを考えていたら、顔に制定靴が飛んできた。「何覗こうとしてるのよ!」という羞恥の声と共に。

 すみません、笹倉さん。スカートの裾を押さえるその仕草、逆にエロいです。



 笹倉に靴を返した俺は、登校してくる生徒達の進む方向から外れ、階段横のエレベーターのボタンを押した。それほど待つことなく、扉が開かれる。

「……」

 エレベーターの中には先客がいた。先生……なのだろうか。その姿からは、授業をしている姿は少し想像できない。

 ピチッとしたレディーススーツに、窮屈そうに包まれた胸。ヒップのラインをなぞるタイトスカートから伸びる、タイツに包まれた細くて長い脚には目を奪われてしまう。

「貴方、人の胸や足をあまり見るものでは無いわよ」

 彼女はそう言って、鋭い目で俺を見据えた。たったそれだけで、ネズミくらいなら追い払えそうだと思えてしまうほどの眼力。5秒以上見つめたら、心臓を持っていかれてしまうかもしれない。

「す、すみません……」

 俺は慌てて謝ると、エレベーターに乗り込み、階層を押そうとパネルに手を伸ばす。だが、それは既に光っていた。どうやらこの女性も同じ階で降りるらしい。とりあえず『閉』のボタンを押した。

 エレベーターの扉が閉まり、俺は女性に背を向けて立つ。だが、階層パネル横に取り付けられた金属板に反射して、彼女の姿が見えていた。

 彼女は一見真面目な大人の女性に見えるが、もう一度見てみると、胸のボタンが第二ボタンまで開かれていた。豊満な胸故に、谷間が見えてしまっている。

 視線を下に落とすと、足元は高めの黒いハイヒールに包まれていた。そして髪色は黒めの紫。どこからどう見ても真面目な女性ではない。大人ではあるけど。

 まあ、校則がかなり緩めなこの学校では、金髪がOKなのだから、この髪色がダメかと聞かれれば、ひとえにうんとは言えない。そもそも、先生に校則のようなものがあるのかすら不明なんだけどな。


 なぜ俺がこの女性を先生だと認識したのか。それは、教員証の紐が首にかかっているのが見えたからだ。見えているのは紐だけで、あとは胸の谷間に埋もれてしまっているが、あの赤い紐は間違いないと思う。

 彼女が教師ならば、足元に置いてある箱の中身は恐らくプリントや資料だろう。俺がエレベーターに乗ったのが1階で、彼女は学校の資料室のある地下階から昇ってきた。授業で使うものでも取りに行っていたのだろうか。

「貴方、夏休み中に怪我したの?」

 突然後ろから聞こえた冷たさを感じる声に、俺は自然と背筋が伸びた。後ろに意識しつつも、体が固まってしまって、振り返ることが出来ないまま言葉を返す。

「は、はい。転んで運悪く右足と左手首を……」

「そう。長期休みだと浮かれているからそんなことになるのよ。どうせ女の子にでもうつつを抜かしていたのでしょう?少しは自分に責任を持ちなさい」

「す、すみません……」

 短時間で2度も謝ることになるとは思わなかった。別にうつつを抜かしていた訳では無いが、浮かれていたというのは事実。図星を突かれた俺は、見透かされているような気恥ずかしさで顔が熱くなる。振り向かなくてよかった。


 やけに長く感じたエレベーターの上昇時間。それが終わりを告げる音が聞こえ、扉がゆっくりと開かれる。

「授業、真面目に受けるのよ」

 女性はそう言い残して、コツコツと言う足音と共に去っていった。一体何者だったんだろう、彼女は。



 教室に到着した俺が真っ先に感じたのは、クラスメイト達がこちらに向ける視線の多さだった。誰かが教室に入ってきたら、ちらっと見てしまうのは分かるが、こんなにも見つめられることはなかなかない。

