第10話 三嶽の炭焼き小屋

健太の身を整えてやりながら、少し嗜め元いた場所に座らせると、朱は自分たちの体がどう変わったのか。何が出来るようになったのか。また、それをやるコツなどの説明を始めた。


まず驚異的な回復能力。胴体から首が離れようが、近づけただけで切り口から生えでた触手同士が繋がり合いあっという間に再生してしまう。もし、腕を落とされて持ち去られたとしても、時間は暫く掛かるが腕は再生される。離れた元の腕は傷口は再生されて一月ほど腕単体でも生きているが、そのうち息絶えてミイラ化する。酒呑童子討伐隊に落とされた手首としてある寺に伝えられているミイラはわしの手首だ。と朱は自嘲気味に笑って話した。そして、大きな怪我をした時ほど、人血への渇きに狂うのが早くなること。口にできるのは人血のみで、水も必要としないし、排泄の必要もない。他の動物の血や、普通の飲食物を試してみたが、身体が拒絶して吐いてしまう。眠ることはできるが、どちらかというと気分転換のために眠るという感じだ。必要とあれば全く眠らなくても、ふとした拍子に体の部分部分は、それぞれ休んでいるようで、疲れるということはない。ただ、やはり無理が続くと血への渇きも早くに始まる。普段は煩わしいので人より少し高いぐらいのさじ加減になっているが、その気になれば五感の能力はとてつもない感度に上げられる。目が届かない離れた距離の様子も音を見ることで判る。眩しいはずの太陽を直接見ることも可能だ。太陽にはところどころ黒い点があり、それも形や大きさが移り変わっている。月には兎などおらず、荒涼とした砂地で所々お盆の様な形になっている。集中すれば、何百メートルも離れたところで話している会話も聞き取れること。他にも言葉で伝えるのは難しくこれから経験により知識として蓄えていく必要があるが、様々なことがわかるようになる。緊張して変わる汗の匂いや動悸の音で、人間が嘘をついている事がわかる。我々には害はないので口にして味の記憶を貯めていけば、人には猛毒なものもどんな系統の毒だかが判るようになる。髪の毛の逆立ち具合で雷が落ちる頃合いも判るし、何時頃雨が降り出すか、そしていつ頃止むかも判るようになる。痛いとか、熱いとか、暑い寒いなども感じるが、辛いようなら意識すれば、全く気にならない程度まで感度を下げることも出来る。半刻ぐらいなら息を継がずに水の中で行動できるし、長時間呼吸が出来ない状態に置かれても、また呼吸ができるようになるまで体の動きを止める必要があるが、死にはしない。一度見たものは忘れないし、記憶も失わない。経験により得られた技術は色褪せることなく身についてしまう。この体になってしまった以上、これから先人との戦いも避けられない場面がでてくるだろう。その時にそういった知識があると無いとでは選ぶ道筋も大きく変わってくる。権力者が送ってくる人間はいわゆる武術に長けている事が多い。そういう人間との戦いは、知識の差が命運を分けることもあるのだ。人の手首はこちらの方向にはここまでしか曲がらないが、我々なら関節を外したり骨を砕くことでもっと曲げることも出来る、一瞬不快だがすぐに治るわけだし。そういう知識の積み重ねを続ければ敵の裏をかける事も多くなる。そして何度も言うが、我々の不死身性は人に知られてはならない。人は愚かにも不老不死を夢見るもので、それがどれほど孤独で退屈な事かを理解できない。我々にとって一番の弱みは血への渇望により冷静な行動ができなくなることだ。そういう状況にならないようにするためにはどんな心構えで振る舞えばよいかを一緒に暮らしながら教えていく。健太は幼いから、血への渇きを抑える強い精神力を育てる必要もある。と言ったことを、朱は長い時間を掛けて丁寧に健太に話して聞かせた。普段口数の少ない朱が、根気よく丁寧に話し説明する様子に、健太も大事な話なのだと感じたのか大人しく噛みしめるように朱の話に聞き入った。


朱がひとしきり話し終えてふぅと息をついた時にはすでに夜が明けていた。二人が佇んでいた場所は、背の高い木々が鬱蒼と生い茂る三嶽の森のなかでぽかりと開けた陽の当たる場所であった。眼の前には湧き水が流れており、左手にはどれほどの風雪にさらされてきたのだろう、全体がすっかり枯れきったような小さい小屋があった。水の流れの向こう側には炭焼き窯がある。朱の大事な話は終わったんだな?と朱の顔を伺った後、健太は立ち上がった。少年の好奇心に勝てず、地を一蹴りし二十メートルほど離れた窯に翔んだ。振り返った時、健太はすでに満面の笑みを浮かべていた。


「あけ!あけ!これな!炭焼き窯やろ?勤労奉仕でな、炭焼手伝ったことがあるんや!」

「わしもな、炭焼き稼業の家の娘だったからの。何やら懐かしいような気持ちが安らぐようなそんな気がするのよ。わしがこの体になったあと、沓島に移る前に長く過ごした場所だ。健太は十二歳よの?」

