第8話 朱の覚悟

滑らかな肌を滑る水滴は朝日を跳ね返しキラキラと輝く。全裸なのに人目をはばかる風もなく超然的な態度で砂浜を歩きながら、着物を身に纏う。少女は何年か前の記憶を掘り返しながら、目的の家を探しはじめた。


二年前の初夏の頃。家の庭に生えていた琵琶の木に登り、健太は落ちてしまった。地面に突いた時に手首の骨を折ってしまって海神参りで少女の元を訪れた。無邪気に浜の方を指さして、「あの木のあんな高いところから落ちても死ななかった!」と自慢をし父親に小突かれた健太。そのため少女は健太の家は大体見当がついたのだ。庭に一際大きな琵琶の木を持つ家の玄関を開けて少女は声を上げた。


「誰か居るか!」

「どちらさんどすー?」


奥から女の声が聞こえ、出てきたのは健太の母親だった。憮然と玄関口に立つ少女の姿を見て、母親はへなへなと床にへたり込んだ。


「海神さまぁ!なにか、なにか不手際など御座いましただすか!?」


廊下にひれ伏して伺いを立てる母親を見下ろしながら少女は言った。


「母親よ、ぬしが心配する様なことは何もないわ。いいから早く、父親をだせ」


並んでひれ伏す夫婦の頭上に覆い被せる様に少女は声を掛ける。


「昨日、健太の父親がわしに会いに来て報告していった。健太が死んだそうだ。わしが、健太を可愛がっていたのを、知っていたので気を利かして知らせてきたのだ。わしはぬしら血契三家一族の命を繋いできてやったよのう?そうしてきてやったのに、なぜぬしらは取るに足らないクダラない理由で殺し合いをするのだ?なぜ、健太の様な無邪気で素直な子どもが死ななくてはならなかった?健太が亡くなったのはぬしらのせいでは無いのは重々承知しておるが、口惜しうて堪らぬのじゃ。わしの中にやり場のない大きな怒りが次から次へと湧き上がって堪えきれぬのだ。わしは数百年の間、鬼門島で1人孤独に暮らしておったが、いい機会だ。しばらくの間ひとり旅に出て気晴らしをしようと思う。三月に一度位、連絡をしてやろう。血契三家に大病人がでてたら一時的に血を吸いに来てやろう。だから、ぬしら血契三家は争うことなく大人しく暮らしていくが良いぞ」


ポカンと口を開けて少女を見上げる夫婦二人。健太というパートナーを得たことで、少女の心も少し弾み気味なのだろう。普段全く笑顔を見せない少女がクスリと笑いながら話し始めた。


「ぬしら以外の血契三家の家長達にな、今の話をすればわしが鬼門島から消えても問題は起こらないかと思って、考えた口上じゃ。家の場所は知らなかったでの、健太の話を元に見当をつけて、この家に訪ねたのだ。どうじゃ?今の口上だったら諍いは起こらぬかの?」

「海神様!健太をお救いくだすっただけでなく、そんな心遣いまで!ありがとうさんです。おおきに!おおきに!」


深く伏して少女に礼を言う父親。少女は満足げに頷くと、二軒の家の所在を母親に説明をさせ健太の実家を後にした。数百年の長きに渡り血契三家の家に訪ねることなどなかった少女が訪れた。前代未聞の一大事に家長達は大きく動揺し、判断力も失った。しかも一族累々と神と崇めてきた相手の言葉だ。鵜呑みしてしまうのも当たり前だった。しばらく鬼門島を空ける。という少女の言葉に多少の落胆を示したが、唯一電話を引いてある家の連絡先を少女に渡して家族総出で伏して少女を見送った。話はとんとん拍子に進み、まだ日の高いうちに用は済んだ。島に1人残している健太を案じ少女は島に急いだ。島を出た時と同じく、島に上陸した少女は全裸の姿のまま健太を呼んだ。


「健太ぁ!健太!」


少女の呼びかけに、島の頂きからぴょこりと顔を覗かせた健太は、少女の様に超人的な跳躍を駆使して断崖を飛び降りてきた。宙を舞う健太は飛び降りる時間も待てないのか、紅潮した満面に笑みを浮かべながら「あけさまぁー!」と叫ぶ。少女の目の前に降り立ちざま、「あ・けだ!」と窘められるも、細かいことはどうでも良いだろ?と無邪気な笑みのまま


「すごい!すごいんだよ!あけ!わてな、凄い飛べるし、凄い走れるし、さっきちょっと泳いでみたけど凄い潜れる!」


少女は軽くため息をつき


「健太。そこに座れ」


と言い、自分も座り込んで話し始めた。


「良いか健太。ぬしはまだ幼いからの。こうなることは判っておった。よいか。わしとぬしは、もう人間ではないのだ。無限の寿命を持つ。力もとても強くなった。その代わり、人の生血以外は受け付けない身体になった。それがどういうことか判るか?」


宙にキョロキョロと視線をさまよわせた後、紅潮した顔のまま健太は首を振った。


「誰もが死なぬ身体、老いぬ身体、病に苦しまぬ身体、そして大抵のことはこなせる剛力を持つ身体。そういう身体が欲しいとは思うのは判るか?もし、わしらの存在が広く人に知れたら、そのためにわしらの血が欲しいと思う人間は大勢出てくるのは判るか?」

「そりゃそうやー!こんな身体になったら、良いことだらけやわー!」

「いや、健太、いいか?悪いことだらけだ。この世界は我々にとっては絶望に満ちた世界だ」


少女は健太の両肩を力強く掴むと、真剣な眼差しで健太の目を見据えながら続けた。


「よいか。人は我々の血を欲しがる。浅ましい人間達は深く考えず、不老不死の身体を欲しがるのだ。しかし、どうだ。人間が皆我々の仲間になったら。我々は何を食せば良い?死ぬほどの飢えと渇きに永遠に晒されたまま、生き続けるかも知れぬのだぞ?そんな苦しみにずっと耐えていけるか?しかもだ。大人は皆慎重だ。自分の身体を変える前に、徹底的に危険がないか問題がないかを調べたいと思うだろう。身体を変えて危険はないのか?どんな事に耐えられるのか。我々が捕らえられたら、想像を絶する様な苦しく辛い実験に晒されるぞ。ぬしはそういう苦しみに耐えて生きていきたいか?だから極力我々のことは人に知られてはならぬのだ。判るか?」


漁師の倅とはいえ、大戦中は育ち盛りの身でひもじい思いもしたのだろう。健太にとって、飢えたままずっと耐えなくてはならぬかもしれない。と言う話は酷く恐ろしいこととして耳に届いた。


「わかったよ、朱。身体のことは秘密にして、人に知られない様にするよ」

「わかればよい、わしがだいぶん昔に、しばらく暮らした小屋が三嶽にある。今晩夜中にここを発ち、そこに居を移すぞ」


少女は唇を一筋に結んだまま浜の方を睨む。健太に話すというより、これからの生活の覚悟を決めた。そんな表情であった。

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