第14話 (偽)彼女さんは幼馴染ちゃんと正々堂々と戦いたい
普段は碧斗くんがいるから良かったけれど、いざ二人きりになると、何を話していいかわからない。部屋に来てから30分程が経った。耳に入ってくるのは、シャーペンが紙の上を走る音だけ。勉強するだけならそれで十分なのだけれど、私は妙な感覚に襲われていた。
『なにか話さないと……』
そもそも、勉強を教えに来たのだから、聞いてあげるべきよね。碧斗くんを奪おうとしている相手だなんて関係なく、純粋に勉強の手助けをしに来たのだから。私は自分の中で納得すると、机にシャーペンを置いた。
「小森さん、わからないことはあるかしら?」
一日目には数学がある。彼女もその勉強をしているらしいけれど……。
「……わからない」
彼女は小さな声でそう言った。
「えっと……どこが分からないのかしら?」
私が優しい口調を意識して言うと、小森さんはうるうるとした目をこちらに向ける。
「わからないところがわからないの……」
「は、はぁ……」
これは典型的な勉強できないタイプの人間だ。勉強なんて言うものは、いくらか問題を解いて、苦手を見つけて、そこを集中的に学べばいいだけのもの。だけれど、その苦手を見つけるのが難しいのよね。勉強が絶対にできない人なんていない。分からないところを見つける能力さえ身につけさせれば、あとは巣立っていく雛鳥のように、自分で羽ばたいてくれる。少なくとも私はそう考えてる。
「じゃあ、まずは問題を解いてみましょうか。このページを解いてみてくれる?」
テスト範囲の中から、まとめのページを開いて彼女に差し出す。まずは彼女の現状を見よう。教え方を考えるのはその後。小森さんはしっかりと頷くと、問題と向き合い始めた。やる気はあるようで助かった。
十数分後。
「これは酷いわね……」
小森さんに解いてもらった問題を丸つけした私は、唖然とした。正解している問題がひとつもない。何が苦手かを見るつもりだったけれど、何もかもが苦手だったのだから、何が分からないのかがわからないのも無理はない。私は無意識にため息をついていた。
「これは徹夜しても難しそうね……」
ここまで来てしまえば、もう問題を解くことで体に覚えさせるしか方法はない。私は色々な分野から比較的簡単な問題をピックアップして、解いてもらうことにした。数学は公式さえ覚えれば不可能ではない。同じ公式を使う問題にいくつも目を通すことで、無意識のうちに覚えさせるという作戦だ。
「やれば出来るじゃない、上出来よ」
時計が午後6時を回った頃、笹倉さんは満足そうに頷きながら、私にノートを返した。何度も解いたおかげで式の立て方が自然と頭に入ってきて、今ではスラスラと解けるようになっていて、解いた問題の八割以上は正解している。私は嬉しさのあまり、自ずと頬が緩んでいた。
「あ、笹倉さん、時間……」
もうかなりの時間勉強を見てもらっている。そろそろ帰らないと暗くなってきてしまうと思い、私は時計を指差す。彼女は一瞬だけ時計に目をやると、「まだ大丈夫よ」と言って微笑んだ。
「8時頃までは居る予定だから。少し休憩にしましょうか」
そう言って彼女は、壁に背中を預けて座った。問題を解いている間は集中していたから分からなかったけれど、目や肩に疲れが溜まっているらしい。私も、ベッドを背もたれにしてくつろぐことにした。
「ねえ、小森さん」
笹倉さんが声をかけてくる。私が首を傾げると、彼女は言葉を続けた。
「正直に言うと、私は私と碧斗くんとの時間を邪魔するあなたが嫌いよ」
「……」
いきなりだったけれど、私は何故か驚きはしなかった。お互いに目線も合わせず、私は床に敷かれたカーペットを眺めている。
「でもね、きっとそれはあなたも同じなのよね。幼馴染としてじゃなく、好きな人として彼と一緒にいる時間を、突然現れた私に奪われてしまったのだから……」
淡々と話す彼女の雰囲気が、いつも学校で見るようなクールな彼女とはどこか違っている気がした。
「私もあなたも、お互いに嫌いあっている。邪魔し合っている。だって、できることなら彼を独り占めしたいもの」
彼女の言葉の全てが、自分にもピッタリと当てはまっていた。あおくんのことが好きなのは本当。だけれど、笹倉さんから彼を奪いたいと思う気持ちのほとんどは、きっと嫉妬と独占欲からできている。私だけを見てほしい、私だけを愛して欲しい。意識していなくても、そう思ってしまう。けれど、それが恋だから仕方がない。
