第46話 (偽)彼女さんは俺と2人で話がしたい

 夜、露天風呂にて。

 俺はタオルを頭に乗せ、肩まで湯に浸かりながら、石造りの縁に背中を預けて星空を見上げていた。

 さっきまでおじいさんや子連れのお父さん、筋肉を見せあっているマッチョなどがいたのだが、何故か俺が入ってきた瞬間に帰ってしまった。

 マッチョの一人には、帰り際に肩をポンポンと叩かれたのだが、意図がよく分からない。あの笑顔は何を意味していたのだろうか。

 首を傾げた拍子に落ちそうになったタオルを慌てて受け止めて、綺麗にたたんでからまた頭の上に戻す。

「そうだよな、こんな小さなことを気にしている場合じゃないんだった……」

 自分に言い聞かせるようにそう呟いた俺は、コンテストの結果発表の時のことを思い出す。

 あの結果にはさすがに驚いた。

 まさか、2位の御嶽原先輩に800ポイントもの差をつけて、笹倉が優勝するとは思ってもみなかったから。

 2種目目が終了した時点で約300ポイント負けていたことを考えると、1100ポイントもの逆転をしたことになる。御嶽原先輩にも点が入っていたことを考えれば、ほとんどのポイントが笹倉に入ったことになるし。

 ただ、あとから知ったのだが、実はコンテストの観客の中に、あのコロ助がいたらしいのだ。ついでにその他40人の笹倉親衛隊達も。彼らの手にした410ポイントは恐らくあの人に入れられているわけで…………いや、これ以上言うとズルをしたみたいになるからやめておこう。

 とりあえずはいいところに来てくれたな、コロ助。今度笹倉のベストショットでも送ってやろう。RINE知らんけど。


 既に察している人もいると思うが、笹倉が優勝したということは、優勝賞品である『推薦者になんでも言うことを聞いてもらえる券×2』は彼女の手に渡ったということだ。

 2枚あるなんて話は初めて聞いたのだが、優しい笹倉は静かにガッカリしていた御嶽原先輩に1枚を譲渡してあげたので、俺がお願いされるのは1枚分だけ。そして、そのお願いはステージ上で既に言い渡されていた。多分、あの場で言えば逃げることも断ることも出来ないからだろう。さすが笹倉だ、賢い。

 まあ、彼女からのお願いであれば、俺は9割方断ることは無いと思うし、必要ないと思うんだけどな。さすがに、どこかの誰かさんがした『エロゲを一緒にプレイしよう』みたいなお願いは丁重にお断りさせていただくけど。

「よし、行くか」

 露天風呂に取り付けられた時計が8時半を指すのを確認して、俺は風呂から上がった。今から準備して向かえば、約束の時間には間に合うだろう。

 熱めのお湯にあてられたからか、やけに速く鳴る鼓動に急かされつつ、俺は脱衣所へと向かう。

 行使された約束である、『夜9時にひとりでステージに来て』を守るために。



「悪い、遅くなった」

 パジャマなのだろう。半袖にショートパンツと、露出の高い涼しげな服装でステージに腰掛け、海を眺める彼女の背中に向かってそう声をかけると、「9時ピッタリよ、大丈夫」と、スマホで時間を確認しながら、笹倉はこちらへ振り返った。