 理由はわかっている。俺が明らかな怪我人だからだろう。そんな視線の雨の中をスタスタと歩いて、近づいてきた笹倉は俺の肩から鞄を受け取る。

「鞄はここにかけておくわね。ほら、座れる?」

 彼女はそう言って机横のフックに鞄をかけた後、椅子を引いてくれた。なんて優しい子なのだろう。

 俺は密かに感動しつつ、有難く椅子に座らせてもらった。笹倉も一つ前の椅子を反転させ、俺と向かい合って座った。そして優しく微笑む。

 そんな笹倉の平然とした姿を見てか、クラスメイト達は続々と元の会話へと戻っていった。あまり注目されるのが好きではない俺も、とりあえず一安心だ。

 だが、そんな俺とは正反対に、注目されまくっている人がいた。塩田だ。

 彼は唯奈に手伝ってもらったおかげで、大胆に体を絞ることに成功。脂肪の下に眠っていたイケメンフェイスを余すことなく披露している。

「塩田くん?本当に?え、信じられなーい!」

「すごいイケメンじゃない?もっと早くダイエットすればよかったのにぃ〜!」

「私も痩せたら美人になるかな?」

「あんたは無理っしょ、夢のまた夢っしょ」

「その言い方ムカつくぅー!あんたこそそんなお腹じゃ彼氏できないよ!」

「あ、このお腹?赤ちゃんいるから痩せるとかじゃないんだよね〜」

「「「え?」」」

 塩田、クラスメイト(女1)、それと話を盗み聞きしていた俺は、同時に同じ反応を見せた。ちょっと出てるとは思ったが、まさか赤ちゃんがいるだなんて…………。

「あ、今の嘘ね?普通に夏太りしただけ!9月のエイプリルフールだよ♪」

 そう言ってピースするクラスメイト(女2)。何が9月のエイプリルフールだ、馬鹿野郎。信じちまったじゃねぇか……。

「だよね!だと思った〜♪私も太ったらそのギャグ使お〜♪」

 さっきまで驚いていたはずのクラスメイト(女1)は何故か大笑いしていた。JKの適用能力の高さが異常すぎる。

 塩田はというと、さすがに「あはは……びっくりしちゃったよ……」と苦笑いを浮かべていた。うん、お前の反応が正しい。最近のJKはようわからんなぁ……。

 そんなおじさん臭いことを心の中で呟いていると、視界に黒髪JKさんが割り込んできた。

「他のとこばかり見てないで、私の方も見てよ……」

 そう囁くように言った笹倉は、軽くほっぺを膨らませていた。それを見た俺は思わず顔を背ける。不意打ちで可愛いは卑怯だろうが……。

 そんな俺を面白がったのか、彼女は意地悪な笑みを浮かべると、「今日、放課後にデートしよ?」と言ってきた。

「ほ、放課後にデート……」

 俺は彼女の言葉をそのまま繰り返す。

「ええ、制服デートって言うのかしら?少し憧れていたのよね」

「いいわよね?」と続ける彼女。ここで首を縦に振れば、根負けしたみたいで嫌だが、憧れていたとまで言われれば、頷かざるを得ないだろう。

「よし、わかっ―――――――」

 俺がOKの意思を伝えようとした、その瞬間。

 バンッ!

 勢いよく扉が開かれ、彼女が飛び込んできた。

「あ、あおくん、助けてぇぇぇ!」

 助けを求めてきたのは、制服のあちこちが汚れており、頬にお絵描きをされている早苗だった。通学路で凶暴な幼稚園児にでも襲われたのだろうか。

「ねぇ……追いかけてくるのぉ……」

 涙目でそう訴えてくる彼女。自然とクラスメイト達の視線が一点に集まってくる。

 ああ、俺もこんな目で見られていたのか。

 そう思うと、今更恥ずかしくなってきた。


 それにしても笹倉、もしかしたらデートどころじゃなくなるかもしれないぞ。

 焦る早苗の姿を見て、俺は心の中でそう呟いていた。

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