夏祭り編

第27話 (偽)彼女さんは俺と祭りに行きたい

 午後四時ちょっと前、俺は小さめの鞄に財布やスマホ、その他必要なものを入れて家を出た。

 今日になってからも少し考えたのだが、夏は夕暮れといってもやはり蒸し暑い。そんな中で浴衣を着れば、笹倉の前でみっともなくバテてしまうかもしれない。それに、履きなれないビーチサンダルで靴擦れをするかもしれない。そんな危険を考えると、やっぱりラフな格好の方がいいという結論に至った。

 今日は、夕方から夜にかけてずっと快晴。まるで、天照大神が祭りを楽しめと言っているような天気だ。星も綺麗に見えるかもしれないな。俺は足取り軽く、跳ねるように駅に向かう。

 あとは4時30分までに笹倉の言っていた集合場所に到着すれば完璧だ。2人で祭りを楽しんで、あわよくば笹倉に恋稲荷神社のご利益を受けてもらう。そして俺は彼女と……むふっ♪

 おっと、いかんいかん……。こんなだらしない顔をしているところを誰かに見られたら、恥ずかしくて街を歩けなくなる。

 両頬をペちペちと叩いて、緩んだ表情をピシッとさせた。今日こそはしっかりと笹倉をリードして、かっこいい俺を見せるんだから。がんばれ、関ヶ谷 碧斗!


 そう喝を入れて、俺の最寄りから3駅隣の稲荷駅に向かう電車に乗り込んだはいいものの…………ここでアクシデントが発生した。


「うぅっ……!」

 電車が動き出して2、3分が経ち、もうすぐ隣の駅に着くというところで、俺の近くにいた女性が苦しそうな声を出しながら、ふらふらとよろめいたのが見えた。

「だ、大丈夫ですか!?」

 俺は慌てて駆け寄り、その体を支える。しかし、女性は苦しそうに呻くばかり。ふと、彼女の腹部に目をやると、大きく膨らんでいた。

 もしかして……妊婦なのか?

 妊婦か妊婦でないかの判断の仕方なんて、単なる学生の俺は知らない。だが、女性の腕や足は細く、お腹を抑えているところから、直感的にそう思っただけだ。

 痛みを感じるということは陣痛かもしれない。俺は女性の体を支えながら座席に横にならせる。靴を脱がせて、足も席の上へと上げた。窓から駅が見えてくると、俺は同じ車両にいた女性に「あの妊婦さんを見ていてあげてください」と伝えた。

 電車が駅に止まり、俺は開いた扉から飛び出すと、ホームに立っていた駅員に声をかけた。

「電車の中で妊婦がお腹を抑えて苦しんでるんです!助けを呼んでください!」

「に、妊婦ですか!?わかりました!すぐに救急車と応援を呼びます!」

 駅員さんはそう言うと、すぐに備え付けの無線で本部と連絡を取り、電車の出発を止めるように言ってくれる。

 それを確認するとすぐに電車に戻り、女性の元へと駆け寄る。見ていてくれるように頼んだ女性は、優しく声をかけながら妊婦を励ましているらしい。そしてもうひとり、女性が妊婦を眺めていた。

「あなたは?」

 俺がそう声をかけると、女性は名刺を差し出した。

「私、産婦人科の玉井と申します。彼女は既に破水しています。このままでは母子共に危険な状態です。私にこの出産のお手伝いをさせてください」

「産婦人科!?ちょうどいいところに!俺には何も出来ませんが……よろしくお願いします!」

 さすがに出産を手伝うのは素人には無理だ。むしろ危険を及ぼすかもしれない。そもそも、男なので、妊婦のことを考えても、ここは女性二人に任せた方がいいだろう。

「はい!では、少し下がっていてください」

 俺が数歩下がると、玉井さんは彼女の鞄からバスタオルを取りだしてもうひとりの女性に渡す。

「これで周りの視線を遮って貰えますか?」

「わかりました!」

 なるほど、周りから見えないようにバスタオルを使うのか。さすがは産婦人科だ、わざわざタオルを持ち運んでいるなんて。

 俺が感心しているうちにも、彼女は手際よく準備を整え、妊婦に声をかけ始めた。


 それからかなり長く感じた10分ほどが経過して――――――――オギャァ!オギャァ!

