第29話 幼馴染ちゃんは俺とかくれんぼがしたいわけじゃない

 笹倉と別れた後、俺は早苗を見た人がいないかを聞いて回った。祭りの警備員さんに聞いたり、屋台のおじさんに聞いたり。でも、『茶髪で背の低い浴衣姿の女の子』という特徴を伝えると、皆首を傾げるばかりだった。

 偶然祭りに来ていたクラスメイトたちや、唯奈、千鶴は、俺が話をするなりすぐに探すのを手伝い始めてくれた。


 大人数で探し回ったにも関わらず、早苗を見つけることが出来ないまま時間だけが過ぎていく。気が付くと、スマホの画面には6時30分と映し出されていた。空は段々と暗くなってきている。

 もう1時間くらい探してるのか……。ここまで探して見つからないとなると、神社の外に連れていかれたということも考えられる。

 俺は神社の敷地内を流れる川沿いに腰掛ける。このまま見つからなかったら、俺は一体どんな顔をすればいいんだろう。幼馴染を失った俺は、この先の人生で、心から笑えるんだろうか……。

「早苗……」

 彼女の笑顔が頭を過る度に、胸がぎゅっと締め付けられる。笹倉と二人きりになりたいからと、人混みが苦手な彼女に飲み物を買いに行かせたのは俺だ。つまり、彼女を危険な目に遭わせたのも俺。

 彼女の幸せを願っているだの、笑顔でいて欲しいだの、そんなことを口にしていた癖に、結局傷つけてるのは俺じゃないか……。

 俺は目の奥が熱くなるのを感じた。

 川沿いには屋台はない。人もほとんど歩いていない。聞こえてくるのは、遠くで祭りを楽しむ人の声と、川の流れる音、木の葉が揺れ擦れ合う音、そして俺の心臓の音。

 セラピー効果のある音に溢れているはずなのに、俺の心は全く落ち着いてくれない。むしろ、音達に責め立てられているような、そんな気分になる。

 俺はそれから逃げるように耳を塞ぐ。何故か、前にもこんなことがあった気がする。外界の音を遮断して、自分の世界に閉じこもりたい衝動に駆られ、逃げて逃げて逃げて……でも、そこには逃げさせてくれない音がひとつだけあるんだ、いつも。

 耳を塞いだことで、自然の音も、人々の声も聞こえなくなった。でも、自分の心臓の音だけはどうやっても消せない。

 ドクッドクッと一定のリズムで体中に血液を送る心臓。生きている限り、この音からは逃れることは出来ない。早苗のは、まだ鳴っている……よな?誘拐されて、殺されたりなんてしてないよな……?

 不安だ……不安で仕方がない……。ついに、俺はその感情に押しつぶされてしまった。涙がコンクリートの地面をポタポタと濡らす。今日はずっと快晴だったはずなのに……。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「……え?」

 肩を叩かれて、俺は振り返る。そこには10歳程の女の子が心配そうな顔をして立っていた。

「お祭りなのに、元気ないの?」

 女の子は純粋で綺麗な瞳を俺に向けてくる。

「ああ……ちょっとな……」

「じゃあ、元気が出るとこに連れて行ってあげる!」

 女の子はそう言うと、俺の腕を引っ張った。

「ほら、立って立って!」

「あ、ああ……」

 グイグイと引っ張られ、よろめきながらも立ち上がった俺は、女の子に連れられて川沿いを足早に歩いた。

「……どこに行くんだ?」

「それは秘密〜♪」

 えへへっ♪と笑うと、女の子は急に立ち止まる。

「ここに入って真っ直ぐだよ!」

「……ここ?」

 彼女が指差すのは、木の生い茂った道すらない場所。こんなところに入るなんて危険じゃないか。俺がそう口にするよりも先に、女の子は奥へと入って行ってしまう。さすがに見捨てることも出来ずに、俺も後をついて行った。

 女の子はズンズンと進んでいくが、俺は所狭しと生える草木に苦戦していた。顔に木の枝が当たってかすり傷ができる。草に足を取られてコケてしまう。

 開けた場所に出る頃には、俺の腕や顔は切り傷だらけだった。

「ここだよ!」

 女の子が連れてきてくれたのは、古そうな建物がひとつだけある場所。造りからして神社らしい。ただ、今は使われていないであろうことがわかるほど、ボロボロで汚れている。

「あの扉の中に、お兄ちゃんが元気になるものが入ってる!」

 女の子が指差した方を見てみると、建物の中に入るための扉が見えた。だが、その前にはダンボールが散乱していて、扉が開くのを邪魔してしまっている。おそらく、積んであったのが崩れたんだろう。

