第7話 決別

血を分け与えることで健太の命を繋ぎ、朦朧と岩にへたり込んでいる健太の家族を見下ろしながら少女は続けた。


「わしは健太を連れてしばらくこの島を離れようと思う」


健太に大量に生血を吸われ、岩場にへたり込んでいた健太の家族達に戦慄が走った。健太を助けたい一心で、掟破りの行動を取った健太の父親のせいで海神参り自体が崩壊しようとしているのだ。数百年の長きに渡って、血契三家一族から病死や怪我の恐怖から解放してくれていた海神参りがなくなってしまう。それが健太の一族のせいだと判れば、他の一族から

縁を切られるだけでは無く下手をすると殺されても文句は言えまい。カタカタと震えだした健太の母親を見て、少女は嘆息し話し始めた。


「まぁ、慌てるな。まず、健太はアメリカの機銃攻撃を受け、駆けつけた家族が病院に運ぶ途中に死んでしまったので山中に埋めた事にせい。わしは血契三家にそれぞれ出向き挨拶してから、この地を去る。じゃから、今日この島であった出来事は秘密にしておけ。しばらくの間は、三月に一度位わしの方から三家の方に連絡をするでの。重い怪我や病気の者が居たら、わしの方から出向いてやろう。そうすれば、それほど騒ぐ奴も出ては来るまい。それでな、大事なのはここからだ。健太の身体にはわしの血が混じり死なぬ身体になった。しかし、口にできるのは人の生血だけだ。そして血への渇望はかなり辛いのだ。健太は幼いからのぉ。これから何百年経っても健太の外観は成長せん。しかし心は成長するでの。不意に襲ってくる血への衝動を抑えられるようになるまで心の成長を待つ必要がある。その間わしの元で一緒に暮らして、わしが生き方を教えていく必要があるのじゃ。健太が自分の正体を悟られず生活ができる目処が立ったらまたここに戻ってくるかも知れんの。まぁなにしろの、健太の精神が落ち着くまでは、健太と共に身を隠して生活していくつもりだ。落ち着いたら連絡方法を考えて伝えるでの。当分の間は一緒に暮らす事は叶わんが、たまにこっそり会うぐらいできよう。しばらく待っておれ」


三百年以上続いた海神参りの習慣が自分らのせいで途絶える。その事に対する怯えと、他の一族への後ろめたさ。気力を失い立ち上がれない父親に寄り添う母が一言、「健太が存えたんですから。それだけで充分ですよお父はん」と囁くことでやっと父親も立ち上がった。よろよろとお互いが肩を貸しつつ健太の家族は舟に乗り帰っていった。ひっそりと静けさを取り戻した岩場に座り込んで健太の寝顔を眺める少女。焚き火の火に照らされた少女表情には、千数百年たった一人で生きてきた孤独からの解放感を感じているのだろうか。健太への慈愛の眼差しと、かすかな微笑みが浮かんでいた。


日差しの刺激に眉をしかめ健太は目覚めた。日差しに眼を細めながら、身体を起こす。傍らで少女がこちらに向かってほほえみかけていた。


「健太よ。どうじゃ、もうすっかり痛みは無いじゃろ?ひもじくもないか?どこか変わったところはあるか?」


少女の問いに、少しボーッと考えた後、健太はニカッと笑って首を振った。家族の生血を大量に啜ることで、大きく削られた生命力と、人間性を取り戻した健太の笑顔を見て少女は心がじんわりと緩むのを感じ、健太に笑顔を向けた。


「健太よ。取りあえずは一安心じゃな。しかしな、健太。ぬしの身体はすっかり変わってしまった。まず、大抵の怪我では死なぬようになったろう。そして、口にできるのは人間の生血のみになった。でだ。ぬしはまだ幼い。この身体になるとな、人間だった頃よりも飢えの苦しみが辛いのだ。我々はな今後普通の人間に、溶け込んで生きていかねばならぬ。そのためにはな、ぬしの心がある程度成長して、飢えによって錯乱しない様にならなくてはならぬ。ぬしの血にわしの血が混じった時にな、ぬしは酷い状態になった。覚えているか?」


健太は朦朧とした状態の時、いきなり自分に襲いかかった衝撃は覚えていた。しかし、その直後から今までの記憶が全く無い。健太は照れくさそうに首を横に振った。少女は健太に頷き返し続ける。


「でのぉ。ぬしはまだ幼いから、それを考えると哀れなのだがの。これから数年の間、ぬしは家族と暮らすことはまかりならん。今後永遠に生きていくぬしはその正体を知られぬ様、ひっそりと人の中に溶け込んで生きていかねばならぬ。それには最低限、ぬしが血の渇きを覚えた時我を忘れてしまってはならぬ。万が一その時周りに人が居たら、ぬしが人でないことがばれてしまう。ぬしはこれからずっと幼い男児のままじゃがの。心は成長する。心が成長すると、もっと沢山のことが考えられる様になり、心が強くなり、人の心も判る様になる。そうなれば、お前が生血への渇きに襲われても、ぬしが我を忘れて錯乱することは減っていくじゃろう。そうなるまでは、ぬしはわしと人の少ない山奥にこもり、わしの教えを受けながら心の成長を待つことにする。わしが今話した理屈は判るか?判るなら、しばらくの間辛抱するのだ」


健太は母親と会えないと言われた時は明らかに落胆した表情だったが、健太なりに事情を理解したのか無理して作った笑顔を浮かべた。


「わしは今から血契三家の家長達に挨拶に参ってくる。ぬしは人目につかぬ様、この島で待っておれ」


言いながら少女は着物を脱ぐと手早くまとめて頭の上に載せ帯を首に回し縛り付けた。子どもの頃からずっと、海神様と崇める様躾けられてきた健太は、少し間の抜けた姿に思わず笑ってしまう。


「なんじゃ。何がおかしい?」


そう問いただす少女の声には、幾分はしゃいだ気持ちが混じっていた。数百年もの間、たった一人で家族も理解者も居らず、ずっと孤独を抱えて生きてきた少女だった。健太の存在が嬉しくて堪らないのだ。悪戯っぽく健太を睨む少女の目は、慈しみの光りを湛えていた。


「海神様がひょうきんななりをしたもんそやし、笑ってしもたよ」

「海神様はやめよ。健太とわしは、もう仲間だ。わしが人間だった頃の名は朱だ。アケな。私が生まれた明け方、目を見張る様な見事な朝焼けだったそうだ。それで父が朱と名をくれた。今後はわしのことを朱と呼べ。海神様と呼ぶことは許さぬ。わかったな?」

「わ、わかったよ。あ、朱様」

「だから仲間だと言ったろう?朱だ。ア!ケ!」

「あ・・・あ・あけ・・・・・・」


さ・ま・という音を必死で呑み込み、照れて真っ赤に俯く健太を嬉しそうに見下ろすと、少女は海に飛び込みバタ足だけで水煙を上げながらイルカの様な速度で岸に向かって泳ぎだした。

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