第32話 幼馴染ちゃんの母親は俺に伝えたい

 夏休みも残りわずか4日となった今日、8月28日。俺達は電車に揺られていた。

 向かう先はもちろん海だ。

 今は、いくつかの電車を乗り継ぎ、あとは乗っているだけで終点であり目的地でもある『海の駅』に到着するというところ。

 到着すれば4人で楽しく……と思っていたのだが、向かい合う座席に座る人数を数えてみれば、俺を入れて5人。

 あれ、1人多いなと思ってもう一度数えてみても数は変わるはずがなくて……。

「なんで居るんですか」

 俺は、隣に座っていた笹倉との間に、平然と割り込んで座っているその人物へと冷ややかな視線を送る。

 その人物とは、早苗母である。最後の乗り換えをしていた時に、いつの間にか混ざっていたんだよな、全然気付かなかったけど。

 早苗母、もとい咲子さんは、「だって……」と口を尖らせた。

「ほら、やっぱり高校生だけで旅行なんて、心配でしょ?だから、着いてきちゃった♪」

「そりゃそうですけど……ちゃった♪じゃありませんよ!」

「ほら、何か間違いが起きてはいけないでしょう?大人ひとりいた方がいいと思うなぁ〜?」

「それが自分の娘と間違いを起こさせようとしていた人間のセリフですか!?」

「早苗との間違いはもはや間違いではなく大正解!今すぐにでも間違えてもいいのよ?ね?」

「ね?じゃねぇよ!このバカ親ぁ!」

 今の俺は二人席に3人で座っていることの窮屈さと、笹倉と引き離されてしまったことへの不満で、絶賛激おこプンプン丸モードだ。

 つまり、とても機嫌が悪い。

「俺達だけで大丈夫なので、さっさと帰ってください」

 俺がそうキッパリと言うと、咲子さんは頬を膨らませて不満そうな声を上げる。

「えぇ〜!せっかく来たんだから、私も海で遊びたいわよ〜!」

「ダメです」

「どうしてもダメ?」

「どうしてもダメです」

 俺の断固拒否の姿勢に、このままでは勝てないと悟ったのか、彼女は傾げていた首を元に戻して大きく息を吸った。

「すぅ…………行きたい行きたい行きたーい!」

「うるさっ!迷惑ですからやめてください……」

 駄々をこねる子供のように同じ言葉を何度も繰り返す咲子さん。この人、やっぱりめんどくせぇ……。

「行きたいの!いくいくいくいくいくいくいくぅぅぅぅぅ!私も行くのぉぉぉぉぉ!」

「うるせぇぇぇ!他の人に変な勘違いされるから辞めてください!」

 妙に色っぽい声のせいで、絶対にそういう系だと思われてる。車両の前の方に乗ってるカップルらしき人が、こっちをチラチラ見てくるし……。

「やめるからついて行っていい?」

「それはダ…………わ、わかりましたから!ついてきていいですから!」

 もう一度大きく息を吸って、2度目の駄々こねを繰り出そうとする彼女を慌てて止め、仕方なく同行を許可する。

 この人がいるとろくなことが起きる気がしない。早苗と俺をくっつけることだって、まだ諦めてないんだろうし。

 てか、夏休み最後の思い出になる旅行が、幼馴染の母親同伴ってどういうことだよ……。

 これからの二泊三日のことを思うと、俺はため息をつくしかなかった。本当に先が思いやられる。




 電車に揺られている間はかなり暇を持て余す。そんなことはわかっていたはずなのに、ゲームもトランプも持ってこなかった自分を恨んでいた。

 ここに来るまで電車だけで3時間、バスも合わせれば3時間半くらいは経過している。

 その間はずっと4人で話をしていたから、もう話す話題も尽きてしまった。このまま黙るのも気まずいし、なにか新しい話題はないかと脳内を探っていると、前から抱いていた咲子さんへの疑問が頭に浮かんできた。