「そや。誕生日の日にな。おかさんが、小さな赤飯の握り飯を作ってくれた。美味かったなぁ。」

「健太。ぬしはものを食べることはできぬ身体ぞ。何度も言うたろうが。辛くなるから今後は食べ物のことを考えるのはやめい。それはそうとな。健太は人を殺すのは良くないことなのはわかるよの」

「そりゃそうや!戦争なら敵を殺すのはしかたあらへんけどな。それ以外で人を殺したら大変や。警察に捕まってしまうえぇ?」

「そういう法の話ではなくな。たとえば健太が狂人に襲われたとするぞ。健太は自分の身を守るために持っていた刃物で相手を刺して自分を守らないとならぬ。さぁ。その時健太はどう感じる?」

「うーん。そうやなぁ。気持ちの底の方に、やったらあかん。やったらあかん。ちゅう引っ掛かりがあるように、感じるなぁ。」

「そうであろう。その気持は人間だけではなく、他の動物にもある感情だ。わしがこの体になったのは六つのときじゃ。健太は血の渇きが来た時の事を憶えておるか?」

「うーん。ようは憶えてへんなぁ。眼の前真っ赤になって、血のことしか考えられへんくなって。飲みたい飲みたい思うだけやったなぁ。あのときのわしは狂うとったんや思うわ。」

「そうだ。わしらはな。血の渇きに襲われた時に狂うのじゃ。わしが初めて狂った時はな。思うだけ血を吸って正気に返った時にな。わしはさよという隣の山で同じ炭焼を生業にしている家の娘の亡骸を抱えておった。そして眼の前には泣きながら震えるさよの兄がおった。わしは狂ったまま、山を一つ越えて兄妹同士で遊んだこともある幼馴染のさよの血を吸い殺してしまったのじゃ。その事をひどく後悔しておっても、また狂ってしまうと、畜生でもわかる禁忌を犯して、はらからの命を奪ってしまう。わしも知恵がついて気持ちが強うなるまでは、そうやって何百もの命を奪ってしまった。そういうカタワの生き物なのだ。わしも健太もな。そのことは肝に銘じるが良い。」


自虐気味にそう言った朱を見る健太。いつ見ても陶器のように滑らかで美しい朱の頬が、いつもより青白く見えた。健太は少し考えてから、


「そらしゃあないやろ?朱はわしより幼へんかったんやし。わしん妹もひもじいときは全然我慢できひんいうて泣いて騒ぐで!うるさくてかなわんで!」


知恵を巡らせて朱を元気づけようとひょうきんに振る舞う健太に、愛情を憶え朱は健太の肩を優しく抱き寄せると、


「ありがとうの。あの時から何百年も経っておるからの。わしの中ではとうに決着はついておる。それでもの、わしらは忘れることもできんからの。その時のことに思い至ると、どんどん体温を失っていくさよの身体の重さがの。さよの兄の身体が震えが直接わしの肌に当たる感じがの。それらがさっきあったように思い出されての。思い出すたびにそれが口惜しいのよ。」


朱は一度だけ小さく息を吐くと続けた。


「だから健太よ。肝に銘じろ。我々が人だった頃の優しさを忘れてはならぬ。やつらは我々のことを知れば、不死を求めて襲いに来よる。場合によってはそのものらの命を奪う必要が出る。しかし知られなければそのような波風はたたん。だからこそ、我々のことは人に知られてはならない。そして出来る限り同胞の命を奪ってはならない。我々の感覚をきちんと使えば、誰もわしらのことは見ることもかなわぬ。そのための知恵を健太が得るために、この炭焼き小屋で過ごして、わしが色々教えてやる。」


健太を覗き込む朱の真剣な眼差しに、健太なりに懸命に考えた。そして、もしわしが人を殺めたら、それが直接朱の悲しみになるんや。それだけはしいひんように気ぃつけよう。と思い、真剣な眼差しで朱を見つめ返すとうなずいた。


炭焼き小屋は長年の風雪に晒され、荒れ放題であった。しかし幸いにも日当たりが良いせいか、カビや腐りはなく日の当たりが漏れ出ている茅葺屋根を直せばよいだろうと朱が言った。健太は細い竹を柄にして、集めてきた竹の小枝や蔦で竹箒を作った。竹箒は割としっかりとした作りで、健太は満更でもない気分を味わった。石を叩き割って作った拙い刃物と健太の剛力があってなせる技だった。朱は蜘蛛の様に軽々と跳躍し音もなく茅葺屋根に取り付くと、屋根の修繕を手際よく行った。ものの一時間で予定の工程が終わり、二人は縁側に腰掛けて日を浴びて過ごした。


「暇やなぁ。なんもすることがあらへん。わしん訓練はいつからやるんや?」

「まぁ今日明日は、万が一のときに備えてわしが色々と健太に教えよう。それが終わったら課題をやるゆえ、健太は一人野に出て経験を積むが良い。」

「うへぇ。ほな学校と一緒ちゃうか。また勉強かぁ。かなわんなー。」


朱は健太の頭に腕を回してゆすりながら、まぁそういうな。と笑った。

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