「あの中には一体何が…………あれ?」

 女の子に聞こうと思って見てみると、彼女は既に居なくなっていた。

 不思議な子だと思いつつ、俺の足は建物へと向かっていた。『元気の出るもの』が何かはわからない。でも、絶対に確かめなくては行けないような気がしていた。

 階段を上り、軋む廊下をゆっくりと歩く。そして、扉の前へと立つと、散乱しているダンボールを持ち上げて扉の横へと移動させる。何が入っているのかはわからないが、かなり重かった。俺もひとつ持上げるのが精一杯なくらいだ。

「これで大丈夫だな」

 綺麗に並べられたダンボールを見て、俺はため息をつく。これで扉を開くことが出来るはずだ。俺は深呼吸をしてから、扉に手をかけた。

 床か扉か、どちらかが歪んでいるらしく、扉はガリガリという音を立てながら開いた。中は真っ暗で何も見えないが、かなり埃っぽい。

 俺は、スマホのライトをつけて中を照らした。箱だったり、伝統行事で使いそうな道具だったりが置いてある。そして、その隅っこに――――――――。

「早苗!?こんな所にいたのか!」

 彼女がいた。部屋の隅っこで泣きながら震えていた。俺は慌てて駆け寄る。

「早苗、大丈夫か?」

「あおくん?あおくんなの?うぅ……」

 彼女は涙で何も見えていないらしい。

「ああ、俺だ」

 早苗を安心させてやるために、俺は彼女の手を握った。やっぱりまだ震えている。

「あおくん、ごめんなさい……。私、飲み物買えてない……」

 そう言って謝る彼女を見ていると、また涙が溢れてきた。違うんだよ、早苗……。

「今はそんなことどうでもいい。俺の方こそ、ごめんな……」

「どうしてあおくんが謝るの?」

「俺がお前を泣かせちゃったからだよ」

 俺は鞄からタオルを取り出すと、早苗の涙を拭いやる。

 彼女によると、見かけた犬を追いかけていたら、ここにたどり着いたけど、入った後に何かが崩れる音が聞こえて、それから扉が開かなくなったんだとか。犬もいないし、誰かに閉じ込められたと思った彼女は、怖くなって泣いてしまったと……。

「でも、あおくんはいつも助けに来てくれる。あおくんはやっぱり私の優しくてかっこいい王子様♪」

「……お前が居なくなったら俺も困るんだよ、だから助けただけだ。これが優しい王子様か?」

「うん!優しくない人は、困ってる人がいても無かったことにしちゃうだけだもん。私はそれをよく知ってる。でも、あおくんは違うの。私のことを何度も助けてくれた。だから、あおくんは私の優しい王子様だよ?」

「……お前のになったつもりは無いけどな」

 少し顔が熱くなって、俺はそっぽを向く。

「もうここを出るぞ。歩けそうか?」

「あおくんが結婚してくれたら歩けそうかも♪」

「思ったよりも元気そうだな、歩け」

「ごめんなさい、本当は歩けないんです。足がまだ震えてて……」

 涙目になってそう言う彼女の言葉は本当らしい。彼女は何度立とうとしても、後ろに転んでしまっている。

「仕方ないな……」

 俺は彼女に背を向けて、膝を曲げてしゃがむ。

「ほら、乗れよ。歩けないなら仕方ないだろ?」

「う、うん……」

 早苗は少し躊躇したが、「重いって言わないでね?」と言ってから、俺の首に腕を回した。

「よし、ちゃんと掴まってろよ?」

 俺はゆっくりと立ち上がる。早苗は思ったよりも軽かった。

「よし、ここから出て笹倉と合流だな」

「……うん」

 スマホで笹倉に『早苗が見つかった』と送って、出口へと向かう。相変わらず軋む床を慎重に歩き、扉を出た瞬間だった。

 ヒュゥゥゥゥゥゥン……パァァァァン!!!!

「ひゃっ!」

 大きな音に早苗が可愛らしい声をあげる。

「……花火、だな」

 見上げると、いつの間にか空は真っ暗になっていて、そこに大きな花が咲いていた。

 ヒュゥゥゥゥゥゥン……パァァァァァン!!!!