「そう言えば、咲子さんってなんの仕事をしてるんですか?小さい頃に聞いても教えて貰えなかった記憶があるんですけど……」

 俺がまだ小さい時、俺の母親と咲子さんが仕事の話をしているのを耳にしたことがあった。その内容が気になり、聞いてみたことがあったのだが、彼女は頑なにそれを教えようとはしてくれなかった。

 その拒み方から、今まで自然と聞かずに過ごしてきたが、話題としてもちょうどいいし、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないだろうか。

「そういえばそんなこともあったわね〜。そうねぇ……碧斗君ももう高校生だものね!」

 まるで本当の母親のように俺の成長に微笑む彼女。高校生だものね、と言うということは、歳が小さいとダメだということだよな。子供には言えないような仕事とは、一体何なのだろうか。

 俺は答えを聞けるということに期待しつつも、知ってしまっていいのかという不安も感じていた。

「碧斗君は『早咲苗子』という小説家を知っているかしら」

「早咲苗子って……『ちょっとおかしいけれど日常』の作者ですよね?俺、ファンなんですよ」

 俺が跳ねるような声でそう言うと、咲子さんはふふっと嬉しそうな顔をする。

「ありがとう。面と向かってファンだなんて、初めて言われたから、ちょっと照れちゃうわね」

「……え?」

 俺がきょとんとしていると、咲子さんは背筋をピンと伸ばして、俺に軽く会釈をする。そして。

「初めまして、早咲苗子です♪」

「……えぇぇぇぇ!?」

 俺は思わず大声を上げてしまった。目の前にいる幼馴染の母親が、あの人気小説家だなんて……簡単に信じられる話ではない。むしろ、この人と出会ってからの10年程、全くそのことに気が付かなかったことが不思議なくらいだ。

 でも、彼女はとても嘘をついているようには見えない。そもそも、ここで嘘をつく必要なんてないはずだ。

「ほ、本当に……?」

「ええ、本当よ。ほら、『早咲苗子』っていうペンネームは、私の名前である咲子と、娘の早苗の名前を組みあわせて作ったのよ?これが証拠ね」

 言われてみれば確かにそうだ。これが偶然だとはとても言えない。

「……俺、ファン辞めるかもしれません」

「どうして!?」

 彼女は驚いているが、冗談抜きにしても、ファンを続けていける確信がない。だって、文字だけで人を楽しませられる人間がいるんだと、尊敬までしていた相手が隣に住む幼馴染の母親だったんだぞ?間違いを犯しなさいと言ってくるような人間だぞ?尊敬に値しないだろ……。

「とにかく、ファンはやめませんが、尊敬はやめます。咲子さんがまともな母親になるまでは」

 俺がはっきりとそう伝えると、彼女はいつの間にか眠っていた早苗をちらりと見て、俺に向かって呟くようにこう言った。

『自分の娘の幸せを願うことの、どこがまともじゃないって言うのかしら?失敗した自分よりも上手くいって欲しいと願うのは、親として当然のことだと私は思う。』

 この言葉は確か……早咲苗子の作品で、過保護なヒロインの母親が主人公に言った言葉だ。ならば、俺は主人公の返しのセリフを言うべきだろう。

「『上手くいったか言っていないかは、その道を歩んだ本人が決める。あいつは満足してた。ならば、上出来なんじゃないですか?』……でしたっけ」

「ええ、大正解よ」

 咲子さんは、どこが寂しげな表情で頷いた。

「私の作品は、私自身の心を写し出す鏡のようなものなの。だから、登場人物たちのセリフに込められた想いは、私の本当の気持ちばかり」

 咲子さんは、早苗の頭を優しく撫でながら、小説家ではなく、母親の顔で語っていた。

「私の作品に共感してくれたあなたになら、いつか分かるはずよ。自分の子供を、自分よりも守ってあげたいと思ってしまうこの親心が……」

 彼女の言っていた失敗というのが何なのかは、俺には想像もつかない。でも、それさえも書く力へと変えてしまった彼女が強い人間であることは分かった。

「そんな日が来るといいですけど……」

 俺はその一言だけを口にすると、窓の外へと視線を移した。

 そこには既に、綺麗な青色が見え始めていた。

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