第20話 (偽)彼女さんは俺と趣味を共有したい

 夏休みも四日目を迎え、早めに宿題を終わらせたい俺もそろそろ取り掛かろうかと思った矢先、「宿題終わったぁ〜」と言って床に寝転がった笹倉を見て、俺は目を丸くしているところだ。

 今回出された宿題は去年よりもかなり多く、弱音が嫌いな数学教師でさえも、「今回ばかりはちょっと厳しいね」と言ってしまうほどだった。だからこそ、真面目に取り組んでも1週間はかかると覚悟していたのだが、彼女はそれをたった4日で終わらせたのだ。

 初日は俺と水着を買いに行っていたから実質3日。どうすればそこまで賢く効率的になれるのか、教えて欲しいくらいだ。

 そして、その笹倉に勉強を教えて貰っても尚、補習に行く羽目になった早苗は一体何なのだろうか。まあ、今更言っても仕方ないけど。頑張ってるかな、あいつ。

 俺は笹倉の数学ノートを覗き込んでみる。それが、まあ字が綺麗なこと。図まで丁寧に書かれていて、このノートを見るだけでも、ある程度は賢くなれそうな気がしてしまう。

「笹倉って本当に完璧だよな」

 俺は無意識に呟いていた。彼女はその言葉にゆっくりと体を起こす。

「人間に完璧なんてありえないわよ。私にも足りないものは沢山あるもの」

「足りないもの?例えば?」

 考えてみても、彼女に足りないものなんて見当たらない。少し言い方がキツいこともあるが、俺はそれも含めて彼女のいいところだと思っているから。

「例えば……ね……」

 笹倉は顎に手を当てて少しの間考えたあと、少しの物音でもかき消されてしまいそうなほど小さな声で言った。

「お姉ちゃん、とか?」

「え?」

 俺にはその意味がすぐに理解できなかった。お姉ちゃんが足りないものとは、どういう意味なんだろう。欲しかった、ということだろうか。

 色々と考えたが、彼女が俺と目を合わせようとせず、机の上のノートだけを見つめているのに気が付いて、それ以上先には踏み込めなかった。

 笹倉も『彼氏を信じて待つことが大切』と言っていたんだ。俺も信じてみるとするか。

 俯いたままの彼女のためにも、とりあえず話題を変えようと思って部屋の中を見渡す。

 女子相手に話題にできるものなんてないよな……。俺の部屋に女性誌なんかがあったらあったで、変なふうに思われるだろうし。

 キョロキョロしている俺を見て気が付いたのか、笹倉はすっと立ち上がると、本棚へと近づいて、並んでいる背表紙を眺め始めた。

「碧斗くんはどの漫画が一番好きなのかしら?」

 漫画……そうか!前に笹倉は漫画をよく読むって聞いたことがある。それなら気分を変えるのにもいいだろうし、何より話題になる。

「一番か?そうだな……」

 俺もシャーペンを置いて本棚に近付くと、1冊の漫画を抜き出した。

 その漫画のタイトルは『かなりおかしいけれど意外と日常』。軸は日常系漫画であるにも関わらず、飛び抜けた発想と展開で構成されていて、主人公が突然ロボを操縦して街を壊したり、隕石が落ちてきて世紀末覇者になったり、実は全部夢というオチだったり、よく分からないけど面白いと話題になった作品だ。

 主人公が高校生男子であるにも関わらず、恋愛要素もスポーツ要素も、熱血要素もほぼゼロ!ギャグに全振りしているところが1番の魅力なんだよな。

 俺はその『かなりおかしいけれど意外と日常』の第1巻を笹倉に手渡す。

「私も漫画を読むのだけれど、これはまだ読んでないのよね。確か、最近話題になっていたと思うのだけれど……」

 彼女はそう言いながら、漫画の表紙や背表紙に目を通す。そして、とある場所を見た瞬間、表情が変わった。

「こ、これ……『早咲苗子はやさきなえこ』が作者じゃない!『色とりどりの花びら』と同じ作者よ!」

 笹倉は驚いたように声を上げると、スマホを取り出して、2、3回操作した後、それを俺に渡した。

 画面には『色とりどりの花びら』という漫画についてまとめられているサイトが表示されていた。

 ……なるほど。ストーリー的には、女子校に通う主人公とその周りの人々との人間関係を描いたリアリティのある作品らしい。

 ギャグ要素も豊富であるが、1部のファンには、時折垣間見える百合シーンが好評だったんだとか。

 登場人物がほぼ全員女子ということもあり、冒頭はほのぼのとした日常風景が描かれているが、話が進むにつれてその雰囲気が崩れていくらしい。

 読者の感想欄には『ギャグに吹いた』、『百合で萌え萌え』、『バトルシーンでオラわくわくすっぞ』という意見も多く見られる。

 早咲苗子という人間は、どうやらバトル+ギャグという組み合わせが好きらしい。『かなりおかしいけれど意外と日常』にも、とある巻で男子高校生同士のバトルシーンが描かれていたからな。武器は落ちていた木の棒だったけど。