 また次の花火が打ち上がり、束の間の美しさを咲かせて消える。

「きれい……」

「……だな」

 俺達はその美しさと儚さに見蕩れていた。余韻に浸る間もなく、次々に花火が打ち上げられていく。この近くに明かりが無いおかげか、その色が鮮明に見えた。

「なあ、早苗」

「ん?」

「お前を探すの、クラスのみんなも、千鶴も、笹倉も手伝ってくれたんだぞ?ちゃんと愛されてるんだな」

 今こそ伝えるべきことがある。俺は一呼吸置いてから言った。

「もう、俺以外の皆を怖がる必要は無いんだぞ?」

 俺は薄々感じていた。早苗が俺を好きだというのは、俺以外の男を知ろうとしていないからだろうと。だから、千鶴を近づけさせることで、俺への好きを断つと共に、本当の恋をしてもらおうと思っていた。

「他の人を受け入れれば、俺以外にも興味が湧くかもしれないだろ?そしたら―――――――」

 だからこそ、彼女に自信を持ってもらおうと思って伝えたのだが……。

「あおくんは何か勘違いしてると思う」

 早苗は花火の音でかき消されないように、俺の耳元で言った。

「私はあおくんの優しさだけ好きなわけじゃない。顔だけが好きなわけでもない。一番近くでその横顔を見てきた私だからわかるあおくんの全部が大好きなの!」

 彼女の吐く息が温かくて耳がこそばゆい。でも、それ以上に彼女の言葉の温かさがこそばゆい。

「だからね、私の内気な性格が変わって友達が沢山できても、あおくんへの気持ちは絶対に変わらないって約束できるよ?」

 彼女はそこまで言うと、首に回す腕に力を入れて、ぐっと体を乗り出してきた。そして――――――。

 ちゅっ

 花火の音が鳴り響く中でも、その音だけはしっかりと聞こえた。右頬に伝わった柔らかい感触と、

「私はあおくんのこと、愛してます」

 その真っ直ぐな声が脳に直接響いてくる。

「何度も言ってるだろ?俺には笹倉がいるから……」

「そう言いながら、あおくんの心臓の音、早いよ?」

 早苗はわざと俺の背中に体を密着させて言う。彼女の心臓の音が聞こえてくることも相まって、緊張とドキドキが抑えられない。

「そりゃ、女子に密着されたら誰だってこうなるだろ……」

「そっか……私のこと、女の子って見てくれてるんだね♪」

「…………当たり前だろ」

 俺が小声で答えると、早苗は嬉しそうに笑った。そして、「じゃあ……」と耳元に顔を寄せると、小声で囁いた。

「本気であおくんのこと、奪っちゃおっかな?」

 そのいつもとは違う彼女の声色にドキッとさせられる。

「できるものならな」

 照れを隠そうと、振り向くことはせずに、ただ前を見つめていた。

 視界の隅で、あの女の子が大人の女性に姿を変え、地面に溶けるように消えた……ような気がした。

 彼女は一体何者だったんだろう。もしかして、恋稲荷神社に祀られてる神様だろうか。

 ―――――――あれ?だったらやばくないか?

 神様は俺と早苗をくっつけようとしてるってことになるよな。それはつまり、俺の意思とは反対の結果になるということで……。

「まあ、神様なんているはずないよな」

 自分に言い聞かせるように呟いた言葉は、一段と大きい花火の音でかき消された。




 その日の夜、笹倉との電話にて。

『花火、一緒に見るって言ったのに守れなくて悪かった』

『仕方ないわよ。それよりも小森さんが無事でよかったわ』

『あいつの危なっかしいところとか、もっと注意すべきだった。祭りの雰囲気にあてられて、緩んでたのかもな』

『そうかもしれないわね』

 笹倉はごほんと咳払いをすると、『そういえば……』と話を変える。

『海で必要なものを揃えておきたいから、また買い物に付き合ってもらえるかしら』

『ああ、もちろん構わないぞ?』

『よかった。小森さんも誘ってもらった方がいいかもしれないわね。ついでに山猫くんも』

『一緒に行くメンバー全員で見た方が、何が必要かわかりやすいからな』

『ええ、それと…………花火も買うわよ』

 どこか控えめな声から察せる。笹倉、やっぱり花火、一緒に見たかったんだな……。

『打ち上げ花火を買うのか?』

『そんなわけないでしょ?はぁ……碧斗くんってどこか抜けてるわよね……』

『そ、そんな責めなくてもいいだろ……』

 本気のため息をつかれてしまった。地味に傷つくな、これ。

『まあ、せっかくの海なのだから、行くまでに体調を崩すなんてことだけはやめてちょうだいね』

『わかってる、笹倉もな』

『ええ、もちろんよ』

『じゃあ、俺はもう寝る』

『私もよ。おやすみなさい』

『ああ、おやすみ』

 いい夢見ろよと言おうか迷ったが、恥ずかしいことになりそうだからやめておいた。俺はスマホを机の上に置いて、大きく息を吐く。自然と肩の力が抜けた。そして、ベッドの上で気持ちよさそうに寝息を立てている茶髪な浴衣姿の早苗を見下ろすと、大きめの声で言った。

「お前、自分の家で寝ろよ」

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