「そんな私たちにも、ひとつだけ共通することがあると思うの」
笹倉さんはそう言った瞬間、視線を私に向けた。私もそれに応えるように彼女を見つめた。共通することって……なんなんだろう。
「それはね……関ヶ谷 碧斗という人間に出会えて、心からよかったと思えてるということ、違うかしら」
そんなこと当たり前だ。そう言わんばかりに、私は首を横に振った。
「違うくない。私もあおくんにであえてよかったと思ってる。あおくんがいなかったら、私はきっと存在してないから……」
一人ぼっちだった時に声をかけてくれた私の心の支えである彼を。他人が怖くて逃げ回って、それでも追いかけ続けてくれた強い彼を。物心が着いてからも、変わらずそばに居てくれる優しい彼を。
私は心の底から彼が好きだ。だからこそ、笹倉 彩葉という強敵がいても逃げなかった。2番手でいいだなんて妥協はしたくなかった。
笹倉さんは「そうよね」と呟くと、頬を緩ませた。
「彼はね、あなたの勉強を見てくれるように頼む時、私に『なんでもするから』と言ったのよ。自分のことでもないのに不思議よね」
「なんでも……するから……?」
「ええ、他人事なのによ?それって、あなたのことを本当に大切に思っているということじゃないかしら」
彼女はそこまで言うと、立ち上がって私のそばまで歩いてきた。そして、私の隣に座ると、その澄んだ瞳で私を見る。
「そんなあなただからこそ、私は碧斗くんを渡したくない。私は実力で彼を私のものにしてみせるわ」
あおくんと笹倉さんはもう付き合っているのだから、今の彼は笹倉さんのもの……であるはずなのに、おかしなことを言うんだな。そう思いつつ、私は彼女の言葉に頷いた。
「笹倉さんがそう来るなら、私だって手は抜かない。本気で奪いに行くから」
「ええ、かかっていらっしゃい」
挑発的な視線を向けてくる彼女。幼馴染キャラが負けポジだなんて、そんな風潮は壊してやる。その時の私はそんな気持ちだった。それを切り替えるように、笹倉さんは手をパチンと叩く。
「さてと、そろそろ勉強を再開しましょうか」
笹倉さんのその言葉に頷いて、私はまたノートとのにらめっこを初めた。
「あれ、公式忘れちゃった……」
今日の教訓、人間は忘れっぽい。
恋からは逃げることの出来ない。
逃げられるくらいなら本気じゃない。
本気じゃないなら、それは恋ではなく遊びだ。
それなら単なる恋愛ごっこ。
小森 早苗の恋は、遊びではない。
ゆえに、逃げるという選択肢はありえない。
ずっと前から抱き続けていたその感情は、今も激しく燃え続けている恋の炎。
消えることを知らない永遠の炎。
それは笹倉 彩葉というまた別の炎と共鳴することで、さらに激しく燃え上がった。
一方で、笹倉 彩葉の炎は恋なのか。
それは彼女自信すらも分からなかった。
感じたことの無い感情に、衝動に、その全てに、まだ彼女は追いついていない。
彼女がその正体を理解した時、全ては大きく展開するだろう。
関ヶ谷 碧斗というひとりの人間を巡った、激しい恋愛バトルが繰り広げられるだろう。
ただし、それはもう少し先の話になりそうだ。
【by 通りすがりのナレーター】
『今日はありがとうな』
早苗から笹倉が帰ったと聞き、すぐにメッセージを送った。こういうのは早い方がいい。まだ電車に乗っている頃だろうか、すぐに返信が来た。
『ええ、あの調子なら初日は大丈夫そうよ。ついでにテスト期間中は毎日勉強を見てあげることにしたから』
笹倉が早苗のためにそこまでしてくれるなんて、正直意外だ。やっぱり、本当は仲良いんじゃないか?
『お前って良い奴だな、本当に助かる』
そう送ると、少し間が空いて返信がきた。
『なんでもするって言った件、忘れてないから』
それ、本気だったのかよ……。冗談だって言ってたくせに……と心の中で文句を言いつつ、『守らせていただきます』と丁寧に返信をする。それからスマホを枕元に置いた。その後、スマホがバイブレーションしたが、俺は気付くことなく、眠りに落ちていった。
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