「早咲先生の作品なら面白いこと間違いなしね!早速読ませてもらってもいいかしら」

 こんなにも目をキラキラさせる笹倉を、俺はかつて見たことがあっただろうか、いや無い(反語)。

「ああ、構わないぞ」

 俺が返事をするよりも先に本棚に手を伸ばしていた彼女は、全十二巻を取り出すと、それらを机の上に置いて俺のベッドにうつ伏せに寝転んだ。

 そして、1巻を手に取って読み始めた。



 10分後。

 んー、集中出来ん!

 俺は匙ではなく、シャーペンを投げていた。

 笹倉が、楽しそうな顔で漫画を読み進めるのはいい。むしろ、そんな彼女を見ることが出来て俺も幸せだ。でもな、体勢が悪い。

 彼女は今、比較的短めなスカートを履いている。その状態でベッドに寝転ぶということ自体が危ないと言うのに、彼女はスカートが少しめくれ上がっていることに気が付いていないのだ。

 おそらく、漫画を読むことに集中しすぎて、そこまで気が回っていないのだろう。

 めくれ上がった部分から覗く太ももには、男心をくすぐるものがあって……。そんなものがすぐそこにあるって言うのに、勉強になんて集中できるはずがない。

 こういうのって、注意すべきなのか?それとも、本人が気付くまで知らないふりをするべきなのか?

 女心を知らない俺には、どちらを選べばいいのかが分からない。ホラーゲームなら、選択によってはバッドエンドに向かってしまうレベルで難問な気がする。

 ……そうだ!こういう時は千鶴に聞いてみよう!

 あいつなら色んな意味で女心を理解してそうだし。

 俺はスマホを操作してRINEを開くと、千鶴とのトーク画面に文字を打ち込む。

『なあ、目の前で女子がパンツが見えそうな無防備な格好でいるのに、そいつはそれに気が付いていない。そんな時ってどうするべきなんだ?』

 送信すると、数分後には返事が返ってきた。

『碧斗、パンツに飢えてるの?俺ので良ければ送ろうか?』

 そういうつもりじゃねぇよ!俺って、あいつから見てそんなにパンツを見たいキャラに見えてるのか?

 そもそも、なんで毎回毎回自分のパンツを見せようとしてくるんだよ。まあ、ドキドキしないことは無いけどさ!

『そうじゃなくてさ、本当にどうすればいいか悩んでるんだよ!』

 そう送ると、すぐに返信がくる。

『ごめんごめん、ちょっとふざけすぎた。そういう時はさりげなく気付かせてあげる方がいいと思う。あくまでさりげなく、な?』

 なるほど、『さりげなく』がキーワードなんだな。

 俺は心の中で納得すると、笹倉の方へと視線を映した。

 そうだ、確か『かなりおかしいけれど意外と日常』の第1巻には、主人公がテレビを見ているシーンで、お天気キャスターのお姉さんのスカートが風でめくれるシーンがあったはずだ。それを利用すれば、笹倉も気付いてくれるかもしれない。

 そう思った俺は、そっと彼女の手元を覗く。

 これはタイミング良く、まさにその話に入るところじゃないか。俺はここぞとばかりにお天気キャスターのお姉さんを指差した。

「このコマ!この漫画には珍しいくらいのパンチラシーンなんだぞ!…………あっ」

 言い終わると同時に、俺は笹倉から冷たい視線を向けられていることに気がついた。

 これは大失敗だよな……。

「は、話しかけてごめん!そ、そうだ!飲み物持ってくるよ!」

 俺はその視線から逃げるように部屋から飛び出した。


「私のには気付いてくれないくせに……」という笹倉の声は、俺の耳には届かなかった。


 りんごジュースをグラスについで部屋に戻ると、笹倉のスカートは綺麗に直されていた。俺の言葉で気付いたのか、それとも自分で気づいたのかは分からなかったが、その後の勉強は捗ったとここに記しておこう。

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