「ここに座って」

 彼女はそう言ってステージの床をポンポンと叩く。頷いて見せた俺は、ステージに上がり、彼女の隣へと腰掛けた。

「ここ、結構景色綺麗だな」

 俺は目の前の海を見てそう口にした。

 用はなにか。

 そう聞こうとも思ったが、いきなり本題にはいるのも何か違うと感じたからだ。

 何より、俺の目に映る景色は、まるで海に橋がかかったかのように、海面で月明かりが反射していて、その感想を口にせずにはいられなかった。

「月が綺麗ですね……なんつってな」

 某有名作家が『I Love You』を翻訳した時に使った言葉を冗談めかして言った俺は、ちらっと笹倉の方に目をやる。

 月光に照らされた彼女の横顔は、いつもよりもどこか神秘的に見えて、「そうね、綺麗」と囁くように言ったその唇の動きから、俺は目を離すことが出来なかった。

 だめだ、またキスの感触を思い出してしまう。

 俺は雑念をかき消すように首を横に振り、頭の中で話題を探す。ただ、どれもこれも使い物にならないものばかりで、ただただ、時間が過ぎていくだけだった。


「……碧斗くん」

 その沈黙を破ったのは笹倉だった。

「今、楽しい?」

 まるで学校が楽しいかを聞く母親のような質問だ。

「もちろん楽しいぞ?皆の頑張ってる姿も見れたしな」

 俺は素直な答えを返す。すると笹倉は、「じゃあ……」と顔をこちらへ向けた。必然的に俺と視線が重なる。

「じゃあ……『さあや』ちゃんと遊んでいた時よりも、楽しい?」

「……さあや……と?」

 まさか、このタイミングでその名前が出てくるとは思わなかった俺は、思わず聞き返してしまう。

 笹倉が俺に向ける視線は、まるで心の中を覗こうとしているように見えて、彼女に隠し事は無理だと悟ってしまう。

「ああ、もちろん今の方が楽しい」

「そっか、よかった♪」

 そう言ってクスクスと笑う笹倉。

「どうして今そんなことを聞くんだ?」

 純粋な疑問を投げかけると、彼女はあごに手を当てて少しの間考える素振りを見せた。

「そうね……もうそろそろ話してもいいかもしれないわね」

 笹倉はそう言ってひょいっとステージから砂浜へと飛び降りる。清水の舞台みたいな高さではなく、2mくらいなので怪我はしない。

 彼女はくるりと体を反転させて俺の方を見ると、満月を背に、ニコッと笑って言った。

「私、『さあや』ちゃんのこと、知ってるの」

「え……?」

「碧斗くんとも、数回会ってたのよ?覚えてないわよね」

 彼女は俯きながらそう言った。出来れば覚えていると言ってやりたかったが、幼い頃の記憶を漁っても、笹倉 彩葉は一向にみつからない。そもそも、俺が彼女と出会ったのは、高校の入学式の日なのだから、見つかるはずがないのだ。

 でも、目の前の彼女は、嘘をついているようには見えないし、俺自身もそれを嘘だとは感じなかった。

 俺が忘れているのか……?

 頭の中で、ぐちゃぐちゃな混乱の結論はそこにたどり着いた。正直、さあやのことも全てを思い出した訳では無い。あの時期の記憶は、俺の中でも少し曖昧なのだ。

 何より、彼女とのさようならは最悪だった。だからこそ、俺は心のどこかに記憶を留めていたのだろう。

「そんな顔はしないで……思い出さなくても大丈夫よ」

 いつの間にか俺の隣に座り直していた彼女が、そっと頬を撫でてくれる。俺はそんなに辛そうな顔をしていたのだろうか。

「……もう大丈夫だ」

 俺はそう言って笑顔を作ってみせる。頬にあてられた彼女の手を握ると、夜風のせいか、少し冷たかった。

「寒いだろ?もう帰ろう」

 俺も少し肌寒いから。そう言って立ち上がろうとするも、笹倉は腕を引っ張って引き止めてくる。

 そして、上目遣いでこう言った。

「もう一度、キスして……」

 その声は俺の脳の内側まで届いてくる。体の内側から熱さが込み上げてくる感覚がした。

「お、俺達はあくまで偽物なんだぞ……?」

 幸せすぎて忘れそうになるが、俺達は本物の恋人ではない。それを誰よりも分かっているのが笹倉であるはずなのに……。

 立ち上がり、体を寄せてくる彼女は、まるで自らが望んだはずの偽物の関係を壊そうとしているように思えた。

 自然と一歩後ずさる。それに合わせて、彼女は二歩俺に近づいてくる。互いの体は既に密着状態だ。

「ドキドキしてるわよ?期待してるのね」

「そ、そういう訳じゃ……」

 必死に落ち着かせようとしているのに、鼓動はむしろ早くなっていく。

 そんな中、笹倉は追い打ちをかけるように少し背伸びをして、俺の耳に口を寄せた。そして、意地悪な笑みを浮かべながら、こう囁いた。


「なら、本物になる?」


「……え?……え?」

 この場の雰囲気と腕に触れる彼女の柔らかい感触も相まって、俺の頭はショートした。湯気が吹き出しているんじゃないかと思うくらいに熱くて、目眩がする。

 そんな俺を見て、笹倉は口元に手を当てて微笑んだ。

「ふふ、冗談よ。少し言ってみたかっただけ」

「え、あ、嘘……ってことか……?」

 1度ショートした頭は、なかなか復旧できない。その場に座り込んでしまった俺は、息絶え絶えに彼女に聞く。

 笹倉は「そうねぇ……」と少し考えた後、膝を曲げ、肩で息をしながらステージの床を見つめていた俺のあごに手を添え、グイッと持ち上げた。いわゆる顎クイというやつだ。

 あれ、これって男が女にやるやつじゃなかったっけ……?なんで俺がされる側に……?

 目が合った彼女の表情は、先程までとは違ってクールなものだった。鋭い目で見つめられ、思わずときめいてしまう。

 女の子らしい笹倉 彩葉も好きだが、俺が元々好きになったのはクールな笹倉 彩葉なのだから、仕方がない。

 彼女は俺を見つめたまま―――――――。

「半分嘘で、半分本当よ」

 そう言って微笑むと、俺に軽くハグをする。そして「おやすみなさい」と言い残してステージから去っていった。

 俺はその後ろ姿を、ただ呆然と見つめていることしか出来なかった。



 彼女の後ろ姿が見えなくなってからも、興奮した心筋はなかなか落ち着いてくれず、ホテルに帰ったのは10時をすぎてからだった。

 疲れて眠っている千鶴を起こしてしまわないようにそっと部屋に入り、湯冷めした体を温めるために風呂に入りなおすことにした。

 露天風呂はもう閉めているらしいので、部屋風呂だが、むしろこちらの方が落ち着いた。狭い空間で、足も伸ばせない浴槽。

 心配事や緊張、ドキドキするシチュエーションに心が少し疲弊してきているらしい。ちょっとホームシックになりかけた俺であった。

「我が家の安心感に包まれたい……」

 そう呟いた声は、風呂場の防音加工された壁へと吸い込まれて消えた。

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