 元気な泣き声が車内に響いた。

「もう大丈夫ですよ生まれました、元気な男の子です!」

 そう、母親である女性に教えてあげる玉井さんの、優しい笑顔が印象的だった。生命の誕生って、尊いなぁ〜。

 その後、母親と赤ちゃん、付き添いで玉井さんは到着した救急車に乗って病院へと向かった。電車の運行が再開し、俺はまた揺られていた。

 時計を見てみると、4時30分をとっくに過ぎていた。



「遅れてごめん!」

「いつも遅い遅いと文句を言う割には大遅刻ね」

 笹倉はため息をつきながらスマホで時間を確認する。現在5時5分、35分の遅刻だ。

「本当に悪いと思ってる。何かお詫びを……」

「別にいいわよ」

 さすがに遅刻を妊婦のせいにするわけにも行かず、素直に頭を下げると、笹倉は首を横に振った。

「妊婦さん、助けてあげてたんでしょ?」

「なんでそれを……」

 笹倉はスマホの画面を操作して俺に渡す。そこにはRINEニュースの最新記事が表示されていて、その内容というのが、『男子高校生、電車で妊婦を助ける』という題名の記事だった。

 そして、そこに貼られた写真には、妊婦を座席に寝かせる俺の姿が写っていた。

「唯奈が教えてくれたのよ。5分前の記事にあなたが載ってるって。事故に巻き込まれたのかと思って心配して見てみたら……本当に、人騒がせね」

 またため息をつく彼女だったが、その表情は笑顔一色だった。どうやら、遅刻のことは気にしていないらしい。笹倉が出来た人間でよかった。

「ところで……何か言うことは無いのかしら?」

 彼女はそう言うと、伺うような視線を俺に向ける。言うこと?遅れてごめんはもう言ったし……あ、すっかり忘れてた。

「浴衣、似合ってるな」

 謝罪から入ったせいで言えていなかったが、笹倉は黒を基調とした大人っぽくも可愛らしい浴衣に身を包んでいる。改めて見ると、彼女のために作られたのではないかと思ってしまうくらいに似合ってるな。

「大人っぽいところとか、帯の赤がワンポイントになってるとことか、すごくいいと思うぞ」

「あ、ありがとう……」

 笹倉はお礼を言うとそっぽを向いてしまった。あれ、褒め方を間違えたか?

「でも、碧斗くんは浴衣じゃないのね?」

「ああ、動きやすい方がいいと思ってな」

 本当の理由は恥ずかしくて言えないから、伏せておくとして。

「まあ、浴衣なんて祭りくらいしか着れないもんな。それだけ似合ってたら、着たくなる気持ちも分かるぞ」

 何気なく思ったことを口にしてみたが、笹倉の反応がどこかぎこちない。

「っ……!?も、もう褒めるのはいいから……!は、早く行きましょう……」

「そ、そんな焦らなくても……わ、わかったって!」

 ちょっとおかしな笹倉に手を引かれて、俺達は恋稲荷神社へと向かった。



「まだ明るいくらいなのに、こんなに人が集まってるのね」

「歩くのも大変そうだな……ん?」

「こうしていれば、はぐれないから大丈夫よね」

 俺の右手を両手でしっかりと握りながら、笹倉はふふっと笑った。待ってくれ、すごい可愛いんだが……。

「そ、そうだな……しっかり握っとけよ?」

 俺の言葉に彼女は大きく頷いて。

「じゃあ、まずは何から行こうかしら」

 そう言って周りを見回した。どこの祭りにもありそうなものばかりだが、それがまたいい。

「笹倉に任せるぞ?俺はどれでもいいからな」

「じゃあ、先に何か食べましょうか。やっぱりたこせんとかかしら」

「いいな、じゃあ買いに行くか」

 今度は俺が笹倉の手を引いて、たこせんの屋台へと向かう。少し人が並んでいるが、気にするほどでもないだろうと俺達は列へと並んだ。

 なんだか、聞き覚えのあるような声が2つ聞こえてくるけど……気のせいだよな。せっせと働いている2人組の顔は、屋台に貼ってあるメニューのせいで見えない。

 店の手際がいいらしく、順調に列は進み、3分程で俺達が最前列になった。

「たこせん2つで」

「2000円になりまぁす!」

「はい、2000円…………って、ぼったくりじゃねぇか!」

 無意識に2000円を出しそうになって、慌てて止める。笹倉も「ぼったくりね」と呟いているし、俺の感覚が狂ってるわけでは無いはずだ。

 それに、吊り下げられたメニューには、『たこせん 150円』と書かれている。これはどういうことだ?

「150円じゃないんですか?」

「お客さんだけ2000円ね。これ、私が導いた理論だから」

「どんな超理論だよ!おかしすぎるだろ!祭りの主催者に文句言ってやるから顔見せろ!」

 俺はメニューを払い除けて、ずっとバカにしてくる屋台主の正体を暴いた。だが、その顔を見た瞬間、怒りで熱されていた頭が急激に冷めていくのが分かった。

「お、お久しぶりです……」

 俺はぎこちなく会釈をすることしかできなかった。

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